渕上舞『Meteor』の主人公女性について考えてみる~都会的、現代的世界観と生き方~(前編)
はじめに
実に久しぶりの更新である。前回更新もある種の執筆依頼を受けてのものであったが、今回もまた同様である。これは某ラジオで話題となった、いわゆる渕上舞小論文の類であり、私の自由な感想文だ。多分に物語性を盛り込ませていただいたので、「それは違うだろう」という意見もあってかまわない。
さてつい先日、渕上舞さんの3rdライブがおこなわれた。見て聴いて楽しめる、昨今の情勢下で客席側含め、声出しNGなどの様々な制約を受けつつも、こだわりのあるステージであった。
私自身は、アーカイブなどを映像で見ることはできても、「感動は生もの」=感動は時間が経つごとにどうしても鮮度が落ちるものであり、率直な感想を書くなら早めのアウトプットがよいという考え方の支持者であるため、ライブの感想はTwitterに終演後即大量投稿する形となった。ライブについての詳細な感想などは、他のファンの方々に譲りたい。
感動は生ものであるという証拠に、先日聴いていた茅野愛衣さんのラジオ「むすんでひらいて」においても、そのような事例があった。イベントの帰りに番組宛てに感想メールを書いて送った人々が、喜びのあまり誤字を生じさせたりしていたのである。「人々」と書いたように、偶然一人だけ、ではないのだ。茅野さんはそんなメールを、微笑ましく感じながら読んでいた。誤字すらも鮮度の証であろう。
なお、こうした「感動は生もの」といった話について興味がある方は、『好きなものを「推す」だけ。共感される文章術』(Jini,KADOKAWA,2020)をご一読いただきたい。
『Meteor』の歌詞にみる現代的・都会的感覚~歌詞を読み解く~
今回取り上げたいのは、私がアルバム『星空』の中で特に気に入っている楽曲の一つである『Meteor』である。意味は「流星」。作詞は六ツ見純代さん、作曲は酒井祐輝さん。この2ndアルバム『星空』は全ての新規楽曲の歌詞に星にまつわるワードを取り入れる徹底ぶりで、ここまでテーマを一貫させたアルバムはそう多くはあるまい。この曲も、もちろんそういったワードが盛り込まれている。
こちらの楽曲について、前回の『バレンタイン・ハンター』の歌詞を順に追っていった記事と同様の試みで、楽曲の話なども交えつつ、また現代的、都会的という点に着目しつつ、述べていきたい。
まず、アカペラで始まる歌い出しはこうである。
ふーっ…と息で
テノヒラ温めた
そっと…聴こう
冬星つむぐメロディ
「冬星」というワード、そして「テノヒラ」を温めるという歌詞から、最初に季節は寒い冬の時期であることが読み取れよう。
そして、「冬星つむぐメロディ」という部分。夜空に輝く星々を楽譜、ないし一つの音楽であるかのようになぞらえている。星の壮大な物語のような楽曲といえば水瀬いのりさんの『アルペジオ』を思い浮かべる私であるが、こちらの舞台は、後述するように実に現実的でささやかな世界を見せる。
ニュースで知った
去年は恋人がいて
車、走らせたっけ…
ここで、アルバムに関する舞さんへのインタビュー記事を見てみよう。以下の部分は特に重要であるため、全文引用する。
「曲を聴いた時にメモしていたイメージを六ツ見純代さんにお伝えして歌詞を書いていただいたんです。“決して広くはないワンルームのマンション。6~7畳ぐらい。年齢23歳から35歳ぐらいで仕事はできるほうだけど、彼氏はいない。彼氏がいないことに対して引け目はあるが寂しさを感じるとかでもなく、毎日を淡々と生きている。だけど、ふとした瞬間に寂しくなって、部屋のベランダに出てみたら星がきれいでホッとした”という曲にしたいって(笑)。」
【渕上 舞 インタビュー】私の“好き”“らしさ”みたいなものが詰まってできている作品 | OKMusic
なるほど、こういったイメージがあるらしい。本記事の読者の諸氏も、そんな女性を想像しつつ、続きを読み進めていただきたい。
歌詞に話を戻そう。「ニュースで知った」とは、仕事に行く前に見ていたテレビの朝のニュース番組か、逆に仕事から帰って何とはなしに見ていた夜のニュース番組か。
しかしながら、こちらも後述となるが、本楽曲はワードチョイスが「今っぽい言葉」である点が特筆される。ゆえに、このニュースというのも「スマホでネットニュースを見ている」可能性も極めて高いと考えられないだろうか。
この記事を読んでいる皆さんも、電車での移動時間などに、ちょっとした暇つぶしとしてSNSの他にニュースサイトなどを見るという人も少なくないだろう。新聞を折りたたんで読むという昔ながらの方法を採用しているサラリーマンもまれに見かけるが、そう多くはないというのが、日々朝の電車通勤をしている私の実感である。
主人公女性は去年、恋人の運転する車で、ふたご座流星群を一緒に見に行った思い出があったのかもしれない。もしそうであったなら実にうらやましいがそれはともかく。だが、現在では何らかの理由で別れてしまっているようである。それでも、未練があるわけでもなければ、二度と思い出したくもない嫌な記憶になっているわけでもないらしい。この点、舞さんが先日のライブで言っていた、そういった物も完全に捨てるのではなく、という話と関連すると思う。あれからもう一年経ったのか、というしみじみとした感傷のようにとらえたい。
続く歌詞を見てみよう。
新しい連ドラ
配信で観れるし
髪を乾かしたら
外へ出てみよう
私が『Meteor』を「現代的」と感じた大きな理由の一つは、ここにある。主人公女性が、連ドラを「配信」で視聴しているという点である。確かに現代では、Huluをはじめとする定額で自由に好きな時間に番組を見ることができるサービスが、自粛・巣ごもり生活にともない更なる需要増をみせている。そういったサービスに加入していれば、「録画」すらも不要だ。
主人公女性としては、「今度から始まる新しい連ドラは、好きな俳優の○○さんがメインの役どころで出るそうだからとても楽しみ!」というわけではないらしい。おたくの諸氏であれば、自分が楽しみにしている番組は、可能であればぜひリアタイで、SNSでハッシュタグをつけて実況などもしつつ視聴したいというものであろう。彼女にとっては、単なる暇つぶし・流行のチェック的な扱いで済ませているのかもしれない。
ただ、仕事で疲れていると、そういったものを視聴する気力がない(見たとしても、どうせ頭に内容が入ってこない)と思う人も少なくないだろう。彼女がそんな心理状態にある可能性も、また考えられよう。そこで、「髪を乾かしたら」気分転換にドラマを見るのではなく、「外へ出てみよう」と続いていく。
ここであわせて取り上げたいのが、松ヶ下宏之さんの楽曲『DRAMA ADDICTION』である。松ヶ下さんは、音楽ユニットBluem of Youthでの活動やソロのほか、アイドルマスターシンデレラガールズの佐久間まゆ役などで知られる牧野由依さんのコンサートのバンマスも務める。自ら作詞・作曲、ギターやピアノの演奏もこなすかっこいいおじさまだ。その作風は、牧野さんから「せつないメイカー」と評されたこともある。
この楽曲は、多分に遊び心のある楽曲である。以下に歌詞を示す。
この楽曲の登場人物は、会社で夜遅くまでの残業をするはめになっているが、楽しみにしているドラマの最終回が見たくて仕方がない気持ちがあふれ出ている。当日に突然残業をする必要が生じたのだろうか。仕事で疲れてくたくただろう。それでも、ドラマの最終回を早く見たい、という焦りと強い思いを抱いているのである。
この楽曲は2007年のリリースである。そのためか、録画手段も「Video Tape」なのが時代を感じさせる。我が家でも、この時期まだビデオテープを用いての録画は現役であった。ここが、(感覚的な意味でも時代的な意味でも)二つの楽曲の大きな違いである。なお、松ヶ下さんの楽曲については、後編でも取り上げる。
書きかけ ToDoリスト
スマホ、電源オフした
最近、余裕がなくて
そう、消えてた笑顔
仕事・家事も全て含めたものだろうか、ToDoリストの作成をスマホで(ここも実に現代的である。昨今では作詞をスマホでおこなう人も珍しくないと聞く)していたが、一度その作業を打ち切る。あれもこれもやらなくてはいけない、と予定を書きだしていくと、やる前から気が滅入ることもあるのではないか。現に主人公女性も「余裕」がなく、笑顔は消え死んだ魚のような目をしている(そこまでは言っていない)らしい。この「余裕がない」とは日々仕事に追われ、よくいわれるような会社と自宅の往復生活をしていて特別な楽しみもない、という状態かもしれない。
この「ToDoリスト」については、舞さんも「今っぽい言葉」であると感じたようである。
TVアニメ『魔術士オーフェンはぐれ旅 キムラック編』ED主題歌シングル&2ndアルバムを同時リリース!渕上 舞インタビュー – リスアニ!WEB – アニメ・アニメ音楽のポータルサイト
狭いベランダ見上げた
星はほとんど光らない
でもね、心の奥で
駆けぬける Meteor
ここで注目すべきは、「狭いベランダ」と「星はほとんど光らない」という部分である。先ほど「外へ出てみよう」と言っていた主人公女性だが、髪を乾かした(入浴を済ませた)後のため、わざわざ夜の散歩にまで繰り出すつもりはなく、かわりにベランダに出たようだ。ただでさえ冬の夜、そのうえ入浴後。実に冷えるに違いない。ここで、はじめの「ふーっ…と息で」「テノヒラ」を温めるという場面に繋がるだろう。
田舎の夜空は星がまたたいていて実にきれいであるという話は、例えば、アニメにおいて都会に住んでいる主人公たちが自然あふれるキャンプ場に遊びに来て夜を過ごしているようなシーンでよく耳にする。都会はあまり星が見えないのにね、などと会話を交わす。この点から、主人公女性が牧歌的な田舎の地域ではなく、都会(少なくとも地方都市)に居住していると考えることができる。
ここで紹介したいのが、『日本型リア充の研究』(古谷経衡,自由国民社,2019年)だ。本書では、「日本型リア充」を「土地取得の先行者たちとその子孫」とする著者独自の定義を用いる。すなわち、戦後間もない頃に、現在では超高額な値段の付いているような都市部の土地を安価で取得し、物件を建てたりしていた「土地取得の先行者たち」がいる。そして今現在を生きるその子孫たちは、そういった財産を引き継いでいる。地方からの上京組など、狭い部屋のうえ高額な家賃の支払いに追われる人々とは真逆の勝ち組でリア充である。ではそうではない我々(著者自身も含む)は「持つ者」である日本型リア充にどう対抗していくべきだろうか、といった内容が、歴史的な事柄も踏まえつつ語られる本である。古谷氏は、同書で「この大都会の一等地に狭小なワンルームを借りるという選択肢は、必然その狭い部屋が「寝るだけ」の空間に変貌する可能性を秘めて」いると述べている。彼女もまた、一人で都市部のマンションに暮らす上京組女性(大学進学を機に上京し、地元には帰らずに就職)という背景があるのだろうか。ベランダが「狭い」ことからも、超高級マンション住みとは考えにくい。
指先彩るネイル
ちいさな星が煌めく
今日もね、がんばった
ここから…I believe
なんて世知辛い世の中だ。やはりこの状況を打開するためには、宝くじか今話題の競馬で一発当てるしかないのか、と思えてくる。だが、ここで主人公女性とこの楽曲の聴き手は、ほのかな希望の星を見いだす。ネイルアートに星の装飾がされているのだろう。その小さな星を見て、自分をささやかに励ます。「今日も」という点から、昨日も、また明日も、という思いが読み取れるのである。この感情については、これ以降の歌詞を取り上げる後編で改めて触れたい。