憂きまど

タイトルは「憂き事のまどろむ程は忘られて覚むれば夢の心地こそすれ」より。某大学国文学修士の人が趣味丸出しでおくる、アニメや小説の感想を中心になんでも。超気まぐれ更新。読んだ本はこちら→https://bookmeter.com/users/337037 Twitterは→@konamijin

大学1年時、最初の人間関係構築とSNS

 四月に入り、新年度のスタートとなった。今日も駅にて通勤・通学定期を買い求めるために並んでいる人の列があった。この記事を読んでいる人や、私のツイートを見ている人は、この四月から新大学一年生です、という人は極めて少数だろう。既に卒業している人や、高卒で働いているという人が多いと思われる。

 さて、この時期よくあるのが「大学デビュー」である。これについて、古谷経衡氏が面白い定義づけを行っているので紹介したい。今回はこの話をしたいわけではないので、簡単に。

 

 「具体的には、高校時代まで地味で目立たなかった学生が、大学進学を契機に一挙に外見が派手になり、まるで性格ががらりと変わって別人になったかのように社交的になり、大学の学生生活を謳歌する(ように見える)人々に格上げされる動態をさす。」

 

 高校ではパッとしない生活を送っていたが、心機一転。髪を染めたりして、新しい人間関係を築いて俺もリア充ライフを送ってやるぜ、という目論見だ。この後、古谷氏は自身の体験などを例に見解を述べていく。私立大学に関しては「内部進学生」が多くおり、既に「彼らの縄張りが強固に張り巡らされて」いる状態である。そして、「校内の人的関係はまずそのグループによってリードされる」という状況などについて語っていく。興味を持った方は、古谷氏の『「意識高い系」の研究』(文春新書)を読んでいただきたい。大学デビューは幻想だったのか。

 

「意識高い系」の研究 (文春新書)

「意識高い系」の研究 (文春新書)

 

 

 さて、めでたく大学に入学。そこでの最初の友人関係について、先日「内田雄馬日高里菜のラジオもりゅうおうのおしごと!」というラジオを聴いていたら、こんなやりとりがあった。第11回での二人のやりとりである。

 

内田「最近さ、入学するときに、SNSがあるじゃん?アレで先に、なになに校に進学します、お友達になりましょうみたいなのやるらしいよ」

日高「そうなんだよ!私大学に入るときに皆SNSでもうね、仲良くなってんの。だから、入学式的なのあるじゃない?もう友達と集合して行ってんの。怖いよね!」

内田「入学式なのに?」

日高「そうだよ。そこで初めて出会うはずなのに、もうお友達からスタートで。むしろその前に一回会ってるからね。皆(先に)集まって、仲良くなってからの入学式で。」

内田「なんかそれはそれでさ、やっぱ入学式で初めて会って、はにかみながら、あっ、どうも、みたいなのやりたいよな。」

日高「私さSNSやってなかったから、一歩出遅れた感。しかも入学式も私行けなくて、しかも説明会にも行けなかったの。だからもう最初ずっと一人で。」

内田「出来上がってんなあ既にみたいなね。」

 

 確かにこういった話は何度か聞いたことがある。実際、Twitterで検索をしてみると、そういったツイートは多くヒットする。内田さんの言うように、既に人間関係が出来上がっているようなのだ。誰もがスマホを持っている時代ならではと言える。

 私の場合、入学式以前にその学科の新入生が集められる説明会が数度あった。私も推薦で入ったため、学科は違えど高校での友人が数名同じキャンパスに進学してきていた。これはちょっと心強い。私は人間関係のリセットも兼ねた大学デビューは望んでおらず、むしろ古谷さんの言う「内部進学生」側の人間なのである。説明会では、履修に関する話など基本的なことが様々説明される。思えば私は、そこで内田さんの言うような「はにかみながら、あっ、どうも、みたいなの」をやっていた。説明会は席が決められており、自分の学籍番号が書かれた場所に座る。その近くの人に話しかけたり、話しかけられたりして少しずつ輪を広げるのだ。「どこの高校から来たんですか?」で始めてそこから話を広げるもよし、「いやあ説明会来たけど覚えること多くて大変ですね」でもいいし、「おっ、そのソシャゲ自分もやってるんですよ」でも切り口はなんでもいい。同じ学科に進学して来た人なら、何か自分と共通するものを相手も持っているはずだ。

 その後、ゼミの前段階のような、発表を中心とした講義用の、いくつかある少数クラスへ適当に振り分けられる。そこでもまた、少しずつ輪を広げていった。こうしたことを続けたことにより、いつの間にか7人ほどのグループが出来上がった。一年時は、全員が受ける必修講義も多い。ゆえに、顔を合わせることも多くなる。一緒に講義を受けているうちに、自然と打ち解ける、大学にも慣れていくというわけだ。また、私の大学では卒業までに体育関係の単位も一つ取らなければならなかった。チーム競技ではなかったが、体育でぼっち参加というのは辛いものだ。そこでも「一緒にこれ取ろうぜ」ということで、それを回避する。ちなみに私は一年の前期で必修を一つ落としたが、同じく落とした友人と一緒に翌年再履修、無事単位認定となった。だって記述式だし持ち込み不可だし(言い訳)。

 さて、話を戻そう。SNSで事前に友人関係ができあがっている状態がいいか、入学式や説明会で初顔合わせ、そこから友人になる、というのがいいか。私はどちらでもいいと思う。どちらでもいいが、個人的には後者の方が好きである。SNSで先んじて人間関係の構築を望む。それは本当に社交的な人間で、友達がたくさん欲しいという人もいるだろう。しかし一方で、「絶対にぼっちを回避したい」という思いから、SNSで知り合うというやり方を採用する人もいるのかもしれない。そこにあるのは「焦り」と「不安」だ。特に地方から都市部の大学へと進学してきた人は、両親もいない新天地で完全に孤立する恐れがある。

 しかし、SNSをやっていなくとも、説明会の休憩時間などに、少し話しかけてみればよい。それが難しいんだよ、と思う人もいるだろう。だが、「なんだお前」と言われたりはしないはずである。ある程度のグループが出来上がっていても、私の友人などは堂々と話に入って行ったりしたものだ。グループができていると言っても、彼らもまだ会ったばかり。ゆえに、まだ付き合いが浅い。逆に、今を逃してしまえば終わりだと考えるべきだ。時間が経てばたつほどグループは固定されていき、サークル勧誘なども始まりますます人間関係は固まっていく。

 やるなら今しかない。何もせずぼっちになるか、最初に話しかけたりしたが結局失敗してぼっちになるか。結論は同じでも、前者の方がいいのではないか。ぼっちでは卒業できないかと言えば、そんなことはないのだ。ぼっち飯も後ろ指を刺されるといったことにはならない。そう感じるのは「気にしすぎ」である。高校まではクラスがあり、何をするにも全員一緒というのが嫌だったが、大学ではそういう縛りもゼミなどを除けばほぼなく自由だ、と思うのもまたよしである。