渕上舞『Meteor』の主人公女性について考えてみる~都会的、現代的世界観と生き方~(後編)
さて、こちらは前編の続きとなる。そのため、まだそちらを未読の方は先に下記リンクからご一読いただきたい。
再び歌詞を追っていこう。
揺れる三日月
頬つたう輝きは
瞳に北風が染みたせいでしょ
この部分を事細かに説明するのは非常に野暮である。「頬つたう輝き」=「涙」であることは言うまでもない。三日月が揺れて見えるのは、涙で潤んでいるからである。
主人公女性は、自身がややセンチメンタルな気分になっている。そして、ふと瞳に宿った涙が流れた理由を、「北風が染みたせい」にするのである。これはある程度大人の年齢である彼女の虚勢的強さのようにも見える。その内側には「つい泣いてしまった、何やってるんだろうな私」という感情も内包されるものと推察する。
ここで私が紹介したいのが、アイドルカレッジの楽曲『流星群~meteor stream~』である。同じく「流星」にまつわるタイトルが付いた楽曲だ。「おいおい、それはオマエが好きな曲っていうだけだろ!」と思った読者諸氏、最後まで話を聞いていただきたい。
アイドルカレッジは、王道の応援歌的性質の楽曲を数多く持っているグループである。例えば、『GOES ON』の歌詞は水瀬いのりさんの『夢のつぼみ』と極めて近いスピリッツがあると思っている。
私が注目したい歌詞を以下に示す。公式の楽曲動画リンクも貼っておくので、お手すきの際にでもぜひ一度聴いていただきたい。
掴めない星を必死に掴もうとして 僕らは傷つくけれど
誰だって明日を信じる 夢追い人さ
その名は「希望」
ずっと流星のように夜空を駆け抜けて meteor stream
探してる meteor stream
はるか高い夜空に位置する「星」=「夢」を掴むために努力をすること、時にそれは自分たちを傷つける。しかし、夢はきっといつか叶うという「希望」を信じて進んでいくという思いが込められた楽曲である。
しかし、この楽曲では、以下のような歌詞もある。
僕の夢のために 君の夢のために
時々星達が代わりに泣くんだね
そして今夜ここで 痛みを持ち寄った
いくじなしの僕らに 星が流れた
一緒に夢を追う仲間もいる。それでも、辛くて共に涙を流す日もある。その涙は、自分たちではなく星達に仮託される。
『Meteor』の主人公女性は、普段は会社員として働く一方で、実は劇団にも所属しており、女優になるという夢があったのだ!…といったような裏設定は存在しないだろう。彼女は今現在、何か大きな夢を追っているわけではなく、ある程度の水準の、平凡なOLとしての暮らしに落ち着いているといえる。そうした、満足ではないが特段不満のあるわけでもない暮らしの中でも、ふと一人で涙を流したくなる日もある。
自分がどんな人生を選んでも、それが本当に正しかったかどうかは分からない。そして、そんな人生の中の様々なシーンの中で涙は生まれ、寄り添い続ける。
余談であるが、アイドルカレッジには『星空』ではなく『YOZORA』という曲がある。更に余談であるが、『AKATSUKI』という曲もある。夜が明けた。先日の舞さんのライブでも、セットリストが『星空』からアンコールで『Love Summer!』へとつながり、夜が明けて夏の日差しが降り注ぐ、という粋な流れがあったものである。
そろそろ『Meteor』の歌詞に戻ろう。
足りないものだけを
数える癖はまだある
それでもあの頃よりも
まぁ、強くなれたね
「足るを知る」という言葉もあるが、ここで疑問が浮かぶ。ここでいう「足りないもの」とはなんだろう。もう少しお金があれば、という話や、自身のコンプレックス的部分(例えば容姿など)の改良ができていない点、といったものだろうか。
そして、「あの頃」とはいつだろう。主人公女性が「OL」であるならば、それ以前の学生時代と推測するのが妥当であろうか。さらに歌詞は「まぁ、強くなれたね」と続く。この「まぁ」は注目すべき点である。「学生時代の頃の私と比べれば、社会人としての経験も積んできたし、強くなったよな」と自信を持って言っているわけではないようだ。「まぁ」があることで、むしろ「ここまで色々あったけど、私もよくやってこれたものだよなあ。強くなったなあ」という感慨を読み取ることができるのではないだろうか。
いつも大切なものは
多分、簡単に見えない
でもね、心の奥で
駆けぬける Meteor
ここで私が紹介したいのが、前編の記事でも取り上げた、松ヶ下宏之さんの楽曲である。タイトルはずばり『流星』。下記に一部試聴のできるリンクも貼っておく。
サビ部分の歌詞をみてみよう。
流星を追いかけろ 今消え行く光を
遥か彼方に見えてる物だけじゃない
流星を捕まえろ 願いと言う名の星を
今目の前を通り過ぎたのが ソレさ
曲中の登場人物は、男性の同じく会社員らしい。日々働く中で、世の中は不公平だ、これは誰かに仕組まれているのではないかと感じている。大丈夫かコイツ。そんな彼は、鬱々としている。前回の記事の終わりごろに書いたような、宝くじでの一発逆転なども狙っているようだ。
しかし、2番以降で、徐々に考え方を変えていく。すると、今まで上手くいっていなかったことも意外とすんなり進んだりする。
歌詞によると、「流星」とは「今目の前を通り過ぎた」ほどすぐ近くに見えるものだという。
一方で『Meteor』の歌詞では「いつも大切なものは多分、簡単に見えない」と言っているので、少し違う考え方のように思える。しかし、「心の奥」で「駆けぬける Meteor」があると歌ってもいるのである。
いかがだろうか。ここに、共通性が見いだせはしないか。実は目の前でたくさん通り過ぎて行っている男性会社員の流星。実は心の奥にある、主人公女性のMeteor。自分にとって「大切なこと」や「幸せ」は自分で気付いていないだけで、実はすぐ近くにある、と言うとありふれたような表現にも思えるが、それほどにシンプルで重要なポイントであるという証でもある。
二つの楽曲の歌詞が意図しているところは、「流星/Meteor」とは、一瞬で駆け抜け、通り過ぎてしまうという点だ。だからこそ、見逃すこともある。そんな流星を見逃さないためには、内省とまではいかないが、自分自身とちょっと向き合ってみる。すると、確かにすぐそこにある=観測できるではないか、というメッセージを感じ取るのである。流星を観測できれば、その人にとってよりよい道が少し開ける。
きっと探しているのは
自分が放つ綺羅星
明日も、がんばろう
ここから…I believe
この「自分が放つ綺羅星」とは、「自分らしいこれからの人生」ではないかと私は解釈したい。
そして「明日も、がんばろう」と続く。彼女なりに、折り合いをつけたうえで決意を新たにするのである(この決意は、力強い自信満々ものではない)。明日からも、彼女は毎日のように朝から会社へ行き、働き、夜にそう広くはない家に帰ったら一息ついて、休日には配信で連ドラをチェックしたりするのだろう。
この歌詞で思い出されるのが、舞さんがライブにおいても語っていた、以下のツイートに関する内容である。
明日死ぬかもしれないけど、生きてる可能性の方が何倍も高いから頑張らないといけない。
— 渕上舞(声優) (@fuchigami_mai) 2020年12月1日
今日も笑顔で、いってきます。
そして、こちらに関連すると思われるツイートとして、以下も紹介しておきたい。
帰宅後ちょっと休憩のはずが、しっかり寝ちゃう癖?をやめたい。
— 渕上舞(声優) (@fuchigami_mai) 2020年7月14日
こんなんじゃ人生あっという間に終わるぞ。
私はこの2つのツイートを毎日見たいほどに気に入っており、共感もできる。生きる気力・喜びに満ちあふれているわけでは決してない。ただ、「頑張らないと」と言っているため、完全にネガティブな思考で生きており努力なんかしなくていい、というわけでもない。
ご自身が声優として、またアーティストとして、努力はしなければならない(人生はまだまだ長いのだからそれも無駄にはならないし、無為に過ごすのももったいないだろう)という率直な思いを、私は読み取るのである。
舞さんが尊敬している声優・アーティストである水樹奈々さんの楽曲『New Sensation』には、「一度きりの人生 楽しむべきだよね絶対」という歌詞がある。「そんなネガティブな考え方は切り替えて、落ち込んでないで人生楽しく生きようぜ!」と高らかに歌い上げる。
一方、『Meteor』の主人公女性も、そして舞さん自身も、物凄く前向きでエネルギッシュなタイプであるとは言いがたい。ただ、そこが彼女の「らしさ」であり、ファンから共感を呼ぶ理由でもあると思うのである。
おわりに
ここまで見てきた『Meteor』の歌詞は「都会的」であった。そして、日々の暮らしの情景がありありと浮かぶような「現代的世界観」=日常感もある。だからこそ、今まさに現代の日本社会を生きる我々にとって、実体を伴った共感を呼ぶ歌詞と言えるのではないだろうか。
最後に紹介したいのが、「日本タイトルだけ大賞」を受賞したハ・ワンさんのエッセイ『あやうく一生懸命生きるところだった』(岡崎暢子訳,ダイヤモンド社,2020年,続編に『今日も言い訳しながら生きてます』がある)だ。著者は韓国人。かの国は、我が国とは比べ物にならないレベルの過酷な学歴社会としても知られる。著者は、それまでの会社勤めを辞め(イラストレーターとしての仕事はしており、本書のイラストも自身で手がけている)、自由に暮らしていることを語り、縛られずにみんなもう少し気楽に生きてはどうか、と読者に提案する。日本人が読んでも実に共感できる内容ばかりで、隣国の人たちも同じなのだな、と思わされる。
このエッセイに、以下のような記述がある。
「努力してもどうにもならないとか、努力した分の見返りがない場合もある一方で、努力した以上の大きな成果を収める場合もある。(中略)見返りとは、いつだって努力の量と比例して得られるものではない。むしろ努力の量よりも少ないか、またはより多いものである。時には見返りがないことすらある。残念だが真実だ。」
先に紹介した舞さんのツイートからも分かるように、彼女は努力をしている。歌唱の技術や、ライブ直後に話題となった腹筋を見ても、それは明らかである。
努力は無駄ではない。ただ、このエッセイの著者が言うように、努力をしても成果が出ない、思うようにいかないこともある。そんな時、努力し頑張る人の背中を押してくる楽曲も必要だ。それに励まされ、「私も頑張ろう!」と思えたら、歌い手と曲への思い入れも深くなる。素晴らしい出会いと付き合い方だ。
一方で、『Meteor』のように、少し肩の力を抜いたうえで頑張る方法はどうか?と提案してくれる曲も必要だ。
これはスポーツの大会や受験など、大きな達成したい目標などがあって、懸命に努力をしている人にのみ当てはまるものではない。頑張って毎日を生きよう、また明日も会社で仕事にしっかり取り組もうという場合にも当てはまる。でも、頑張りすぎない。手抜きをするのとはまた違う。たまにはそんな自分を少し褒めてあげることも大事。それが、主人公女性を通じての、聴き手である我々に向けたメッセージとなっているのではないだろうか。
この楽曲は舞さん自身の作詞ではない。それでも、「渕上イズム」とでも言うべきエッセンスが、大いに盛り込まれているのである。
私も、そして皆さんも、「今日もね、がんばった」「明日も、がんばろう」。