憂きまど

タイトルは「憂き事のまどろむ程は忘られて覚むれば夢の心地こそすれ」より。某大学国文学修士だった人が趣味丸出しでおくる、アニメや小説の感想を中心になんでも。絵を描けない私は文を書く。超気まぐれ更新。読んだ本はこちら→https://bookmeter.com/users/337037

『英雄たちの選択』崇徳院回の内容まとめと補足史料と感想と―後編

 さて、前編中編と続けてきたがいよいよ最後である。番組は崇徳の流された地・香川県へ。郷土史家の方が、崇徳は「綾川」を京都になぞらえて「鴨川」と呼んだと教えてくれる。近くの駅名も「鴨川」である。また、山も京都の「東山」と呼んだという。これは知らなかった。郷土史家「ここへ来て京都のことばかり思っておったんでしょうかね」。『保元物語』では、讃岐国に着いた崇徳の、都へ帰りたいという気持ちが、繰り返し表現される。「外土の悲しみに耐へず、望郷の鬼とこそならんずらむめ。」日下氏は、この「外土」は「都の外の遠隔地」のことであるとしている。他に、崇徳院が讃岐に到着した直後の記述として、「ならはぬ鄙の御住まひ、ただ推し量り奉るべし」というものもある。この後にも崇徳自身の思いとして「遠き島に放たれて」、「貝鐘の音もせぬ遠国に捨て置かんことの」といった記述がある。これまで天皇上皇という最高の身分であった崇徳が都から遠く離れた田舎に来てしまった。ここは都からあまりにも遠すぎる、といった点が強調されている。

 続けて、崇徳が住居にした木丸殿。「粗末なつくりの小さな小屋でした」というナレーション。崇徳の住居が粗末な作りだったことは、同じく『保元物語』にも書かれている。都でかつて院に召し使われていた淡路守是成(法師となり、蓮如と名乗っていた)が讃岐へ赴き、院の御所を訪れた際に対面しようと差し上げた歌はこうだ。

 「アサクラヤ木ノマロ殿ニ入ナガラ君ニ知レデ帰ルカナシサ」

蓮如の歌の「アサクラヤ木ノマロ殿ニ」という部分について、日下氏は次のように指摘している。

 

 「百済救援に向かった斉明天皇が亡くなった筑前国朝倉の地(福岡県朝倉市)。木の丸殿は、その地に造った丸木のままの粗末な宮殿をいい、ここは新院の居所をそれにたとえた」

 

 そして、崇徳は生前都に帰れることはなく、46歳でその生涯を終えた。『保元物語』は、荼毘に付された際の煙が、「都ノ方ヘゾキヌラムトゾ哀レ也。」と記す。野中哲照氏は、次のように述べている。

 

 「望郷性が強く表現されており、このことによって、のちに反転した崇徳院怨霊が徹底して都へ向けて降りかかることを暗示しようとするものであると見てよいだろう。」(野中哲照保元物語の成立』)

 

 番組では高家神社の紹介。崇徳の棺から血が流れたという逸話から、血の宮と呼ばれるという話。棺を置いたという石があったり。そして白峯御陵。「その最期は、何者かに殺されたとも、自ら命を絶ったとも言われます」確かにそういう説があることはあるが、これに関してはどちらも「ない」と思う。病没であろう。例えば、『今鏡』には、晩年の崇徳の様子についてこう書かれている。

 

 「あさましき鄙のあたりに、九年ばかりおはしまして、憂き世のあまりにや、御病も年に添へて重らせ給ひければ、都へ帰らせ給ふこともなくて、秋八月二十六日にかの国にて失せさせ給ひにけりとなむ」

 

 そして京の都では相次ぐ天変地異。ナレーション「そして崇徳上皇復権を願う者たちから、怨霊の存在が語られだしたのである。」天変地異と言えば、安元三年に発生した安元の大火である。強風によって火は燃え広がり、天皇の即位儀礼に関連する大極殿が焼失するなど、都の広い範囲が灰となった。皆さんも、学校の古典の授業で読んだことがあるであろう、鴨長明の『方丈記』。「ゆく川の流れは絶えずして」のアレである。この本の中で、長明は安元の大火について記している。一部現代語訳を引用しよう。

 

 「行方定めず吹きまくる風のため、あちこち燃え移ってゆきながら、扇を開いたように末ひろがりに燃えさかっていった。」

 「家々の焼けた数は、とても数えるどころの話ではない。なにしろ京の都全体の約三分の一が燃えてしまったというのだから、その数も推して知れよう。」

中野孝次『すらすら読める方丈記』)

 

 そして、ナレーションの言う「崇徳上皇復権を願う者」について、番組にも出演している山田雄司氏は、著書『怨霊とは何か』にて、その中心人物として藤原教長の名前を挙げている。この人物は崇徳の側近であり、乱後は常陸国に流されていたが、許されて都に戻った後は蔵人頭になっていた。

 番組では「ある公卿の日記」として『愚昧記』の記述が紹介されていた。なぜ名前をぼかすのか。三条実房だろう。

  

 安元三年(治承元年)五月九日条

「讃岐院宇治左府事可有沙汰事

相府示給云、讃岐院幷宇治左府事、可有沙汰云々、是近日天下惡事彼人等所為之由、有疑、仍為被鎮彼事也、無極大事也云々」(東京大学史料編纂所『大日本古記録 愚昧記 中』)

 

 こうした事態は崇徳と藤原頼長の祟りによるものなので、それを鎮めるのは重要だと言っている記事である。ここでは頼長も合わせて怨霊として認識されているということがわかる。ちなみに、『保元物語』ではその後の鹿ケ谷の陰謀や後白河が平清盛に幽閉される治承三年の政変なども、崇徳の祟りであると語る。

 後白河は最初は全く取り合わなかったが、「親族が次々に病に倒れるなど、身の回りに不幸が相次ぐと、ついにその存在を認め、対策を講じるようになった。」では、「親族」とは誰か。1176年。高松院姝子(後白河の異母妹)、建春門院平滋子(後白河の女御)、六条院(後白河の孫)、九条院呈子(後白河の異母弟・近衛天皇中宮)。この年の6~8月の間、この四人が相次いで病気で亡くなったのである。後白河が恐れるのも無理はない。そして「対策」とは神祠を作るなりといった鎮魂行事である。

 そして番組は、江戸時代の作品・上田秋成の『雨月物語』の「白峯」に触れる。崇徳院の怨霊は、それで広く庶民たちにも知れ渡っていくのだと。こちらはより怪異性を重視した小説となっており、崇徳の御墓を訪れた西行法師(生前から崇徳と親交があった)が、亡霊となった崇徳と論戦をするという内容である。更に国学者平田篤胤。「玉襷総論追加」から引用。崇徳の祭祀を改めて説く。この辺りは実は私も専門外。

 そして、番組序盤の明治天皇創建の白峯神宮の話に戻る。讃岐から迎えた崇徳の御霊に捧げる祝詞。「天皇と朝廷を末永く守り、奥羽の旧幕府軍を鎮圧し、新政府をお守りくださいますよう。」

 

 谷川健一氏の指摘を引用しておこう。

 

 「ときあたかも、戊辰の役の年。朝廷方は征討軍を東上させ、まさに奥羽諸藩を挑発して、一戦をまじえようとしていた。このとき、崇徳上皇の霊が、奥羽諸藩のほうに味方して官軍をなやましたとしたら、それこそゆゆしい事態になるかもわからないと、朝廷は判断した。」(谷川健一『魔の系譜』)

 

 そしてナレーション。「崇徳上皇は700年の時を経て、国を守る守護神へ変貌を遂げたのである。」ちなみに、この後の時代。戦後の1964年の東京オリンピックの年。この年は偶然崇徳院の没後八百年にあたるため、昭和天皇はその陵墓に勅使を遣わし、式年祭(祭祀)が執り行われた。平安時代末期を生きた人物でありながら、明治や昭和の時代になってもなおその存在は無視できないものである。

 スタジオへ。「(配所だった場所の)町の皆さんは今も崇徳さんと呼ぶ。おいたわしい、かわいそうという気持ちで霊を慰めるという気持ちが強いということを感じた。」これは私も同様の話を聞いたことがある。番組に登場した郷土史家も、「崇徳さん」と呼んでいた。

 

 夢枕「帰りたくて帰りたくてしょうがないんでしょうね。暗殺でなければ都への焦がれ死に」

 

 なるほど、「焦がれ死に」は適切な表現かもしれない。「憤死」が存在するのだから、焦がれ死にというものも存在するのかもしれない。

 

 山田「流された先の讃岐の人は怨霊だと思ってない。都から流されてきた尊いお方だと。怨霊だと感じたのは都の貴族たち。それは自分たちが何か悪いことをしてしまったのではないかと。怨霊は流された人自身が怨霊になりたいと思って生まれるのではなくて、残された人たちが『かわいそうだね』と思うところから生まれたりする」

 

 萱野「最強の怨霊と恐れられたことは、尊敬されてたことの裏返し。」

 

 山田氏の「怨霊は流された人自身が怨霊になりたいと思って生まれるのではなくて、残された人たちが『かわいそうだね』と思うところから生まれたりする」という指摘は重要だ。「大悪魔」になってやる、と誓う崇徳の姿は、やはり物語(フィクション)における姿でしかないのではないか。実際の姿とは異なるのである。残された者の「うしろめたさ」など、生者こそが怨霊を生み出すのである。

 

 磯田「崇徳院の百回忌ごとに都で騒乱が起きると信じられてきた。禁門の変など。」

 

 偶然だと思うが、何度も続くと「もしかしたら怨霊…?」と信じられていくのだろう。

 

 夢枕「社会のシステムとして怨霊は必要なもの。色んな悪いことが起きたとき、なぜこれが起こったのかということを決めねばならない。誰かの祟りであると。これは鎮めねばならないと。社会の中に組み込まれてる。」

 

 これも頷ける意見だ。悪いことが立て続けに起きた原因が分からない=対処法も分からない、ということになる。原因と対処法が分からないことの方が恐ろしい。そこで、その原因を「怨霊」に求めることで、「鎮魂」という対処法があるじゃないか、というわけだ。

 

 山田「怨霊は恐ろしいというイメージがあるが、社会を行き過ぎない方向に導くという側面もある。日本社会全体が古代から霊魂だとか見えない世界に取り巻かれているという意識が現代まである。」

 

 夢枕「仏教じゃない、呪術とかシャーマンがいて色んなことがやってきた、精神の根っこにあるようなものが作用して怨霊みたいなものができてきたと思う。」

 

 壮大な話になってきた。この辺りの日本人の歴史的精神性の問題、突き詰めていくと面白いかもしれない。

 

 磯田「日本は帝の筋の交代がない。易姓革命のようなね。崇徳だけが「皇を取て民となし、民を皇となさん」とかこんなことを言ったと信じられた。放っておいたら政権交代がないので、天皇と公家の政権は堕落していくのか。暴虐、贅沢三昧をすると本当に易姓革命で皆殺しにされますよと。野党のような選挙がない段階で堕落させないための野党としての存在。しばしば民衆も、崇徳の塚が鳴動しただのという話をした。現政権に対し反省を促すと。そういうことで怨霊は機能し続けた。」

 

 夢枕「今揺れてますか?」

 

 磯田「どうでしょうねえ」

 

 多分、揺れている。中国の易姓革命に関しては、先ほど取り上げた『雨月物語』の「白峯」にも、この話が登場する。西行法師は、『孟子』について説明する。周王朝の創設者・武王は一たび怒りを露わにし、天下の民を安らかにした。これを臣下の身で君主を殺したというのはあたらない。仁の道にはずれ義の道を損なった一人の不心得な悪人の紂王を征伐したのである。ゆえに、武王のこの行為は正当化されるのだと。これに対して西行は、中国の書物はほとんど日本にも伝わってきているが、この『孟子』を積んだ船は、日本に来ると暴風雨に遭って沈没してしまう。それは天皇の子孫の命を奪っても罪にならないと主張する反逆者が出るかもしれないと八百万の神々が思い、神風を起こしているからだ、と語る(高田衛・馬場篤信校注『雨月物語』)。なるほど、日本での易姓革命は神々が許さないというわけだ。

 崇徳の塚が鳴動したという話は、『保元物語』などに見られる。西行が崇徳の陵を訪問して鎮魂を行った際に揺れたりといったものだ。

 そして怨霊は野党という論理。恐ろしすぎる野党である。与党が堕落していると、命を奪いにやってくる上に天変地異を引き起こす。

 さて、これで番組は終わりだ。改めて振り返ってみると、非常に良い番組だったと思う。最新の研究なども取り入れつつ、初めて崇徳院を知る人にも興味を持ってもらえる、分かりやすい構成と言える。何より、あまり取り上げられることがない崇徳院をテーマにして一時間番組を作って貰えたことは非常にうれしい。また、山田氏と夢枕氏の意見は、頷けるものが多かった。崇徳院の血の写経に関する問題などには触れられていなかったが、興味のある人はぜひ調べてみてほしい。

 余談ではあるが、『屍姫』という漫画がある。少年ガンガンで連載されていたが、23巻で完結。その5巻にて、崇徳院(がモデルの人物、ちなみにWikipediaの『屍姫』の記事のこの人物の項でも崇徳の記事へのリンクがある)が現世に復活。いつの間にか蘇っていた源為朝が、その復活を主導。巻が進むにつれて崇徳は完全復活を遂げ、死の国を興すべく進攻を開始する。その際には頼長なども合わせて蘇っている。狙うは、主人公たちが所属する屍を狩る真言密教の一派・光言宗の本山。昔私が2ちゃんねる某所でやっていたなりきりスレの崇徳院は、この影響を多分に受けている。むしろそのまま持ってきたようなものだ。興味のある方はぜひこの漫画を読んでいただきたい。崇徳院(がモデルの人物)にミサイルを撃ち込んでいたり大丈夫かという感じであるが。なお、アニメ版ではこの人物は一切登場せず完全オリジナル展開になっているのであしからず。

 ちなみに私は、コミケにて、原作者の赤人義一先生にこの人物造形がとても好きだということを伝えたことがある。

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 さて、更新しないしない詐欺を続けてきたが、またすぐ更新するようなことがあるかもしれないし暫くないかもしれないしそれは分からない。歴史ネタ・文学ネタはまとめるのに結構時間がかかるのだが、気が向いたときにまたいつか何かやるかもしれない。ネタ募集中。

 

魔の系譜 (講談社学術文庫)

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保元物語の成立

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すらすら読める方丈記 (講談社文庫)

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雨月物語 (ちくま学芸文庫)

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