憂きまど

タイトルは「憂き事のまどろむ程は忘られて覚むれば夢の心地こそすれ」より。某大学国文学修士だった人が趣味丸出しでおくる、アニメや小説の感想を中心になんでも。超気まぐれ更新。読んだ本はこちら→https://bookmeter.com/users/337037 Twitterは→@konamijin

『英雄たちの選択』崇徳院回の内容まとめと補足史料と感想と―前編

 暫く更新はないと言ったな、あれは嘘だ(n回目)。3/29にNHKBSプレミアムで放送された、『英雄たちの選択』という番組。これが崇徳院回。これは私が記事を書かずしてどうする、というわけだ。今回はその番組内容をまとめつつ、補足を加えていったり自分の意見を述べたりするものである。そして、改めて崇徳院という人物について考えていきたい。崇徳院に関しては、先日記事を上げているので、そちらも合わせてご参照いただきたい。

 

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  さて、番組導入はこうだ。「かつて、日本を恐怖のどん底に陥れた、怨霊がいた…」とてもおどろおどろしい。まず見る人に興味を持ってもらうということか。そして紹介されるのが、江戸時代の歌川国芳による浮世絵。『百人一首之内』より崇徳院。これはよく知られた絵である。

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 左下の「七十七」という数字は、『百人一首』の崇徳院歌「瀬をはやみ」が77番歌だからである。ナレーションでは、そこから今回の内容をざっと説明し、鎌倉時代の軍記物語『保元物語』(フィクション)において崇徳が舌を噛み切り怨霊になる場面があると語る。私の手元の資料から、引用しておこう。

 

 「御舌ノ崎ヲ食切セ座テ、其血ヲ以テ、御経ノ奥ニ此御誓状ヲゾアソバシタル」(『新日本古典文学大系 43 保元物語 平治物語 承久記』)―「舌先を食い切り、その血でお経の最後に誓いの言葉をお書きになった」

 

 何を誓ったのかと言えば、「日本国ノ大悪魔ト成ラム」ということである。『保元物語』には、多くの「諸本」がある。それぞれ大筋は同じでも、やや展開や描写が異なっていたりするのである。ここに引用したのは、最も古い状態をとどめているとされる「半井本(なからいぼん)」と呼ばれるものである。もう一つ多く利用されているのが、これより後の時代の『平家物語』などの影響がみられる「金刀比羅本(ことひらぼん)」である。

 本題に戻ろう。ナレーションは、これ以降、都では天変地異、政情不安が続き、誰もが崇徳の祟りを疑ったと語る。この辺はのちほど。

 更に、その祟りは天皇家にも降りかかると語る。ここで引用されているのが、金刀比羅本の一節だ。

 

 「皇を取て民となし、民を皇となさん」―「天皇を民にし、民を天皇にしてやる」(永積安明 島田勇雄校注『日本古典文学大系 31 保元物語 平治物語』)

 

 元は天皇であった人物が、天皇家を打倒すると言っている。この記述は、半井本には存在しない。

 ここから番組本編。スタジオには磯田道史さん、夢枕獏さん、山田雄司さん、萱野稔人さんという面々。山田氏は、最近は伊賀の地・三重にて忍者の研究に熱心に取り組んでおられる。三重大学大学院にて「忍者・忍術学」が専門科目になった、というニュースを見た方もおられるだろう。まさに、それに関わっていらっしゃる方だ。この方の崇徳院怨霊関係の著書は、私も論文を書く際に非常に参考になった。

 先に、山田氏の著書から、「怨霊」とは何かという定義について、示しておこう。

 

 「相手側から弾圧されたりしたことにより、追い込まれて非業の死を遂げ、その後十分な供養がなされなかった霊魂は、死後に自分の宿願を叶えるために、自分を追い落とした人物に祟って出たり、さらには社会全体にも災害を発生させると考えられてきた。それが「怨霊」と呼ばれる存在である。」

 「現代においては、怨霊の存在を真剣に信じる人はそれほど多くはないかもしれないが、古代・中世においては、天皇から庶民に至るまで、怨霊は実在するものとして恐れられた。」(山田雄司『怨霊とは何か』)

 

 磯田氏「日本史には数々の怨霊がいますよね。三大怨霊として平将門菅原道真、そして今回の崇徳上皇ですよね。この崇徳上皇の怨霊は実は最大最強です。何せ天皇をなさった方が怨霊になって天皇家を襲うからです。明治まで続くんですよね。」

 

 将門と道真については、歴史に詳しくない人でも、知っているという人は多いだろう。将門の首塚、そして清涼殿に雷を落としたと言われる学問の神様・道真。崇徳院怨霊が「明治まで続く」というくだりについては後ほど。他にも日本史では、後鳥羽上皇早良親王といった人物が、怨霊として有名だ。いずれも、山田氏の指摘するように、弾圧され、非業の死を遂げた者ばかりである。

 磯田氏は、先ほどの浮世絵について、「崇徳院は怒りのあまり天狗になったと言われてますよね。髪も爪も伸び放題にして、もう凄まじい形相になって、惨たらしく死んで、その恨みの力でもって皇室を呪い続けたと。」と述べている。

 再び、『保元物語』半井本より、引用しよう。

 

「御髪モ剃ラズ、御爪モ切ラセ給ハデ、生キナガラ天狗ノ御姿ニ成セ給テ」

 

 一方の金刀比羅本では、「御ぐし御爪長長として、すゝけかへりたる柿の御衣に、御色黄に、御目のくぼませ給ひ、痩衰させ給て」と記されている。これは都から康頼という人物が、崇徳の様子を見に行かされた際の話である。この恐ろしい姿を見た康頼は、何も言わずに帰っていく。また、同じく軍記物語である『太平記』には、非業の死を遂げた後鳥羽上皇等と共に、「大なる金の鵄翼をつくろいて著座」する崇徳院が、天下に禍をもたらすべく相談をしている描写がある。

 番組では、崇徳が怨霊となった原因として、1156年の保元の乱に触れる。

 

 磯田「一言で言うと、武士の世への転換点ですよね。それまでは天皇とか公家とかが普通に政権を担ってたわけですが、武士の力が政治に影響力を及ぼすようになったきっかけの戦いですよね。この保元の乱の中心にいたのが崇徳上皇だったわけですよね。」

 

 番組の後半でも触れられるが、磯田氏の言う「武士の世への転換点」とは、慈円が『愚管抄』において、「鳥羽院ウセサセ給テ後、日本國ノ亂逆ト云コトハヲコリテ後ムサノ世ニナリニケルナリ。」(岡見正雄 赤松俊秀校注『愚管抄』)と書いていることによるものだ。実際、保元の乱の後も、平治の乱や壇ノ浦に終わる源平の争乱など、戦が続き、最後は武家政権である鎌倉幕府が誕生する。

 番組では、続いて白峯神宮を訪問。祭神が崇徳院だからである。明治天皇の即位と共に建てられた(1868年)ことに触れ、維新の時代に崇徳をまつり、その怨念を鎮めたということを語る。禰宜の話を聞き、御霊は崇徳が流罪となった讃岐国香川県)にあったが、そこから十日かけて京都に運ばれたと語る。この点についても後ほど(後で語ると断る話が多いのは、私が番組の編成の方に合わせているからである)。

 そこから、番組では神社の創建以来守られてきた崇徳の肖像画を紹介。ナレーションの言う通り、「怨霊のイメージとはかけ離れた、もう一つの顔」である。こちらこそが本当の顔なのだと。先ほどの浮世絵のような、髪を振り乱した青いような顔とはうって変わり、精悍な顔立ちである。

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 続いて、番組では同じく京都にある安楽寿院を訪問。崇徳の父・鳥羽院が建てた寺である。安楽寿院に関しては、以前の記事で崇徳が「父の墓参りをしたい」と願うも許されなかった、という話で名前が出てきたことを記憶しておられる方もいるかもしれない。そして不穏なナレーション。

 

 「平安時代後期、絶大な権力を誇った鳥羽上皇。この父との関係に、崇徳上皇は生涯悩まされることになります。」

 

 鳥羽院がここで政治をつかさどっていた、力を持っていたという話。そして院政の説明。

 

 「天皇を引退した上皇、院が中心となり行った政治のこと。天皇の後見人として権力の座についた上皇は、それまで摂関家によって守られてきた宮廷の慣例をことごとく無視。かつてない一強独裁体制を作り上げていた。」

 

 この院政をスタートさせたのが、例の叔父子説の白河法皇鳥羽院の祖父である。そこから、下級貴族の側近・「院近臣」と直属の親衛隊・「北面の武士」に触れる。院近臣としては、保元の乱の三年後の平治の乱で中心的な人物となる藤原信西藤原信頼が有名だろうか。北面の武士に関しては、西行法師がかつて鳥羽院の下でその役にあったことがよく知られている。

 ここで京大の元木泰雄氏が登場。以前の記事では著書から引用させていただいた。

 

 「(これ以前の)摂関時代は天皇外戚(母方の親族)が大きな力を持つが、院政期に入ると重大問題などは院が独裁的に決めることになった。もし院が判断を誤れば、大変なことになる。」

 

 とにもかくにも、院(上皇)=治天の君というものは絶大な権力を持っていた、ということだ。

 そこから番組は、崇徳自身の話へ。

 

「和歌の才能に恵まれ、歌会を頻繁に主催するなど、宮廷でひときわ輝く存在だった。」

 

 崇徳の和歌に関して、藤原清輔によって書かれた歌学書『袋草紙』は、藤原顕輔が『詞花和歌集』(崇徳が編纂を命じた勅撰和歌集)を崇徳に総攬した際の逸話を載せる。崇徳は「御製少々ならびに藤原範綱・頼保・盛経等の歌を除かる」という行動に出たという(藤岡忠美校注『新日本古典文学大系29 袋草紙』)。気に入らないものは、自分の歌でさえも削ったという。自作の歌も、厳しく評価していたようだ。崇徳の歌へのこだわりの強さがうかがえる。

 他に、『今鏡』は、「崇徳院が幼いときから和歌を愛好され、隠題や紙燭の歌などで、技巧と速詠の修練をつみ、うちうちの歌会をかさねて、本格的な歌会を催されるに至ったこと」や崇徳院が歌を日ごろから詠んでおり、「めづらしくありがたき御歌ども多く聞え侍りき」といったように、崇徳の歌が優れていたと記している(竹鼻績『今鏡(上)』)。

 順風満帆に見えた崇徳の人生だが、雲行きが怪しくなるのは1141年。異母弟・近衛への譲位。崇徳の「コハイカニ」という反応が紹介されていたが、これについては過去記事の『愚管抄』のエピソードを参照いただきたい。番組では詳細は触れず。続いて、元木氏自ら「院政天皇直系尊属でなければできない」という以前私も引用させていただいた話を語る。これでは崇徳は将来的に院政ができない。こうして崇徳は実権のない上皇へ。

 14年後、近衛天皇が早世。だが今度も皇位は崇徳の息子・重仁親王ではなく、同母弟の後白河へ。番組では、後白河の評価として「イタクサタヾシク御アソビナドアリトテ、卽位ノ御器量ニハアラズ」という『愚管抄』の記述が紹介されていた。これは鳥羽が後白河に対して思っていたことだという。それでも、鳥羽は後白河を次の天皇に据える。ちなみに、この後白河への評価としては、『保元物語』で崇徳は「文ニモ武ニモアラヌ四宮(後白河)」、後ほど登場する藤原頼長は「文武共ニカケ、芸能一モ御座ヌ四宮」と言っている。頼長の方がより辛辣。また、何よりも有名なのは、九条兼実の日記『玉葉』の寿永三年三月十六日条。「通憲法師」こと後白河側近の藤原信西が、「和漢之間少比類之暗主也」(超意訳:こんな暗君はそうそういない)と後白院を評しつつも、その記憶力のよさなどについても述べていたことであろう。後白河自身も「今様」という歌に熱中しすぎるなど、身から出たさびでもあるのだが。評価が最悪で馬鹿にされまくっている後白河だが、後に鎌倉幕府初代将軍となる源頼朝が、彼の老獪さを「日本一の大天狗」と評することになるのは、また未来のお話。

 

 元木「まさに想定外の出来事(中略)後白河の後は彼の息子(守仁親王)が継ぐわけですから、天皇家皇位というのは後白河の子孫が継承していくわけですね。崇徳の子孫は皇位から外される。これは崇徳にとってはこの上ない屈辱であり、激しく憤ったと思いますね。」

 

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 なぜ鳥羽から崇徳は排除されるのか。ここで出ました『古事談』。叔父子。これについては過去記事を参照のこと。噂を流したのは後白河派の公家とも言われる、という点にも触れる。この辺は美川圭氏の『院政』の説などを採用したものだろうか。そのまま叔父子説を信じて採用せずむしろこちらの側面が強いといったように描いた点は評価したい。

 ナレーション「この泥沼の確執が、のちの怨霊伝説誕生の引き金となっていくのである。」

 また不穏な…

 ここで一旦スタジオへ。「崇徳上皇ってどんな人だと思いますか?」という問い。

 

 磯田「きらびやかさと危うさが生涯あった人。5歳で天皇、歌もうまい。でも父とされてる人は父じゃないんじゃないかという出生の秘密がささやかれ、なおかつ、この人先行き危ないよねって言う風に思われてた節がある。周りからすると今きらびやかだけど転ぶよねあの高いところにいる人って危うさを自覚しながら生きていた人。精神衛生上よくない。」

 

 「きらびやかさと危うさ」なるほど。確かにこんな状況に置かれたら、そうなるのも仕方あるまい。まさに「精神衛生上よくない」である。

 

 夢枕「すごく不幸な人。その不幸をきっと誰よりもよく分かってたであろう人。その原因とかもね。自分がいろんな人間に利用される立場なんだというのもわかっていた方だと思う。これは相当な不幸だろうと思いますよね。今日のお話は文人をいじめると怖いぞという話」

 

 父親から排除され続け、最期まで不遇。確かに「不幸な人」であろう。「文人をいじめると怖いぞ」は他にも当てはまる歴史上の人物がいそうだ。

 

 山田「非常に和歌がたくさん残っている。伝統的な世界で生きてきた人。時代が移り変わる中で翻弄されていく」

 

 萱野「崇徳上皇自身に興味があるが、崇徳上皇を最強の怨霊にした人々の意識にも興味がある。こういうことをされたら誰でも死後まで恨みつらみを持っていくだろうなという人々の道徳意識とか、秩序意識があるってことですよ」

 

 和歌、そして怨霊に関する話と関連付け。怨霊を生み出すのは、今生きている者の意識である。生前、その人を追い落とした人の後ろめたさかもしれない。

 この後、院政の話へ。磯田「院政は最初の身分破壊であり慣習破壊」夢枕「天皇の方が儀式などで忙しい、院はそれがない、でもそれなのに権力があるといういいポジション」山田「院になると何とか院領という荘園(財産)が非常に集まる」萱野「院は権力者が強欲を解き放たれた状態」という話など。

 

 磯田「平安時代だから平安だと勝手に思っちゃうんだけど院政期からちっとも平安じゃない」

 

 院政の時代以前も平安ではないと思う。権力闘争と政敵を追い落とすための謀略事件がたくさんあるので戦争にはならなくとも全く平安ではない。菅原道真の失脚などもそれだ。

 

 夢枕「崇徳上皇は権力持たないで、NO.3ぐらいでいいので、まあ好きな歌を詠んで、時代がどんなに変わっても自分は三番目くらいでやっていけたらという発想があったら違う人生あったかなと。でも周りがほっとかないからね」

 

 結局のところ、この時代に天皇になる者として生まれた「宿命」なのだろう。ゆえに、「周りがほっとかない」=利用する者が現れるのである。

 続きは次回で。

 

 

 

 

愚管抄 全現代語訳 (講談社学術文庫)

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