憂きまど

タイトルは「憂き事のまどろむ程は忘られて覚むれば夢の心地こそすれ」より。某大学国文学修士の人が趣味丸出しでおくる、アニメや小説の感想を中心になんでも。超気まぐれ更新。読んだ本はこちら→https://bookmeter.com/users/337037 Twitterは→@konamijin

崇徳院と戦姫絶唱シンフォギアの風鳴翼―後編:翼と八紘、訃堂から崇徳・鳥羽まで

 前回の記事では、崇徳院の出生に関する問題を、史料や先行研究をもとに整理した。父親の鳥羽院との関係についても述べた。

 

konamijin.hatenablog.com

 

 さて、今回は『戦姫絶唱シンフォギア』シリーズにおける、風鳴翼の出生と父親との関係について述べていきたい。翼は、自らを人類守護のための「防人」であると位置付ける。GX(三期)では、錬金術師と戦うことになる。 

 まず、風鳴家について説明する。翼の父は風鳴八紘(かざなりやつひろ)、八紘の弟に風鳴弦十郎(かざなりげんじゅうろう)、八紘と弦十郎の父親は風鳴訃堂(かざなりふどう)である。翼から見ると、訃堂は祖父にあたる。八紘は内閣情報官。弦十郎は、翼も所属する超常災害対策機動部タスクフォース組織・S.O.N.G.の司令。この組織については、公式用語集を参照していただきたい。

www.symphogear-gx.com

 訃堂はGXでは名前とうっすらとした姿のみ登場。この人物が作中で実際に話すなどするのは、次のAXZを待たねばならない。彼はS.O.N.G.の前身組織の司令だったが、その座を弦十郎に譲り渡してからも、日本の国防政策に対して大きな発言力を持つ重鎮であるようだ。

 さて、シンフォギアGX第9話「夢の途中」を視聴していない読者の方は、「崇徳院と何の関係があるのか」と思われるかもしれない。先に言ってしまおうかと思ったが、初見の人は知らないで読んだ方がいいだろう。だいたい予想できそうだが。

 まずは、その9話をみていこう。S.O.N.G.は、敵の錬金術師の狙いを割り出した。その中には、翼の実家である屋敷も含まれていた。そこにある「要石」の破壊が目的である。派遣されたのが翼とマリア、そして風鳴家に仕えている忍者の家の末裔で、翼のマネージャーの緒川。屋敷に到着した際、八紘は緒川とマリアには声を掛けるが、翼には一言も触れずに去っていこうとする。翼は「お父様!」と呼びかけ、

 「沙汰もなく、申し訳ありませんでした。」

と詫びる。一方で、八紘は翼に背を向けたまま、

 「お前がいなくとも、風鳴の家に揺るぎはない。務めを果たし次第、戦場(いくさば)に戻るがいいだろう。」

 このように応じる。終わったらさっさと帰れと言っており、極めて冷淡である。マリアはその態度に憤慨し、

 「待ちなさい!あなた、翼のパパさんでしょ?だったらもっと他に…」

 このように非難するが、翼は「マリア、いいんだ…」と止める。「でも!」と食い下がるマリアに、翼はなおも「いいんだ…」と寂しげに声を掛ける。この時点では、マリアも、そして視聴者も、なぜこんなに二人は不和のように見えるのか、という理由を知らない。

 その直後、敵の錬金術師の送り込んだ自動人形・ファラが襲撃に来る。そこで翼は八紘に対して「ここは私が!」と言い、八紘も「うむ、務めを果たせ。」と応じる。ここでは先ほどよりはまだ淡々としていないが、当たり前のことをやれ、と言っているだけのように聞こえる。翼はファラに敗れ、要石も破壊されてしまう。ファラは「目が覚めたらまた改めてあなたの歌を聴きに伺います」と翼に伝えるように言い、撤退。

 目覚めた翼に対し、八紘が呼んでいると呼びかけるマリア。翼たちは、次の敵の狙いについて話し合う。そして、八紘は、こう声を掛ける。

 「翼。傷の具合は?」

 ここで翼は、やや意外そうな顔をする。まさか自分を気遣うような言葉を掛けてくれるとは思っていなかったのか。翼は、「はい。痛みは殺せます。」と応じる。さて、問題はここからだ。八紘は、

 「ならばここをたち、しかるべき施設にて、これらの情報の解析を進めるといい。お前が守るべき要石はもうないのだ。」

 と言う。またマリアが怒る。

 「それを合理的というのかもしれないけど、傷ついた自分の娘にかける言葉にしては、冷たすぎるんじゃないかしら。」

 翼は「いいんだマリア。…いいんだ。」とまた寂しげである。部屋を出た後も、マリアは「家族のつながりをないがしろにして!」と怒る。マリアは自身の境遇から、こういうところを大事にする。翼は「すまない。だが、あれが、私たちの在り方なのだ。」と答える。翼は自分の子供の頃に使っていた部屋に、マリアを案内する。翼は一期の頃から部屋の片付けが苦手であるという設定がある。この部屋も、そのまま散らかりっぱなしであった。翼は「幼い頃にはこの部屋で、お父様に流行歌を聞かせた思い出もある。」としみじみと語る。確かに部屋にはマイクなどが置いてある。翼の幼少期は、八紘は翼を遠ざけてはいなかったということか。この点は後ほど。

 そして翼は、語り始める。

 

 「私のおじい様、現当主の風鳴訃堂は、老齢の域にさしかかると、跡継ぎを考えるようになった。候補者は、嫡男である父・八紘と、その弟の弦十郎叔父様。だが、おじい様に任命されたのは、お父様や叔父様を差し置いて、生まれたばかりの私だった。理由は聞いていない。だが、今日まで生きているとうかがい知ることもある。どうやら私には、お父様の血が流れていないらしい。風鳴の血を濃く絶やさぬよう、おじい様がお母様の腹より産ませたのが、私だ。」

 

 そして昔の回想。幼い翼に対し、八紘は「お前が私の娘であるものか!どこまでも汚れた風鳴の道具に過ぎん!」と辛辣な言葉を浴びせる。この点、『古事談』にある、鳥羽が崇徳を自分の子ではないと知り、「叔父子」と呼んでいたという点と重なる部分があると思う。ちなみに、八紘と翼のこのやりとりは、これ以前の第6話においても、翼の精神世界の描写として存在する。

 翼は更に語る。「以来私は、お父様に少しでも受け入れてもらいたくて、この身を人ではなく道具として、剣として研鑽してきたのだ。」つまり、「風鳴の道具」として生きるようにした、ということだ。務めを果たす。それこそが、父親に受け入れられるための道なのだと。翼は、寂しさの中に自嘲気味な感情を内包させる。「なのに、この体たらくでは、ますますもって鬼子と疎まれてしまうな。」

 余談ではあるが、騙されて譲位をさせられた後の崇徳も、鳥羽と、自分が退位させられる原因となった美福門院(近衛天皇の母)と流鏑馬を見るために同席するなど、ある意味「受け入れられるための努力」をしているようにも感じられる。

 前回の記事で、崇徳院は、鳥羽院ではなく白河院の子であるとする説を紹介した。繰り返しになるが、白河院の子が堀河天皇堀河天皇の子が鳥羽院、そして鳥羽院の子が崇徳院である。シンフォギアでは、翼の父は八紘ということになっているが、実は訃堂の子である、という話が語られるのである。訃堂は八紘(訃堂から見れば息子)の妻を孕ませ、その結果生まれたのが翼。

 親子関係を表すと、崇徳の場合は白河―堀河―鳥羽―崇徳であり、シンフォギアの場合は訃堂―八紘―翼であるため、崇徳院の方が間に介在する人物が一人多い。白河法皇の場合、孫の妻にした女性を孕ませた。仮に、崇徳が白河法皇と待賢門院璋子の子であるとする説を採用するならば、それは「性愛」の結果でしかなかっただろう。一方で、シンフォギアでは「自身(訃堂)の血を濃くするため」という明確な理由がある。翼の母については詳しく語られず、登場もせず名前もわからない。既に病気か何かで亡くなっているのだろうか。

 しかし、やや疑問に思われる方もいるかもしれない。八紘は訃堂の嫡男、実子ではないか。それで「血の濃さ」を求めたというのはどういうことか、と。私もこの点はよく分からなかった。説明がなされていないからだ。強いて理由を考えるならば、八紘の妻は風鳴家の親戚であったということか。一方、訃堂との間に八紘・弦十郎をもうけた女性は、そうではなかった。ゆえに、「同じ一族で契ることが血の濃さにつながる」ということで、八紘の妻(風鳴家の人間と仮定)と契ったのだろうか。この点、あくまで仮説であり、5期で今後明らかになるかもしれない。八紘が実は入り婿でその妻の方が訃堂の娘だとか、そういう説は介在しえないと思う。後で紹介する公式用語集の八紘の項目にも、「父・訃堂」と書かれている。

 血の濃さというものは確かに重要だ。例えば、近親婚。これを続けることより、偶にとんでもなく卓越した人が生まれることがある、という話を昔中世の教授から聞いたことがある。天皇家などがそれだ。

 もう一つ、仮説を立ててみよう。訃堂から見れば、八紘と弦十郎、どちらも「当主」と認めるに足る器ではなかった(個人的にはどちらも有能な人物だと思うが)。これではいかんと思った訃堂が、別の当主候補を欲した。そこで、自ら今度は八紘の妻に手を出したという説だ。これもまた仮説であるため、実際はどうか分からない。

 四期であるシンフォギアAXZの5話。八紘、弦十郎と共に、訃堂のもとへ状況報告に向かった翼。翼に対して訃堂は「まるで不肖の防人よ。風鳴の血が流れておりながら、嘆かわしい。」と言う。翼は、「我らを防人たらしめるは血にあらず、その心意気だと信じております。」と静かに応じた。ここからも、訃堂の「血」に対するこだわりが感じられるものである。

 話をアニメ本編の内容に戻そう。再びファラの襲撃。苦戦する翼とマリア。自分の無力さを痛感する翼。そこに現れたのが八紘。「翼!歌え、翼。」

 翼「ですが私では、風鳴の道具にも、剣にも…」

 八紘「ならなくていい!」

 翼「お父様…」

 八紘「夢を見続けることを恐れるな!」

 マリア「そうだ!翼の部屋、十年間そのまんまなんかじゃない!散らかっていても、塵一つなかった。お前との思い出をなくさないよう、そのままに保たれていたのがあの部屋だ!娘を疎んだ父親のすることではない。いい加減に気づけ、馬鹿娘!」

 翼「まさかお父様は、私が夢をわずかでも追いかけられるよう、風鳴の家より遠ざけてきた…それが、お父様の望みならば…私はもう一度、夢を見てもいいのですか!」

 うつむきながら、八紘は頷く。翼はここで初めて、八紘の思いを知る。翼の「夢」は、歌手として皆に歌を届けることだ。そして現在、翼はプロの歌手としての活動も行っている。翼は「幼い頃にはこの部屋で、お父様に流行歌を聞かせた思い出もある」と言っていた。当時から翼が歌手を目指していたということが分かる。翼のその夢を知った八紘は、あえて厳しいことを言い、家から翼を遠ざけていたのか。更に、散らかったままの翼の部屋。散らかったまま塵・埃だけを払っていたというのはなかなか器用だと思うが、あの部屋をそのままにすることこそが「親子」の結びつき、思い出を感じられる唯一の場所だと八紘は思っていたのだろう。

 そして翼は、「貴様はこれを剣と呼ぶのか、否!これは、夢に向かってはばたく翼!」と言い、ファラを撃破する。これが、シンフォギアGXの第9話だ。

 ここで、公式サイトの用語集を見てみよう。

www.symphogear-gx.com

 

 「八紘もまた、穢れた風鳴の血の被害者である。娘の出生時に八紘は、憎悪にも似た複雑な感情をいだくが、それでも娘に「翼」と名付ける。人の道に外れてなお、国防を最優先と唱える父・訃堂への叛逆として、風鳴の因習に囚われない自由を意味する名前を娘に贈ったのは、不器用ながらも娘の幸せを願う父親としての想いからであった。」

 

 崇徳院の叔父子説は、事実かどうか確認できない。しかし、シンフォギアでは、この書き方であれば翼の実父は訃堂だというのは事実なのだろうか。八紘は、出生時既に翼の出生の秘密を知っていた。しかし、それに対する「叛逆」として、八紘は「翼」という名前を授けたのだ。翼に厳しくあたるようになったのは、自分の子ではないこんな汚れた娘を置いておきたくないという思いではなく、家から遠ざけること=家の因習にとらわれず、翼の夢を叶えられることに繋がる、という思いからであった。

 この点、崇徳と鳥羽とは対照的と言える。鳥羽は自分の死後に兵乱の起こることを警戒し、武士たちの招集を決めていたのだ。そこで、なぜ崇徳が嫌いかという理由を「崇徳が自分の子ではないから」という点に結びつける。これが叔父子説を利用した読み解きだ。叔父子説が事実かどうかは別であるが。

 鳥羽と崇徳の不和の理由としては、前の記事に書いた「皇太弟」事件が挙げられる。『保元物語』では、叔父子説をにおわせる記述はないとも書いた。では、物語では、二人の不和の原因をなんと書いているか。物語の語り手は、「先帝コトナル御ツヽガモ渡ラセ給ハヌニ、ヲシオロシ奉ラセ給フコソ浅増ケレ。カヽリケレバ、御恨ノミ残ケルニヤ、一院新院父子ノ御仲、不快ト聞コエシ。」と言っている。前の記事で取り上げた、崇徳の近衛天皇への譲位を受けての記述だ。「先帝」及び「新院」は崇徳。「一院」は鳥羽である。

 また、物語内で崇徳は「当腹ノ寵愛ト云計ニテ、近衛院ニ位ヲ押シ取レ」と述べている。自分が譲位させられたのは、やはり鳥羽が美福門院を寵愛しており、新しく近衛が生まれたことが理由である、思っていることがうかがえる。ここまでを素直に読めば、鳥羽院は寵姫である美福門院から近衛が生まれたことを喜び、即位を進めたと解釈できる。ここで叔父子説を踏まえれば、崇徳が実子ではないと確信した鳥羽が、彼を排除するために急いで近衛に譲位させたとする解釈も可能となる。やはりこの説を採用するかしないかで、読み解き方が大きく変わってくるのだ。少なくとも『保元物語』はこの説を採用していない。もし叔父子説を物語においても取り入れる(意識する)なら、待賢門院璋子についても当然触れる必要があろう。しかし、名前すら記されていない。物語では叔父子説に触れないため、既に故人である璋子(1145年没)はなおさら登場させる必要性がないのであろう。

 ただ、「政治工作説」を唱える美川圭氏は、叔父子説を鳥羽院が信じるのは、崇徳の譲位前ではなく譲位後であるとの説を示している点も留意されたい。

 余談であるが、この後、シンフォギアGXの最終話(13話)では、戦いを終えた翼とマリアが、歌手活動の拠点であるロンドンへと飛行機で飛び立っていく。飛行場の側で、弦十郎は「見送りもまともにできないなんて、父親失格じゃないのか」と兄である八紘に聞き、八紘は「私たちはこれで十分だ。」と応じる。そこまで来ているなら会ってやれという思いである。とことん不器用な人なのだ。

 さて、最後に話を整理しよう。前回の記事の内容を踏まえ、人物を当てはめていく。訃堂=白河法皇、八紘=鳥羽院、翼=崇徳院。叔父子という呼称=汚れた風鳴の道具。シンフォギアの設定を当てはめて示すと、「白河法皇は存命中に鳥羽院を後継にせずに、実は自分の子である崇徳院を後継指名した」という話にでもなろうか。なお、史実では、白河法皇は21歳の鳥羽を退位させ、5歳の崇徳を即位させるということをしている。

 歴史にもしもはないと我々は知っているが、もしも、鳥羽が崇徳を実子ではないと知っていた(またはそういった流言を信じていた)うえで、それでも八紘のように崇徳を思いやる気持ちを持っていたら…保元の乱は起きなかったのではないだろうか。政治性、権力の絡む話である以上、それは難しいか。

 シンフォギアGXでは、翼の他にも響、クリス、キャロルの親子がそれぞれ描かれる。この作品のイントロダクションには、「これは、コワレタモノを修復する物語」と書かれている。最終話のラストも、主人公である響の父と家族の和解が描かれて終わる。娘を捨てた親、娘を残して死んでしまった親。その人たちが、娘たちに対して思うこと、伝えたいことは何か。そして、娘たちが忘れていたこと、誤解していたこととは。「コワレタモノ」とは「親子の絆」という解釈ができるかもしれない。

www.symphogear-gx.com

 ちなみに、『保元物語』では、鳥羽・崇徳父子の和解のようなものが描かれている。物語では、崇徳は鳥羽が崩御すると、喪が明けぬうちから挙兵の準備を始める。そして挙兵に至るが、敗北。崇徳は讃岐国へ配流となることが決まった。この時代の配流について、元木泰雄氏は、『保元・平治の乱』の中で、次のように述べている。

 「この時代の配流には、奈良時代までとは異なる意味も付加された。平安京は恒久的な王権の所在地であると同時にケガレからも隔離された清浄の地であった。京から畿外、七道にいたるにつれて、夷狄、化外の地に近づくことになる。京を離れることは当時の皇族・貴族には忌避すべきことであり、(中略)その京を王権の中心であった人物が放逐される。これ以上の屈辱などあろうはずがない」

 

 崇徳は、都を離れる前、次のように申し出る。「故鳥羽院のお墓に参って、最後の暇乞いを申したい。」しかし、それは認められなかった。そのため御車を鳥羽院の墓のある安楽寿院の方へ向けさせ、「御涙二咽バセ」なさったという。これには崇徳を護送する役の重成も、涙で袖を濡らしたという。崇徳は全てを失った。そして最後の心残りは、父の墓参りなのであった。『保元物語』は、鳥羽を聖人・その治世を聖代として描きたいという作者の意図がある。しかし、それでもここにあるのは、親子の情というものである。

 

 

 

 

崇徳院と戦姫絶唱シンフォギアの風鳴翼―前編:崇徳院の父親について史料・先行研究から考える

 今回はタイトルの通りである。つい先日、NHKBSプレミアム『英雄たちの選択』という番組で、崇徳院が取り上げられていた。これを読んでおられる方も、番組を見ていなくともこの人物の「怨霊」にまつわる話を聞いたことがあるかもしれない。

 私の大学時代後半の研究テーマは崇徳院であった。このブログのタイトルである「憂きまど」も崇徳院の和歌から取っている。もとの歌は「憂事ノマドロム程ハ忘ラレテ醒レバ夢ノ心地コソスレ」。日下力氏の訳を拝借すれば、「つらいことは、まどろむ間はわすれられて 目覚めてみれば夢を見ていたような心地がする」(『保元物語KADOKAWAより)というものだ。崇徳院歌人としての業績もある。皆さんの中にも、『百人一首』77番歌である「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はんとぞ思ふ」の歌を知っている人がいるだろう。これも、崇徳院の歌である。

 そんな私が、『戦姫絶唱シンフォギアGX』を見ていた当時。九話「夢の途中」という回。三期にして明かされた、メインキャラクター風鳴翼の出生の秘密。これは崇徳院に似ている、とすぐに思い至った。この回については、公式サイトにあらすじが載っているので、そちらをご覧いただきたい。この記事の前編では、まず崇徳院の出生について様々な文献から考察する。昔色々と書いたものの再編版だ。後編では風鳴翼の話をし、その共通点と相違点などについても考察していく。

www.symphogear-gx.com

 

 最初に、崇徳院について簡単に説明しておこう。崇徳院は第75代天皇。1119年に生まれ、1164年に崩御した。そもそもこの「崇徳」という呼称は、死後の「諡(おくりな)」である。父親は鳥羽院、母親は待賢門院(藤原)璋子。崇徳院の次に即位する近衛天皇は異母弟、その次に即位し、源頼朝から「日本一の大天狗」と評された後白河法皇は同母弟にあたる。「院」は譲位して上皇となった人物に対して用いられる呼称。そして、「法皇」は出家して仏門に入った上皇・院に対して用いられる呼称である。

 崇徳は、父親である鳥羽から遠ざけられていた。それが1156年の保元の乱を引き起こし、讃岐国へ配流となってしまう遠因となる。なぜ崇徳は鳥羽から遠ざけられていたのか。それは、崇徳の本当の父が鳥羽ではないから、という説がある。これがいわゆる「叔父子説」である。では一体、崇徳は誰の子なのか。崇徳の「父親」が鳥羽、その父親は堀河天皇、そしてその父親が白河院である。この白河院白河法皇)と待賢門院璋子が契って生まれた子が崇徳であるというのである。このことが記されている史料が、鎌倉時代に公卿の源顕兼によって書かれた説話集古事談巻第二「白河院、養女璋子に通ずる事、鳥羽院崇徳院確執の事」である。該当箇所を引用してみよう。

 

 「待賢門院【大納言公実女、母左中弁隆方女】は、白河院御猶子の儀にて入内せしめ給ふ。その間、法皇密通せしめ給ふ。人皆な之れを知るか。崇徳院白河院の御胤子、と云々。鳥羽院も其の由を知し食して、「叔父子」とぞ申さしめ給ひける」(『新日本古典文学大系 41 古事談 続古事談』より)

 

 待賢門院は白河法皇と密通しており、それで生まれたのが崇徳である。鳥羽もそれを知っており、崇徳を「叔父子」と呼んでいたという。

 さて、これに関して、研究者の意見はどうだろうか。美川圭氏は次のように述べている。

 

 「近世の『大日本史』や『読史余論』以来、多くの歴史家たちが、この「叔父子」説を肯定的にみてきた。『古事談』という真偽のさだかでない「説話」を多く含んだ書にしか存在しない話が、あまり疑われなかった理由は、少なくとも保元の乱前夜において、鳥羽院崇徳院との不和が事実であり、それが鳥羽院没後、同母兄弟である崇徳と後白河の正面衝突という事態につながったことを説明するのに、「叔父子」説を真実とする方が、より説得力があるからである」(美川圭『院政』より)

 

 『古事談』は今でいうゴシップ的な内容も含んでいるので、扱いには注意が必要だ。

 他に、角田文衞氏は、関白・藤原忠実の日記『殿暦』の記述や、『今鏡』の白河法皇と幼い頃の璋子の逸話なども紹介した上で、璋子の生理周期を算定し、「鳥羽天皇は、九月(元永元年九月)には殆ど接触がなかった(璋子と、執筆者補足)ことから、中宮(璋子、執筆者補足)が法皇によって懐妊した事実を悟られたに相違ないのである」と述べている(角田文衞『待賢門院璋子の生涯』より)。研究のために生理周期まで調べるのか、と思い当時は驚いたものだ。今どきはどうかしている声豚が、若い女性声優の生理周期を調べるということをやっていたのを記事で見かけた。しかし、璋子の生理周期を調べることは、この問題を研究するうえで意義のあることなのだろう。ちなみに、この角田氏の本をもとにした小説が、『失楽園』で知られる渡辺淳一氏の『天上紅蓮』である。

 

 もう一方の『殿暦』の記述もみてみよう。白河法皇が璋子を忠実の子である藤原忠通と婚姻させようとしたが、忠実が反対したため立ち消えとなった一件の後の話として記されているものである。白河法皇は、その代わりに孫の鳥羽に璋子を入内させることにした。それに関して、忠実は永久五年十月十一日に「件院姫君備後守季通盜通之云、世間人皆所知也」―「璋子が備後守季通と密通していることは、世間の人々は皆知っていることだ」と記していることや、同年十二月四日条にも、「乱行人入内」と記すなど、璋子がふしだらな女性であることを批判している(『大日本古記錄 殿暦五』岩波書店より)。角田氏は、この点について「璋子の素行に対する忠実の酷評は、右の関係(白河法皇と璋子の性的な関係、執筆者補足)が意外に早かったことを暗示して」おり、義父である白河法皇と関係を持ちながらも季通などと通じていたのであれば、忠実のこういった表現を用いた批判、決めつけも「止むをえなかったであろう」と述べている。季通は璋子の音楽の師匠。そこから性的関係に発展したと考える人もいる。

 そしてもう一方の『今鏡』の逸話の内容は、幼い頃の璋子が白河法皇の懐に足を入れて昼も寝ていたため、忠実が訪ねて来ても対面を断っていた。その寵愛ぶりは「大人になり給ひても類ひなくきこえ侍りき」であったというものである(海野泰男『今鏡全釈 上』より)。先述の角田氏はこれについて、「法皇が孫のように璋子を可愛がった心情は理解できるにしても、そこにはなにかしら異常なものがなかったとはいえない。」と述べている。璋子は五歳の頃、白河法皇の寵姫である祇園女御の養女となっていたため、二人の接点が生まれたのであった。ちなみに白河法皇は1053年生まれ。璋子は1101年生まれ。歳の差、単純計算で48歳。すごい。

 

 元木泰雄氏は「むろん今日、真相を知る術はない。」とした上で、以下のように述べている。

  

 「大治四年(一一二九)の白河没後、すぐに崇徳を退位させなかったこと、崇徳の皇子重仁が有力な皇位継承の候補者であったことから、鳥羽院の崇徳出生に対する疑惑が当初から強いものではなかったとする説が有力である。しかし、科学的に血縁関係を実証できない当時、噂を広められることは相当な根拠の存在を意味し、重大な影響を有した。」(元木泰雄『保元・平治の乱』より)

 

 他に、先述の美川氏は、これは美福門院得子(近衛天皇の母)と藤原忠通による崇徳を失脚させ自分たちが権力を握るための政治工作であったとする説を提示している。いずれにしても、DNA鑑定などがこの時代は存在していないため、真実を知ることはできない。本当に崇徳の父親が鳥羽だったのかもしれないし、白河法皇の子だったのかもしれない。結論としては「信頼できる新史料でも出てこない限り、確かめられない」ということだ。

 しかし、美川氏が述べていた通り、「少なくとも保元の乱前夜において、鳥羽院崇徳院との不和」は「事実」ではあるのだ。ここで、慈円の『愚管抄』に記されている、崇徳の躰仁親王(後の近衛天皇)への譲位の経緯を見てみる。『愚管抄』では、崇徳が譲位する際、本来の約束とは異なり、「ソノ宣命皇太子トゾアランズラントヲボシメシケルヲ、皇太弟(ト)カヽセレケル」状態であったことに対して、「コハイカニ」と崇徳の反応を載せている(『愚管抄岩波書店より)。こうした逸話は『今鏡』にも見られる。異母弟の近衛を「皇太子」にすれば、崇徳は鳥羽の死後に近衛の父として院政を行うことができたが、「皇太弟」ではそれは不可能である。この記述を信用するならば、鳥羽が「お前は譲位するが、皇太子と書いておくから、お前は院政ができる」と言っていたのに、実際はそう書いていなかったということだ。つまり、崇徳は鳥羽に騙されて退位させられたということになる。それは崇徳が怒るのも当然というものだ。元木氏は、「院政を行うことができる上皇は、天皇直系尊属に限定されており、まだ二三歳の崇徳が譲位に応じたのも、将来の院政を約束されていたからにほかならない。」と指摘している。その後、崇徳は息子の重仁親王を即位させることで院政をしようと考えるのだが、それもまた阻まれる。追い詰められた崇徳は、藤原頼長らと結びつき、最後は挙兵に至るのである。

 他に、先述の『古事談』から、鳥羽の臨終間際の話を引用してみよう。

 

 「鳥羽院最後にも、惟方時に廷尉佐を召して、『汝許りぞと思ひて仰せらるるなり。閉眼の後、あな賢こ、新院にみすな』と仰せ事ありけり。案の如く新院は「見奉らむ」と仰せられけれど、『御遺言の旨候ふ』とて、懸け廻らして入れ奉らず、と云々」

 

 崇徳は鳥羽の臨終間際に訪問してきたが、鳥羽が遺言を残した。簡単に言えば崇徳を入れるな、ということだ。結局、崇徳は鳥羽の姿を見ることが叶わなかった。繰り返しになるが、『古事談』は扱いに注意が必要であることは留意されたい。

 軍記物語(フィクション)である『保元物語』では、鳥羽が亡くなる以前から、人々の間では「一院カクレサセ給ナバ、主上ト新院トノ御中心ヨクモマシマサズ。世ハタヾハアラジ」という話がなされていたことを、物語は記す(『新日本古典文学大系 43 保元物語 平治物語 承久記』岩波書店より)。「一院」は鳥羽、「主上」は現在の天皇である後白河、「新院」は崇徳である。鳥羽が崩御したなら、崇徳と後白河は関係がよくないので、世の中は乱れるだろうという趣旨だ。実際、崇徳は挙兵へと突き進んでいく。日下力氏は、「実際は、鳥羽院が自分の死後、事の起こるのを警戒し、早くから義朝や清盛らを招集、崇徳院側は追い込まれてやむなく決起した側面が強く、準備不足は明らかであった」と述べている(『いくさ物語の世界』岩波書店より)。ここでの「実際」とは「文学的(フィクション)ではなく歴史上」という意味である。武士の招集は、もし崇徳らが決起した場合には彼らを退け、後白河を守るためであろう。結果的に、それが崇徳側への圧力となってしまう。これは私の憶測にすぎないが、鳥羽の真の目的は、日本を治める者として、後白河と崇徳で国が二つに分裂することを防ぐことにあったのではないだろうか。ちなみに、『保元物語』では、崇徳の父が白河法皇であることをにおわせる記述は一切存在しない。

 非常に長くなった。これでもだいぶ省略しているのである。結局のところ、崇徳の父が白河法皇である説を取るかとらないかで、読み解き方が変わってくるのだ。この説を採用するのであれば、鳥羽が崇徳を遠ざけたのはそれが理由だということである。個人的には、美川氏の言うような「政治工作」=鳥羽の子ではないという流言に鳥羽がはめられ、崇徳を遠ざけることになったという読み解きをしたいところだが。鳥羽はあるとき、疱瘡になった崇徳院を見舞ったことがある。それに対して、佐藤健治氏は「親として崇徳院を思いやる、鳥羽院の気持ちが現れていると言えよう」と考え、元木泰雄氏は「表面上は家長として鷹揚な態度で接している」と指摘している。さて、どちらだろう。後者を取るなら悲しい親子関係と言える。前者ならば、「早く治せよ」という思いと一緒にこれまでの仕打ちを「後ろめたい」と思ってたりしたのか。内心の問題なので、真相は分からない。

 後編では、シンフォギアの翼の話と絡めていきたい。今回のものよりもなるべく短くまとめたいが、そうはいかないようだ。

 

待賢門院璋子の生涯―椒庭秘抄 (朝日選書 (281))

待賢門院璋子の生涯―椒庭秘抄 (朝日選書 (281))

 

 

 

 

 

 

 

院政―もうひとつの天皇制 (中公新書)

院政―もうひとつの天皇制 (中公新書)

 

 

 

天上紅蓮 (文春文庫)

天上紅蓮 (文春文庫)

 

 

ソシャゲに対しての雑感

 皆さんはソシャゲというものをやっているだろうか。Twitterに今回のガチャ結果がどうの、というスクショばかり貼っている人もいるかもしれない。スマホでできるアレである。

 私も、昨年にリリースされた『戦姫絶唱シンフォギアXD UNLIMITED』を熱心にプレイしている。微課金プレイだが、なかなか楽しく遊べている。

 さて、ソシャゲには様々なものがある。よく見かけるのが『FGO』だ。これは元々何クラスタだとか、そういう垣根を越えてプレイしている人が多い印象である。時々Twitterのトレンド上位に関連ワードが居座っていたりする。他にも色々あるが、名前を知っているものは多けれど、私には詳細がさっぱり分からない。恐らく私のシンフォギアXD関係のツイートを見ている方も、なんだかよく分からないと思っておられるだろう。複数掛け持ちしてソシャゲをプレイしている人もいるようだ。大学生などであれば可能なのかもしれないが、私にはとても無理だ。最近の達成ポイントを5000集めるという件など、このゲームにはオート進行も多いがそれでもやることは多い。

 私はシンフォギアXDを始めるまで、ソシャゲというものに対して冷ややかな視線を送っていた。そこまで課金していいのか。個人の自由と言えばそれまでだが、リアルギャンブルの方がまだ儲けられる可能性があるだろう、とかよくある批判だ。しかし、いざ自分でソシャゲを始めてみると、その気持ちは分からないでもない、と思うようになった。ガチャの☆5確定演出が出たりすると高まるものである。だが、それでも最低限の課金にとどめている。なお、私が課金をした場合のガチャ結果はこれまで全敗状態である。

 いくら射幸心を煽られているとしても、ある程度の年齢のプレイヤーなら、課金しすぎたのであればそれは自業自得だ。これまでの投資分が無駄になるから徹底的に金をつぎ込む。それでも常識のある人間は、ある程度まで行けば自制するものである。某クソアニメの挿入歌の歌詞を引用するなら「それこそが大人ってもんだ(文句言うな)」である。その後ガチャで爆死した人が「こーろーすーぞー♪」と思うのは自由である。犯行予告や実行さえしなければ問題ない。大人の場合、子供が親のスマホを勝手に使って課金をしまくるというのとはわけが違う。シンフォギアXDには、一か月で10万円以上課金すると通知が来るという設定がある。運営側が「これ以上は課金しすぎだ」という公式見解を示しているともいえる。これはある意味良心的か。

 酷いガチャ結果が連続すると、某クソアニメよろしく「はいクソー 二度とやらんわこんなクソゲー」という気分になる。私はこれまで二度ほどそういった心境になったことがある。「これ以上やっても時間の無駄だぞ」「当たる確率、コーエー三國志で武力が高い武将が軍師タイプに一騎打ちを挑んだ際の成立率1%以下だぞ」と言い聞かせたりする。それでも、なぜここまで引退せず続いているのか。やはり「シンフォギアだから」という一点に尽きるのではないか。多くのソシャゲプレイヤーも、その作品が好きだから、面白そうだから、という理由で始め、熱中するというパターンがほとんどだと思われる。シンフォギアXDに関しては、「シンフォギアじゃなかったらこんなのやってない」という意見をこれまで何度か見たことがある。全くその通りである。

 しかしながら、単にオリジナルシナリオを見たい、アプリ限定曲を聴きたいのであれば、ニコ動やYouTubeにアップされるプレイ動画を見れば済む話だ。なぜ時間をかけて、自分でプレイするのか。よくある解釈としては、昔から何かのカードやシール、果てはポケモン集めまで、「コレクション」という行為に親しみ、それをすることが好きな人が多かった。それが今まで続いている。こういったものだ。確かにそういった側面があることは否定できまい。誰しも、子供の頃などに何かしらを集めた思い出はあるはずである。他の理由としては、先述のように、好きな作品だからというものや、もう惰性でやっている、単にいい暇つぶしになるから、という人もいるに違いない。理由は人それぞれで、一概には言えないと思われる。

 逆に、ソシャゲを引退する時とはいつだろう。例えば大金をつぎ込んだが結局目当てのカードが出なかった場合。心が折れたということだ。他に、仕事などが忙しくてやる暇がなくなった、他のソシャゲの方が面白い(こっちのソシャゲの方が忙しい、向うは飽きた)など様々であろう。アンインストールとまではいかないが、ログインボーナスだけもらってプレイはしないという人もいるだろう。ボーナスで溜まった石でガチャを引き、いいものが出たら復帰するという寸法だ。人によって、そのソシャゲとの付き合い方・距離感は多様である。

 ソシャゲをプレイすることは義務ではないし、言うまでもなく引退するのも自由だ。これまでの積み重ねがあるから中々辞められないと思う人もいるだろう。のめり込みすぎずほどよい距離感で。やはり、これがソシャゲと長く付き合う、楽しんでやる秘訣だという結論に至る。いつかサービスが終了すれば、もう遊ぶことはできなくなる。これまで課金したものも何もかも、全て消失する。時間の無駄。そうかもしれない。しかし、そうと分かっていながら、なぜ我々はソシャゲをプレイするのか。簡単だ。結局、今楽しけれそれでよいのだ。ただ、それだけだ。深く考える必要はないのである。

積読の苦しみと反省、とある女性声優の本との付き合い方

 私は数年前から読書記録をつけている。読書記録を付けるメリットは多くあるが、いくつか挙げてみよう。

みじんこ - 読書メーター

 まず、既に買って家に置いてある本がすぐに分かるため、同じ本をまた買ってしまうという失敗を防ぐことができる。書店でスマホを片手に、「この本はもう持っている」と確認することができる。

 他に、感想を書き、要点を記録として残すことで、内容の整理と共に内容を思い出しやすくなるというメリットがある。

 私の読書メーターのページを見てくださった方はお気づきだろうか。私が最近読んだものは漫画ばかりである。なぜわざわざ漫画の感想まで残すのか、説明しよう。例えば、『のんのんびより』。最新の12巻は、2018年2月26日に発売された。では、その前の11巻が発売されたのはいつか。前年、2017年の5月23日である。この間、半年以上経っている。別の漫画の例を見てみよう。『信長の忍び』の最新13巻は、ちょうど昨日発売された。そしてその前の12巻はと言えば、やはり前年の8月29日であった。こちらも半年以上の期間が空いている。これでは前の巻の内容を忘れてしまっても仕方あるまい。いちいち前の巻を読み返すのも面倒だ。そこで、短い感想を残しておく。次の巻が出た際は、読む前にそれを見返せばよいのである。とても便利だ。

 漫画はすぐに、気楽に読める。ゆえに、そういったものばかり優先させて読んでしまう。新書や専門書は読むのに体力と時間が必要なのだ。しかし、現代では文庫化されたものであっても、後で欲しいと思った時には書店から消え、アマゾンの中古しかなくなっていたりする。だから、出た当初に「これは資料として使える」「後で読む」と思って買って本棚の肥やしにしてしまうのだ。「手元にある=必要だと思ったらいつでも目を通せる」というメリットはあるが、だんだんと溜まっていく本の数を知るたびに、気が滅入るものである。読み終わり、資料としても使わない本は段ボール箱に詰め、実家の方に送っている。母からは「床が抜ける」「売れ」とクレームが付く。

 この大量の積読があるという状況を解消するためにはどうすればいいか。断捨離か。いやそれはないだろう。無職になり、毎日読書に励むというのがベストかもしれないが、そういうわけにもいかない。ここで、私が知る女性声優二人の、読書に関する発言を見てみよう。いかにも唐突だが、読書に関して頷ける、共感できる意見だから紹介するのである。

 まずは上坂すみれさん。上坂さんはロシア文学に対して造詣が深いほか、横山三国志などの漫画も読んでいる。『上坂すみれ 25YEARS STYLE BOOK Sumipedia』では、自宅の本棚や、蔵書のごく一部が写真付きで紹介されている。そして上坂さんは、こんなコメントを残している。

 

 「本屋さんへは定期的に行くのですが、たいてい専門書コーナーで大量購入するので、積読本があるうちは次の本は買わないのが自分的ルール。」

 

 なんという正論だろうか。「積読本があるうちは次の本は買わない」という至極当然の方法を、彼女は提示しているのである。しかし、それでは先ほど私が述べたように「文庫化されたものであっても、後で欲しいと思った時には書店から消え、アマゾンの中古しかなくなっていたりする。」という状況には対応できない。しかしながら、私個人は絶対に店頭から消えたりしない、後々も残っているであろう本でさえも「新規開拓」と称して買ったりして結局肥やしにするという状況を生み出してしまっている。やはり「積読本があるうちは次の本は買わない」は胸に刻んでおくべきである。

 もう一人が花澤香菜さん。最近は「よりもい」の小淵沢報瀬役など。香菜さんは、村上春樹作品が好きだという話をこれまでに何度もしている。他にも山田詠美さんなど好きな作家名を挙げ、ラジオ「花澤香菜のひとりでできるかな?」(略称ひとかな)でも最近読んだ本の話をすることがある。

 まず取り上げたいのは、「ひとかな」の258回だ。リスナーからの、積読の話などが書かれたメールを読んだ後のコメントである。

 

 「私もあるなあ読んでない小説。なんかさ買って冒頭読んで、これは合わないかもしれんって思ったヤツってどうしても後回しになっちゃうんだよね。先に持っている好きな作家さんの本とかに走ってしまうんですよ。ダメね。なんかせっかく買ったんだから最後まで読めばいいのにね。」

 

 この後でもう2つほど紹介するが、香菜さんのこうした意見は、私の意見と全く同じなのである。確かに冒頭を読み、これは合わない、イマイチ入って行けそうにない、と思った小説は本棚に戻してしまうことが多い。もし仮に、家にあるまだ読んでいない本がこの一冊だけだったならば、しぶしぶ読み進めたかもしれない。しかし、積読状態であるならば、選択肢は数多い。別の積読に手を出す、また冒頭だけ読んで戻す、という悪循環に嵌ることも稀にある。こうして読みやすいもの、本当に好きな作家の新刊などばかりが読まれ、それ以外は肥やしのままになるのである。

 この後香菜さんは、最近は村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』を読んでいることや、読もうとしたきっかけなどを紹介。そして香菜さんは、こう語る。

 

 「自分のノッてる時に読むのが一番いいんですけど。今わりとね、ノッてるんでね。本読みたいぜ!って感じ。やっぱ読書の秋だね。なのでスイスイ読んでますよ。」

 

 この点も非常に共感できる。なぜだかはよく分からないが、「ノッている」時は本当にどの本でも読めるのだ。実に不思議だ。積読が多くあろうとも、すぐに読む本が決まる。普段であれば手を出さない積読にも自然と手が伸びる。自分の場合、その期間はあまり持続しないことが多いが、それでも、読書が本当に楽しいという気持ちになってスイスイ読めるのは気分がいい。何より積読が減る。

 次は、同じく「ひとかな」の218回。リスナーから「流行りの本を読むのと、自分が好きな作家やジャンルの本を読むのとではどっちが多いか」という質問を受けての回答だ。

 

 「私、両方かな。その時本屋に行ってこういう系の本が読みたいなって思って探し始めるのと、あと本屋に大抵今月の売れ筋ランキングみたいなのが載ってるじゃないですか。ああいうの見て他の人たちがどんな本を読んでるのかって分かるじゃないですか。その中で興味があるものがあったらじゃあ私も読んでみよって思って読んだりしますね。なので両方かな。」

 

 この後、でも正月は村上春樹三昧をしたということについて語っている。ここでの香菜さんの回答は、どちらにしても「本屋に行く」ということを重視していると受け取ることができる。前出の上坂さんも同様だ。そして私も、基本的に本屋に行くという点は同じだ。絶版などで中古しかないという場合などはアマゾンを利用する場合もある。しかし、私は本屋で探し始めるのではなく、事前にネットの評判なども調べてから「帰りに寄って○○という本を買う」と決めた状態で本屋に行く。その点では香菜さんと異なる。しかしながら、やはり本屋に行くメリットは大きい。買うと決めた本がある棚まで行く時間。そして、その棚で探す時間。その過程で、偶然自分が知らなかった面白そうな本に巡りあえるのである。こうした経験を持つ人は多いことだろう。そして首都圏の大型書店では、時折り著者サイン本が入ったりする。古書店などを利用せず、存命の作家のサイン本を定価で入手できるのもリアル書店の魅力である。

 今回はこのくらいにしておこう。こんな記事を書いている暇があるなら1冊、いや1ページでも読めという話である。

『ユリイカ』岡田監督インタビューから考えるレイリアとメドメル~「さよ朝」考察続編~

 さて、これまで「さよ朝」についての考察を様々行ってきた。今回の話も、一部それを踏まえたものとなるので過去記事も合わせて参照していただきたい。

 

konamijin.hatenablog.com

konamijin.hatenablog.com

  前回はスタッフ座談会本から、レイリアとメドメルの最後の場面について考察した。そして今回は、『ユリイカ2018年3月臨時増刊号 総特集岡田麿里』における、岡田監督(脚本も担当)のロングインタビューから、あの場面についてもう一度考えていきたい。聞き手は上田麻由子さん。ロングインタビューというだけあってなかなかの文章量があり、「さよ朝」の制作に関する話や、岡田監督自身のことなどが語られている。

 岡田監督は、マキアに助けられ、レナトに乗るレイリアが「私のことは忘れて」と言う場面について、堀川さん(堀川憲司)から「意味がわからないと言われました」と語っている。確かに堀川さんは座談会にて、「なぜレイリアが娘を切り捨てて、自分は新たな道を行くという」感情になったかが、「分からない」と言っていた。

 それを聞いた上田さんは、「あそこって百合っぽさも感じました。女の子ふたりでこの世界から逃れていく(中略)せつなくも清々しさもあって。」と応じる。それに対し岡田監督は「そう、清々しくしたいと思っていて。」と答えている。なるほど、百合っぽいかどうかはなんとも言い難いが、少なくともこれまでの生活に別れを告げ、新しい一歩を踏み出すという清々しさは感じられるというものだ。問題は、堀川さんの言うようになぜそういう感情に至ったか、ということだ。

 更に、岡田監督は、あの辺りの場面は「全体的に好きなシーン」だと語り、こう言っている。

 

 「むしろそのあとのメドメルの「お母さまってお綺麗な方なのね」という台詞がすごく気に入っているんですよ。許したり許される物語が好き。あの台詞はレイリアには聞こえていないんだけど、あれでレイリアもメドメルも救われたなと私は思っていて。」

 

 メドメルのセリフは、レイリアがレナトに乗って飛び立ってしまった後のセリフなので、当然レイリアには聞こえていない。もしメドメルが「なぜ行ってしまうの」と言って泣いたりしていたならば、それはレイリアに対する許しにはならないだろう。むしろ観た人に「かわいそうだ」という感想を持たせてしまう。メドメルはレイリアを許したという解釈は成り立たず、メドメルは一人ぼっちになってしまったと思うだろう。

 しかし、前にも述べたように、メドメルの声からは怒りや悲しみの感情はうかがえない。あるがままを受け入れ、達観しているかのようですらある。「あれでレイリアもメドメルも救われた」ということは、メドメル自身も「救われた」ということだ。レイリアも、「自分は母親らしいことは何もしてあげられなかった」という思いが、どこかにあるに違いない。一方でメドメルには、「今更何しに来たの」といった感情ではなく、「ああ、これが私のお母様なのか」という思いが残った。レイリアが荒れていた頃、メドメルも母の話をしようとして口をつぐんだ場面があった。以前書いたが、メドメルは「母親というものはよく分からない(愛情を受けたことがない)けれど、レイリアが自分を生んでくれて、大切に思っていてくれた人」ということは伝わった。だから最後に顔を見れてよかった、と思った。それが二人が「救われた」ということの意味ではないだろうか。

 話は前後するが、聞き手の上田さんは、アニメ評論家の藤津亮太さんが「あれ(※レイリアの私のことは忘れてというセリフ)は娘のことを思って心にもないことを投げたんだよ」と言っていたというエピソードを紹介し、一方で自分(上田)は「(レイリアが)自分のために言っているように聞こえたんですよね。執着からの解放というか。」と述べている。それに対し岡田監督は「うん、どちらもあると思います」と答えている。

 藤津説を取るのであれば、レイリアは本当は自分のことを忘れて欲しいとは思っておらず、心のどこかで覚えていて欲しいと思っている。しかし、逆に「私のことを忘れないで!」と言ってしまえば、幼いメドメルは生涯に渡って、どこかで母親のことを思い出したりするだろう。「忘れて」と言うことで、自分(レイリア)のことなんか気にしないで、自分の人生を歩みなさいと伝えたということか。

 そして上田説。「私のことは忘れて」はメドメルに対して言ったものでもあるだろう。そして、レイリアが自分自身に言い聞かせたもの、すなわち自分の娘への最後の執着(迷い)を振り払うためのもの、であるという説だ。

 確かにどちらの説も頷けるものがあるが、個人的には藤津説を推したい。自分のことを忘れなさい、と言うことは、確かに別れを意味するかもしれない。しかし、その言葉の中にあるのは、娘を思う母親として示した最後の優しさではないだろうか。

 

 岡田監督は、以下のようにも述べている。少し長くなるが、重要な指摘であるため引用したい。

 

 「自分の孤独を埋めるために執着したものの結果、多くの大切なものを失ってしまった。その執着したメドメルに「あなたは誰?」って言われた瞬間、レイリアは自分自身の思い込みの間違いをつきつけられたんですよね。だからこそ執着から解放されたし、同時にメドメルに対しても、これから先の人生で自分に縛られて欲しくないと願っている。」

 

 岡田監督の言う「自分自身の思い込みの間違い」とはどういう意味だろう。物語の中盤。レイリアは会えないメドメルに執着し、荒れる。そして国の滅亡の間際になっても、自分は娘のメドメルに執着していた。元恋人のクリムの誘いすらも断った。そしてクリムは撃たれ、死んだ。それ以前には、助けに来てくれた仲間たちも死んでいる。それだけ執着していた娘だったが、逆にメドメルは母親である自分を必要としていなかった。顔すらも知られていなかった。それによって、「この子と私の間には、全然違う時間が流れていたんだ」と悟ったこと=「執着から解放」される、「間違い」を悟ったということなのか。

 そして、「メドメルに対しても、これから先の人生で自分に縛られて欲しくない」と願う。その思いが、レイリアを「飛ぶ」という行為に走らせたのだろう。ならば、やはり自分(レイリア)がいなくなった方がメドメルにとっていいことだ=「自殺」しようとしていた、と解釈することも可能であるという話になってくる。

 座談会本にて、堀川さんは「レイリアが自殺しようとしていた」という考えを述べていた。それについても、岡田さんはこのインタビューにてこう答えている。

 

 「その意見には驚きました。でも、たしかになと。自殺って、ある意味で究極の解放なのかなっていう気がしないでもない。」

 

 この物語の脚本を書いたのは岡田監督である。ゆえに、「その意見には驚きました」ということは、岡田監督の頭にレイリアは自殺しに来た、という解釈は存在していなかったということになる。後で作品を観た堀川さんの意見を聞いて「なるほど、そういう解釈もできるんですね」と思ったのだろう。確かに、現世において、自分に関係する全てのものから逃れるには、自殺という選択は「究極の解放」となりえる。こう書くと私が自殺願望を持っているかのように受け取られる方もおられるかもしれないが、そういうことではない。

 自殺説を採用しないのであれば、これまで過去記事で考察してきた通り、レイリアは娘のいる場所を知っており、会いたいと思ってあそこにたどり着いたのか。彷徨い歩いた末の偶然なのかのどちらかになるだろうか。そもそも、レイリアの「飛ぶ」という行為の真意は何なのか。

 岡田監督は、あのシーンに関して次のように述べている。

 

 「(レイリアが)「飛んでおいで」って(マキアの)声を空耳するところも、危うさの方向にも振れますよね。あれも、スタッフのあいだでは「マキアは実際に言った」「言ってない」って論争があるんですが、私が答えを言おうとすると止められるんです(笑)。」

 

 この点に関しては、座談会本で堀川さんが、マキアに助けられたレイリアの表情が「キョトンとしてる」という点や、レイリアの声が「マキア?」と疑問形になっているという点から、レイリアはマキアがレナトに乗って来ることを知らなかったのでは、という説を述べていた。私もこれに同意した。

 このインタビュー記事を読む限りでは、岡田監督は「声を空耳する」という表現を用いている。岡田監督が「私が答えを言おうとすると止められる」と言っているので、やはり「答え」=正解はあると考えてよい。「空耳」であるならば、やはりマキアは「飛んで」という声を発しておらず、あれはレイリアの幻聴。飛んだところを偶然救われたと解釈できるだろう。

 レイリアは自殺する気はなかったが、かつての恋人であったクリムとも決別することとなり、国も滅亡寸前。マキアも生きているのかわからない。そんな状況下で、自分を死へと導くことになる「飛んで」という幻聴が聞こえたとしたら。それが「(精神状態の)危うさの方向」ということになるのか。ここは私の推測でしかない。

 ここからは自分の仮説である。以前の記事で、レイリアにとって「飛ぶ」という行為は、「自由」の象徴だと言うことができるのではないか。と書いた。岡田監督の言うように、レイリアはメドメルに対する執着から解放された。つまり、自由になったということだ。娘と自分は交わることがない。彼女は、自分のかつての生活のことを思い出した。それが、自分はイオルフの民で云々、という語りにつながる。昔の様々な思い出が胸に去来する中、かつて自分はマキアに対して「飛んで」と言い、怖がって飛べない彼女に「弱虫」と言った。今度は、マキアから「飛んで」と言われているような気がした(空耳)。そこで「私は飛べる(=また自由になれる)」と思い、何かに導かれるようにして飛んだのではないか。自由への飛翔だ。その行為が、結果的に死につながるとしても(マキアが助けに来ていなければそうだろう)、彼女自身は死のうと考えて飛んだのではない。自由を求めて(手に入れようとして)飛んだのだ。

 この点、やはり解釈が非常に難しい。前にも言ったが、「あなたの意見は違う」と思ってもらって構わない。ぜひ貴方の解釈を教えてほしい。岡田監督、もし答えがあるのなら、いつか聞かせてください。

 

 おまけ

 出演声優陣は、岡田監督がこれまでに関わった作品にも出演していた人たちが多いが、オーディションがあったという。それについて、岡田監督はこう答えている。

 「茅野さんはオーディションでやった、レイリアがイゾルに詰め寄るシーンがすごかったんですよ。業というか、この人どんな人生送ってきたんだろうって思うくらいに。わりと親しいはずなのに、「この人はまだ隠してることがいっぱいあるのかも」と底知れなさを感じて。」

 以前に触れたが、実際に放映されている映画の方でも、茅野さんのあのシーンの演技は鬼気迫るものがあった。レイリアの心情が色濃く出たシーンであるといえる。茅野さんがあそこまでやるというのもそうそうないのではあるまいか。あのシーンは何度でも見返してみたいと思わせるシーンである。

 

 

終わりゆく今期アニメ作品と視聴アニメの選定方法~出演声優採用など~

 はやいもので、今年に入ってから始まったアニメ作品たちが軒並み12話、13話となった。つい先日はクソアニメこと『ポプテピピック』が最終回を迎えた。ここまでTwitter(ネット)全体で大盛り上がりした作品はなかなかない。個人的には『星色ガールドロップ』が見たかったのだが、こちらは二期が決定したというしこれは期待せざるを得ない。

 自分の見ているものの中では、これから『りゅうおうのおしごと!』、そして明日は「よりもい」こと『宇宙よりも遠い場所』が最終回を迎える。この二作の声優ラジオを聴いていても、ラジオも次回ないしあと二回で最終回です、という話をしていた。こうしてアニメが終わる度に、視聴者たちは、「二期がいつかあったらいいな」などと淡い期待を抱いたりする。そして、今後のグッズ展開や、出演声優陣のイベント(その作品の放送が終わって暫くしてから開催されることが多く、円盤に優先販売申し込み券が封入されるというパターンがほとんどである)が楽しみだ、と思っていたりするものである。

 個人的に、来期は『信長の忍び姉川・石山篇~』があり、2クールあるため来期も続く『バジリスク 桜花忍法帖』は視聴するつもりである。偶然だが、両作品ともに忍者ものであり、主人公の女の子の声優が水瀬いのりさんである(しかもどちらも伊賀の忍者)。

 さて、今期に限らず、我が国では毎期膨大な数のアニメ作品が放送されている。仕事をしていない、大学生である、といった人は別だが、全ての作品を見ることは非常に難しい。作品の数、すなわち選択肢が多いことはいいことかもしれないが、逆に選ぶのを難しくさせているという面もあるかもしれない。ゆえに、我々はある程度視聴する作品を絞る必要がある。もし放送終了後にその作品が気になった場合は、レンタルを利用するなり円盤を買うなりすればよい。

 では、いかにして視聴する作品を決めていくか。私の選定方法は、三種類ある。まず、以前自分が視聴していた作品の二期。これは当然視聴したくなるだろう。私の場合は『信長の忍び』や『干物妹!うまるちゃんR』などがそれだ。以前見ている作品であるため、キャラクターの名前なども覚えている。すなわち、全く新しい作品を見る際のように、作品情報や事前知識などを仕入れる必要もない。

 そして、二つ目は、単純に自分が興味がある作品や、原作を読んでいてそれがアニメ化されたという作品を見る。今期の場合は『りゅうおうのおしごと!』や『ポプテピピック』がそれだ。『りゅうおうのおしごと!』は将棋を題材にした作品であり、以前から興味を持っていた。『ポプテピピック』も同様である。「原作を読んでいてそれがアニメ化されたという作品」は、やや先ほどの話と重複するが、やはりキャラクターの名前や展開を知っているため、事前知識が不要で作品に入っていきやすい。原作ではこうだけどアニメではカットされた、オリジナル要素が加わっている、などといった点からの視聴方法も可能だろう。

 そして、最後の一つがタイトルにもある「出演声優採用」である。声豚諸氏はやったことがある人が多いと思う。新作アニメは、キービジュアルなどの他に、事前に主な声優陣が先行公開となる。それを見て「好きな○○さんが出ている」ということで視聴を決定する、というものだ。別の例であれば、「あのドラマ・映画に○○さんという自分が好きな俳優・女優がメインの役どころで出ているから見てみよう」というのと同じだ。

 私の場合、水瀬いのりさんの出演作品を見ることが増えている。例えば今期では「よりもい」がそうだし、その前の『少女終末旅行』もそうだ。思えば、今では特にはまっている『戦姫絶唱シンフォギア』シリーズも、いのりさんではないが出演声優採用で視聴を始めた作品であった。まさかここまで続くコンテンツになるとは思っていなかった(一期は初見の際は色々となんだこれは、という感じだった)。これもめぐりあわせである。出演声優採用をすることで、その声優個人のラジオ番組などで、作品の話が出た際に「ああなるほど、あの回はよかったな」などと思うこともできる。実写特番なども楽しく見ることができる。

 更に、別のメリットもある。自分が絶対に見ないような作品を、そこから知るきっかけになる、ということだ。例えば『徒然チルドレン』。高校生の男女の様々な恋の在り方を描いた漫画作品だが、やはりいのりさんが出ていなければ、見なかったに違いない。「歴史もの」など、個々の視聴者の好きなジャンルというものはバラバラである。ゆえに、その枠から大きく外れたものを視聴するという考えにはなかなか至らない。その時間で何か別の好きなことをした方がいい、という考えになったりもする。しかし、出演声優採用では「まず見てみようじゃないか」ということになる。そして、実際見てみたら面白い、感動した、という感想になる。続いて、原作を買い求めたりもする。最初は声優目当てで見始めたが、それまで自分が全く知らなかったor知ることがなかった、面白い作品に出会えるのである。案外悪くないものだ。むしろプラスである。

 

 今日はこのくらいにしておこう。来期も私は出演声優採用をするつもりでいる。どんな作品に出会えるか楽しみだ。しかし、あまりに多くの作品を見るのは逆に負担が増えて苦になるし、少ないとちょっと寂しい、という気持ちになる。時間は限られている。何事もほどほどに自分が楽しめる範囲で、が一番である。

『さよならの朝に約束の花をかざろう』こと「さよ朝」のスタッフ座談会本から再考するレイリアとメドメル

 さて、今回はさよ朝考察の補足である。前回の感想、考察に関しては、以下の記事を参照していただきたい。 

konamijin.hatenablog.com

 

 前回の記事でも言及した、「スタッフ座談会本」を読んだ。本とはいっても、数ページの小冊子である。監督・脚本を担当した岡田磨里さんたちが、制作現場の話などを自由に語り合っている。今回は、これをもとに自分が思ったことなどを書いていく。

 その中に、レイリアとメドメルの最後の場面に言及されている部分がある。メドメルの姿を見たレイリアは、なぜ飛んだのか(この辺りの概要は、前回の記事で詳細に書いているので参照していただきたい)。

 私は、「きっと作者は答えを持っている。そうでないと、なぜあえてああいった描写をしたのかという意味が不明確となる。」と書いた。この場合、「作者」は脚本の岡田さんということになろう。座談会の中で、堀川憲司さん(プロデューサー)、平松禎史さん(コア・ディレクター)のあの場面に関する意見を聞いていた監督の岡田麿里さんは、こう述べている。

 

どうしよう。私なりの答えはあるんだけれど、ここでは言わない方がいいのか(笑)。

 

 やはり、岡田さんは自分なりの答えを持っているのである。その答えは、座談会の中では語られていない。一方で、岡田さんは、こうも述べている。

 

普通であれば、一つのシーンでここまでそれぞれの受け取り方が違うって、アニメ作品としては問題だと思うんです(笑)。でも、枠にとらわれずに描いてみたかった感情を描いたら、こうなってしまって。」

 

 なるほど。「受け取り方」、すなわち答えは観た人それぞれが抱いたものでいいということだろうか。あまりにも突拍子もない解釈は「違う」だろうが。岡田さんの「答え」が、いつか語られる日が来るのだろうか。

 

堀川さんの解釈

 では、最初に先述の堀川さんの意見を見てみたい。堀川さんは、レイリアは塔に登ってきた時点で、最初から飛び降りて死のうと覚悟を決めていたと考える。そして娘(メドメル)を見て「会えた」と納得した後で駆け出した(自殺しようとした)としている。しかし、なぜ会えたことに納得してそのまま死のうと思ったのか(マキアの乗るレナトが拾い上げに来ることは知らないという解釈)、そしてマキアの乗るレナトに救われた後に、なぜ「娘を切り捨てて、自分は新たな道を行くという」感情になったかが、「まだ分からない」と述べている。

 ここで私の意見を述べたい。前回の記事で、レイリアがメドメルのいる塔にたどり着いた点について、「彷徨い歩いた末の偶然か、あの後イゾルがメドメルの居所を知っていて、教えたのか」という解釈(想像)を提示した。なるほど、堀川さんの言うように最初から死ぬために訪れたという考えは私にはなかった。死ぬつもりであるなら、戦死した兵士たちの剣でも拾って自らを刺せばいいのではないか。レイリアは、腹の赤ん坊を尖った髪飾りで刺す素振りをみせたことがあったし、そういった死に方ができないというわけでもなさそうだ。それに、かつての恋人・クリムの誘いを断ってまで、彼女は娘に会うことに執着した。そんな彼女が、娘の顔を見る前に死のうとするだろうか。メタなことを言えば、あそこでレイリアとメドメルが最後にめぐり合うのは展開の都合上必要な場面ではあるのだろう。やはり、レイリアはメドメルが王宮のどこに住んでいるかを知っていた、もしくはイゾルに教えてもらった。それで、あの塔に行けばもしかしたら会えるかもしれない、という最後のかすかな希望を持ってあの場所に向かったのではないか。メドメルは王族であるため、本来であれば国王と皇子とともに退避していてもおかしくないのである。しかし、メドメルはどうするかと問う兵士に対して、父親である皇子・ヘイゼルは「ええい、あの忌まわしい化け物(レイリア)の子など捨て置け」と言った。ヘイゼルに、父親としての娘を思う気持ちが少しでも残っていれば、メドメルはあの塔にはいなかったはずである。レイリアが最初から娘の顔を観たら飛び降りて死のうと思っていたのか、会えなくても飛び降りようと思っていたのか、までは分からない。

 しかし、レイリアは、あれで本当に「納得」して死のうと思ったのだろうか。これ以前の時期に、レイリアは「(メドメルの)匂いも抱き上げた時の柔らかさも忘れかけてる」と狂気に取りつかれたような表情を見せた。それならば、最後にせっかく会えたのだから、成長した娘を抱きしめてあげればいいではないか。それこそが「匂い」を感じるための方法だ。マキアとエリアルの場合、マキアはエリアルの匂いを「お日様の匂い」と表現し、少し成長してもやっぱり変わってない、と言う場面がある。レイリアも、メドメルを一度抱きしめてあげれば、その匂いから、成長してもやっぱり自分の娘だ、と感じることができたのではないか。それとも、レイリアのあのセリフからまた時が経っているため、彼女は完全に娘の匂いを忘れてしまった。ゆえに、娘の匂いを感じるという行動をする(抱きしめる)ことはしなかったのか。

 

平松さんの解釈

 平松さんは、「あそこはマキアの声が聞こえてきて、背中を押されるかたちで駆け出す(※レイリアが、執筆者補足)演出」になっていると指摘している。すなわち、レイリアは今の自分を全てを捨て、再びマキアと一緒にイオルフの民として生きようとして飛んだのだと。確かに、「私は飛べる」と、活力のようなものも感じさせる声と演出にも見える。

 一方で、先述の堀川さんは、マキアに助けられたレイリアの表情が「キョトンとしてる」という点や、レイリアの声が「マキア?」と疑問形になっているという点に着目し、レイリアはマキアが助けに来ることを知らなかったと考える。だから自殺なのだと。確かに、レイリアの反応に関しては、私も堀川さんと同じ印象を受けた。その声から、レイリアは意外そうな反応をしているように思う。

 レイリアの「飛ぶ」という行為は、物語の序盤で川の流れに向かって崖から飛んで笑っていた、怖がって飛べないマキアに「弱虫」と言っていた、かつてのレイリアの姿を思い起こさせる。そして、メザーテに捕らわれた後、彼女は竜のレナトに対して「あなたは翼があるのにどうして飛んで行かないの。弱虫」というようなセリフを言っていた。レイリアにとって「飛ぶ」という行為は、「自由」の象徴だと言うことができるのではないか

 最後の場面に話を戻そう。レイリアは、自分はイオルフの民で云々、という話をした後に飛ぶ。彼女は再び自由を取り戻す=かつての生活に戻る、という意図で飛んだとも考えられる(平松説)。一方で、昔を思い出すと共に、ここで全てを終わらせて自由になろうという意図で飛んだ(堀川説)とも考えられる。どちらにも解釈が可能なのだ。

 少し話題を変える。他に、平松さんはレイリアのメドメルに対する「私のことは忘れて。私も忘れる」というセリフを、メドメルがしっかり聞いているように描くかどうかで迷う、と述べている。そのうえで、メドメルが母のレイリアについて「お綺麗な方なのね」と言う点に注目し、「忘れて」と聞こえているのに(親子の縁を切られたのに)そう言うか?という点を不思議に思っている。

 レイリアは、レナトの上から大声で叫ぶように「忘れて」と言っているので、恐らくメドメルにも内容は聞こえていると思う。前回の考察でも述べたが、メドメルは「母親」というものがどういったものか、漠然とは知っている。しかし、実際にその人(レイリア)に触れた、愛情を感じたことがほとんどないので、母親ってどんなものなんだろう、という本質が分からないのではないか。今回めぐり会うまで、母親の顔も知らなかった(レイリアの姿を見たメドメルが、開口一番に「誰?」と言っている)。ゆえに、「自分を生んでくれて、大切に思っていてくれた人」ということはなんとなく伝わった。しかし、母の愛というものを知らない彼女は「名残惜しい」という感情にはならなかったのではないか。最後に会えてよかった。ただ、一緒にはいられなかったというこれまでと同じ状況に戻るだけなのだ、と思ったのではないか。まだ小学生くらいに見える子供がここまで考えられるかは疑問ではあるが。

 

石井さんの解釈

 最後は石井百合子さん(キャラクターデザイン・総作画監督)の意見である。石井さんは、レイリアとメドメルの邂逅について、以下のように述べている。

 

「あそこでメドメルと出会った時は「終わった」という顔を描いたんですよ。自分の娘を見て自分と大して変わらない子が立っていたら「終わった」ってなるじゃないですか(笑)。」

 

 レイリアは不老であるため、姿が変わらない。しかし、メドメルは同じ特質を宿していなかったため、成長する。レイリアは赤ん坊の頃の彼女の姿しか知らない。前回考察したように、「私はメドメルに会えなくて母親として何もできなかったし、彼女ももう母親というものを必要としていないんじゃないか」という思いになった、ということだろうか。

 

 以上、少ない情報の中から、色々と膨らませて考えてみた。岡田監督の言うように、同じ場面であっても本当に観る人によって解釈が変わってくる作品である。本作を観た方は、あの場面を自分はどう感じただろう、とぼんやり考えてみて欲しい。