憂きまど

タイトルは「憂き事のまどろむ程は忘られて覚むれば夢の心地こそすれ」より。某大学国文学修士の人が趣味丸出しでおくる、アニメや小説の感想を中心になんでも。超気まぐれ更新。読んだ本はこちら→https://bookmeter.com/users/337037 Twitterは→@konamijin

『BLACK CAT』と『バレンタイン・ハンター』に見る渕上舞の女子観~彼女の描く女子像とは~

はじめに

 さて、またしても久々の更新である。ここの存在は忘れていたわけではない。ただ単に、だいたいの話がTwitterで短くまとめれば済む話であるためだ。そのほか、自粛期間でイベントごとがない代わりに、自分でもうんざりするほどに積んである本を読もうと思った。それに時間が費やされていくのである。

 今回の執筆テーマは表題の通りだ。Twitterをフォローなさっている方々はご存じの通り、私は声優オタクである(最近、アイドルオタクなのではないか?という意見も寄せられるが、完全に否定はできなくなっているのもまた事実である)。

 そちらの界隈で、記事執筆運動とでも言うべき流れが発生し、私もその一環として、一つ書いてみる機会を得たわけである。

 『BLACK CAT』と『バレンタイン・ハンター』、この二曲をまだ聴いたことがないという方々は、ぜひ先に下記リンクからご視聴いただきたい。

 


渕上 舞 「BLACK CAT」

 

 


渕上 舞「バレンタイン・ハンター」

 

 本稿では、これらの楽曲の歌詞のフレーズを適宜ピックアップしていき、作詞者=渕上舞さんが、どのような女子像を描こうとしているのか考えていきたい。もちろん、私の自由で勝手な解釈であるので、それは違うと思う、などといった意見もあって構わない。なぜそれを最初に断っておくかといえば、これらの歌詞に対して、多分に私が物語性(想像)を盛り込んだためだ。

かなり長くなっているので、退屈な移動時間にでも読んでいただければと思う次第である。

 

BLACK CAT』の歌詞を読む

 まずは『BLACK CAT』から見ていこう。この楽曲について考えていくうえで、最初に、歌っている本人でもあり作詞者でもある渕上舞さんのインタビュー記事に触れていく。下記にそのまま引用する。

 

「「BLACK CAT」がそうだったんですけど、私が女の子の気持ちを明け透けに書くと女性と男性で受け取り方がまあ全然違って面白いんですよ。男性は私の言葉すべてをいい方向で捉えようとするというか。」

 

「「女にはときにはほかの女の子とライバル関係になって、マウントを取り合う局面もあるんだよ」ということをコミカルに切り取ったつもりなんですけど、男性ファンの方からは「『BLACK CAT』の歌詞がすごく女の子らしくてかわいかったです」って感想をいただいたりして(笑)。」

https://spice.eplus.jp/articles/264581

 

 つまり、この楽曲の歌詞解釈をするうえで、男性的な視点からいい方向で捉える(女の子らしくて可愛い歌詞だな、とのみ受け取る)のは必ずしも正しくないということだ。そうであるならば、男性である私が逆に非・好意的な見方をあえて提示しよう。それは、ワードのチョイスなども含めて実に可愛いらしいとは思うが、本質は恐ろしい女性を描いた歌詞である、という解釈をしていくものである。

 他にも、彼女はこの楽曲について次のように語っている。やや長くなるが、こちらも重要であるため、そのまま引用させていただく。

 

「こういう歌詞を書くの、すごく好きなんですよ。さっき、カフェに行って周りにいる人の話を聞くのが楽しいと言いましたけど、女性グループの会話は本当に「BLACK CAT」の歌詞みたいなんです。中でも大学生ぐらいの子たちの会話が一番面白いですね。「やっぱり彼氏にするには年収1000万はないとダメ」みたいな。」

https://natalie.mu/music/pp/fuchigamimai/page/3

 

「「BLACK CAT」は、旅する国の中では都会をテーマにしています。便利なことや楽しいことも溢れてるけれども、そこにはちょっとひねくれた人がいたり、汚れた部分もあるという歌です。日頃の不満を言う女の子、「裏垢女子」みたいな感じがいいなと思って。表ではキャピキャピを演じているけれども、家に帰れば文句ばかりつぶやくみたいな(笑)。そこがタイトルにもある子猫ちゃん要素であり、ブラックな部分。恋愛って、ドロドロ要素もありつつもでも女の子が一番輝く瞬間でもあるから、そこをうまく混ぜ合わせてできないかなっていうところで、恋愛要素を入れつつの女の戦いという内容になりました。ただ、スタッフ陣からは、聴いて文句ばかり言われていると嫌な気持ちになるから、その中にも、共感できるところを入れたいという意見があり、それらを採り入れてこのような歌詞になりました。」

https://akiba-souken.com/article/38094/?page=2

 

 こうした内容を踏まえたうえで、ここから歌詞を順番にピックアップして見ていこう。

 

「ねぇねぇ見て見て!限定のlipstick Kiss me似合ってる?上目遣いchance Target!Lock on!私の手の上で ほら 踊る姿やみつきなの(やめられないの)」

 

 ここだけを取り上げても、この女性は自分自身の見せ方を心得ているといえる。これまでの経験から得たテクニックなのか、元来の才能なのか。「ねぇねぇ見て見て」という良い意味での軽さ(これが「キャピキャピ」というヤツか)。「lipstick」がわざわざ「限定」なのも注目すべきポイントだ。自分はそういう限定モノを使っていて、おしゃれへの意識が高い、ちょっと特別な女性というアピールのように思える。こういうものを自慢したい、それにより褒められたい気持ちなどは、先ほどのインタビュー記事にあったように同性であれば「共感」する要素なのだろうか。そして、狙いを定めた相手には上目遣いで愛嬌たっぷりに近づいていく。そうすると、自分の手の上で踊る男性が出来上がる。この歌詞からうかがえるのは、そんな男、チョロいな!という余裕である。それは同時に自分自身の女性的魅力の証明となり、何度でも味わいたい甘美で中毒性のあるものになっていく。

 

「女はみんなライバルだから 平和主義だなんて言ってらんないじゃん?わかる?」

 

 こんな話をご存じだろうか。我が国の選挙では、中年のおじさん政治家に対して、それよりも若く経歴もしっかりとした新人の女性を対抗馬として立て、勝利するという戦略が取られることがある。メディアで小泉チルドレン小沢ガールズと呼ばれた人々だ。では逆に、権力を既に得ている政治家の女性に、次回の選挙ではどう勝とうとするか。やはり同性(女性)を対抗馬にするのだ。そうすることでメディアは「〇〇選挙区は女性同士の戦い!」と面白おかしくワイドショーなどで取り上げるようになるのである。つまり、女性にとって一番のライバルとなり得るのは、まさしく同じ女性なのである。平和主義などはきれいごとでしかなく、同性の中でいかに自分を際立たせるか=他の女子を上から見下ろし、マウントをとっていくかに力を注ぐ。男たちの知らない、そんな軍国主義的暗闘が水面下では行われているのだろう。

 

「もうちょっと近づく頃には 私のルールでKnock down ギュッと握り返して欲しいの

瞳閉じてwaiting」

 

 注目すべきは、「私のルールで」という点。このテリトリーの支配者は男性側ではなく女性側であり、そのルールに反して近づいた者は容赦なく打ち払われる。男性は、彼自身でも気づかぬうちに、ある種の「支配」を受ける側に立つこととなるのだ。本質はそうであるにも関わらず、男性側は更に彼女の魅力に引き寄せられる。

 

「嘘つきなMy Love 私だけSweet Heartよそ見はしないで 手まねき まばたき 甘い声出しちゃって」

「意地悪にMy Love あなただけSweet Heart狂わせて こっち向いて 遊び飽きるまで

Can’t stop」

 

 こうなった後は、「甘い声」などで相手を魅了しつつ、「遊び飽きるまで」そうした関係を続けていくのである。遊び飽きられたらどうなってしまうのか。そして男性は、先述の通り彼女の魅力から逃れがたいという状況にある。

 

「ねぇねぇ知ってる?あの女(こ)の胸のjewelry Oh oh…運命のイニシャルなんだって(笑)

Danger!Keep out!思わぬ落とし穴 嫌んなっちゃう それって挑発?私のエリアでGo away」

 

 さて、ここから二番だ。女友達同士の陰口的会話なのか、意中の相手(男性)との会話なのか。普段の軽いノリ、テンションで、他の女性の胸のアクセサリーを小ばかにする。なかなか意地が悪い。もしかしたら、わざわざ当人に聞こえるように言っているのかもしれない。歌い方も、そんな雰囲気が感じられる。狙いを定めた男性と自分がいるエリアに意図して入り込んで来ようとしている別の女性(ライバル)のそうした情報を得て、貶めている。それも、「あいつ痛いよね~」と、話の相手に同意を求めているかのような。そういった調子で、侵入を試みる邪魔なライバルを徐々に「排除」していくのだろう。

 

「強く熱く抱きしめてみて 埋め尽くす程ココロ戯れてJust kidding」

 

 ここでは遂に情熱的な愛の感情が芽生えてしまったのか、と一瞬思わせるが、最後に「Just kidding」が付くことで、あくまで戯れ、冗談であることが分かる。しかしながら、こういった態度を取られると、男性側としてはむしろドキドキするものである。チョロい。

 

「バカみたいMy Love 私だけSweet Heart 何か物足りない ときどきドキドキ 刺激をちょうだい、なんて」

 

「大胆にMy LoveあなただけSweet Heartおかわりは お預けね オトナの駆け引き ご機嫌取りは もうたくさんよ すり抜けたら holding」

 

 男性側も、この女性に対して気を引こうと「ご機嫌取り」を試みる。それは高価な品をプレゼントをするのかもしれないし、愛の言葉を語るのかもしれない。しかし、そこは経験豊富な彼女。異性からそういった扱いを受けることに慣れているのだろう。もっと刺激的な何かを求め、その程度では満足しないようである。

 

「嘘つきなMy Love 私だけSweet Heartよそ見はしないで 手まねき まばたき 甘い声出しちゃって」

 

「意地悪にMy LoveあなただけSweet Heart狂わせて こっち向いて 誘って だって仕方ないよね もっとワガママ聞いて お願い Can’t stop」

 

 女性は意図して男性を支配しているが、男性側はそこに恋人としての本当の愛を感じているのではないか(むしろ、自分が彼女を支配できていると勘違いしているかもしれない)。そんな男性を、女性はまるで猫のような「手まねき」や「甘い声」で引き続き翻弄していく、それで満たされるようでいて、まだ満たされていないといった具合である。

ここまでこの楽曲に登場する女性へのある種の「狡猾さ」を明らかにしてきたわけだが、それでも私はこの楽曲に対し、確かに「憎めない感じとかかわいらしさ」を感じざるを得ない。それは可愛いMVや歌声の影響も加味すべきか。ただ、男性側からすれば、そういったある種の「あざとさ」を持った女性に弱いという人も少なくないのでは、という単純化された説明だけでいいのかもしれない。

 

バレンタイン・ハンターの歌詞を読む

 続いて扱う楽曲は、『バレンタイン・ハンター』である。こちらの楽曲は、ご本人がインタビューで語っている通り、「ワケがわからなくてもいい曲なので、命を懸けて“バレンタイン”という名の戦場に赴く女戦士」を高らかに歌い上げた楽曲である。

この楽曲のMVの中で、舞さんは手に大きな旗を持っており、さしずめそんな女戦士たちをまとめ、勝利へと導く女神か、はたまた総指揮官のようなポジションか。

バレンタインデーを扱った楽曲は数多く存在する。有名どころであれば、国生さゆりの『バレンタイン・キッス』の名前がまず挙がるであろう。アニメ・声優関連では、アイドルマスターにおける『バレンタイン』や井口裕香の『Valentine Eve』などを挙げたい。アイドル界では私が推している純情のアフィリアの『魔法のチョコレート伝説』といった楽曲が存在する。

 これらの楽曲に共通しているのは、バレンタインデーというイベントは「一年に一度しかないチャンス」であると位置づけている点にあるといえる(『魔法のチョコレート伝説』は、「ああ 一年はあっというま 一日は長いね」がその意味を背負っていると考えている)。後述するが、それは本題の『バレンタイン・ハンター』でも同様であると思われる。

 さて、この楽曲では、「バレンタインデー」を戦う女性の日と位置づけ、「2月14日の夜に祝杯」をあげる=意中の相手を射止めて勝利することを目指す。当然、勝利の後は、意中の相手が気をそらさないよう、引き続き様々な恋愛テクニック、手段が講じられていくのだろうが、それはまた別の物語だ。

先ほどまでと同様に、いくつか歌詞を見ていこう。

 

「そう媚薬入りの蜜 手に入れてからが勝負よ」

 

 そもそも、チョコレートの歴史は古く、マヤ人やアステカ人にとって原料のカカオは「神秘的なパワーの象徴」であり、神々への供物にされたりしたようだが、そういったチョコレートの成り立ちについての歴史的な話に興味がある方は中公新書の『チョコレートの世界史―近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石』(武田尚子中央公論新社)を読むと面白い。

チョコレートはかつて「媚薬」であるとされていた。私がつい最近読んだ漫画・『薬屋のひとりごと』(日向夏 猫クラゲ、スクウェア・エニックス)は、薬屋の娘・猫猫を主人公とする物語である。昔の中国風の架空の帝国を舞台にしており、その宮廷に下女として売り飛ばされた猫猫は、持ち前の薬に関する知識と探求心で様々な事件を解決していく。そんな中、猫猫の上司にあたる美形の宦官・壬氏が、彼女に媚薬を作ってもらえないかと依頼する。類するものを作ることは可能と応じた彼女が作ったものこそ、「巧克力」(チョコレート)であった。

 この歌詞ではそういった歴史的経緯=迷信的なものを踏まえているのか。まさか本当に市販されているような怪しげな媚薬を手に入れて、チョコの中に混ぜて落としに行くような恐ろしいことはしていないだろうと思いたいが。

続いて、サビを見ていく。印象的な「shooting chocolate」というフレーズは、単純な和訳にすると不思議な言葉だが、なんとなく語呂が良いというのは間違いない。チョコレートの銃弾でもって相手のハートを撃ち抜けということか。

歌詞を丁寧に追っていこう。まず「宣言高らかに バレンタインデーが始まるの」「エンドレスラブソングBGMに」という部分。これは言うまでもなく開戦宣言であり、「エンドレスラブソング」は戦意高揚のためのいわゆる行進曲的な音楽か。続きを見ていく。

 

「いざ命をかけた バレンタインデーが始まるの」

 

「掛け違えたリボン結び直して 集結せよレディー」

 

 この戦いは「命をかけた」ものであるとする。やや大げさな表現かもしれないが、こちらも比喩としての「それくらいの覚悟で臨まなければ、望む勝利は得られない」という女子たちの意気込みであろうか。同じような覚悟を持って集結した女子の軍団が、各々の戦場へと身を投じていくのである。

 そして個人的に注目したいのは、「掛け違えたリボン結び直して」だ。この部分は、期待と焦燥が入り混じったから「掛け違え」のうっかりミスをしてしまったものなのか、実は戦いに慣れていないのか(バレンタインデーにチョコを渡したという経験がこれまでにほぼない、または手作りをした経験がなく、市販品で済ませていたので結び方をよく知らず間違えたとする解釈)、それとも両方なのかは、やや断定しがたい。

ここで併せて取り上げたいのが、先述の井口裕香の『Valentine Eve』だ。この楽曲には、このような一節がある。

 

「手作りは やっぱりラッピングが命 用意してたのに何度もやり直し紙はぐちゃぐちゃ やりきれないあきらめない でもどうしよう」

 

 タイトルの通り、バレンタインデー前夜に支度をしているひとりの女子の気持ちが歌われている楽曲である。彼女は、不器用ながら自分で思いを込めてチョコを手作りした。翌日がバレンタインデー当日であるために、期待と焦燥がある。そして気持ちは先走り、見よう見まねで今度はおしゃれなラッピングにチャレンジしているがうまくいかないよ、という気持ちが歌われている。ちなみに、この楽曲にも「決戦のValentine」という歌詞があり、やはり女子にとってバレンタインデーは重要な戦いであるらしい。

 『バレンタイン・ハンター』に話を戻そう。戦う覚悟を決め、さあ目指せ祝杯!という、強い女性に見えたこの楽曲の女性であるが、こうした解釈も踏まえると、ある意味その裏には少しの虚勢が含まれているとも読めるかもしれない。女戦士たちの中にも、過去の経験により戦いに慣れている者と、そうでない者が存在するのである。この戦いに勝利し祝杯をあげるという目標は全員共通しているが、個々が戦う相手やこれまでの経験値は、当然異なるのである。

 

チュートリアルは 必要不可欠な存在なの?スタートダッシュが肝心よ 忘れちゃいけないのは timing」

 

 こちらの歌詞は、一番の「マニュアル通りの会話 なんてつまらないんでしょう」という部分と親和性があるように思われる。正攻法でじっくり攻めていくよりも、まさに兵は拙速を尊ぶといったところか。ただし、猪武者のようになるのではなく、「タイミングは見極めるように」=「勝機は見逃すな」と、女戦士たちに対して勝利の女神/総指揮官は助言するのである。

 

「スウィートルームみたいな 非現実的に酔いしれたまま ねぇ目を逸らさないで狙うは貴方の心臓(ハート)一点突破」

 

 ここからが女性の恐ろしさ。愛嬌たっぷりに、しぐさや表情豊かに相手の男性の目を見て、自分の世界に引き込んでいくのだろう。そこからが、一気に攻勢をかけるべき「タイミング」だ。続くサビも、「立ち止まるな進め!」「さぁ宣戦布告のベル鳴らし」と戦いに向けての強い鼓舞の表現が続く。「ランキングなんてただの世迷イ言」とは、朝の情報番組などに差し挟まれる「今日のあなたの運勢、星座占い」のようなランキングを指しているのだろうか。もしそこで恋愛運が低かったりしても気にすることはない、そんなものではなく自分自身の勝利を信じて迷わず進めという激励か。

 

「革命的な(そんな無理して頑張って)魅惑の味(欲しいものはナァニ?)今夜中に(中途半端な愛情)手に入れたいの」

 

 こちらは歌唱自体に少し違った雰囲気も漂うパートだ。バレンタインデーというイベントは、一つの通過点である。しかし、既に述べた通り、この通過点にて勝利を得られなければ、その後のさらなる進展もない。そのため、女戦士たちは「中途半端な愛情」でもいいから手に入れたいと心から思い、戦いに向けて進むのである。

 この後は「もう後には引けない そっと深呼吸 これが最後のチャンス」と引き続き不退転の決意でこの戦いに臨むことが語られる。これが、本論で最初に名前を挙げたバレンタイン関連楽曲群と同じく、「一年に一度しかないチャンス」であるという意味を背負っているのではないかと考える。

 チョコレートの銃弾を撃ちまくる激戦の果てに、「To be continued…maybe!」と綴られ、この後どうなったかは不明瞭だ。あるいは、きっと彼女らは勝利を得るであろうというほのめかしとも受け取れるかもしれない。

この戦いに勝利した女戦士の後日譚的物語も、もしあったら面白いのではないか。

 

まとめ

 「男は狼なのよ 気をつけなさい」とはピンク・レディーの『S・O・S』の中に登場する、よく知られた歌詞である。そんな凶暴な狼と向き合うためには、女性たちは「女戦士」、同じ動物で例えるならば、虎のような存在であらねばならないのか。

 いや、必ずしもそうとは限らない。むしろ狼には、子猫や羊を見せるのだ。しかしその一見かわいらしい子猫や羊の皮の中には、ライバルを排除し、自分が勝つための闘争心と狡猾さが隠されている。自身の愛嬌(可愛らしさ)でもって狼を引き込み、逆に取り込んでしまうような要領の良さと、勝負をすべき時には迷わず戦う度胸。そんな女子を描いているのが、今回扱った楽曲であるように思う。

 舞さんは、最初に引用したインタビュー記事内で「恋愛って、ドロドロ要素もありつつもでも女の子が一番輝く瞬間でもある」と語っている。今回取り上げた二曲で描かれた女性たちは、いつか自分のところにも白馬の王子様が迎えに来てくれる、といったような夢のある物語には期待しない(わずかばかりの期待は心のどこかにあるかもしれないが)。そこに存在しているのは、都会やバレンタインデーといった様々な男女が交わる機会が得られる世界に身を置く、行動を起こすことで自分は輝きを得る=ヒロインになれる、という考えの信奉者たちなのではないか。男性側としては、本質を知れば「イマドキの女子ってそういうもの」「可愛い、でも怖い」と認識させるような、そんな存在と言えるのではないだろうか。

 

 

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