憂きまど

タイトルは「憂き事のまどろむ程は忘られて覚むれば夢の心地こそすれ」より。某大学国文学修士の人が趣味丸出しでおくる、アニメや小説の感想を中心になんでも。超気まぐれ更新。読んだ本はこちら→https://bookmeter.com/users/337037 Twitterは→@konamijin

「大人になること」と「夢」と社畜と~『ポプテピピック』挿入歌、『白く咲く花』、『すかすか』、『りゅうおうのおしごと!』など~

 大盛況のうちに最終回を迎えたポプテピピック。その最終回において、久々にフェルト人形が登場して歌うパートがあった。『心の大樹』である。作詞は原作者の大川ぶくぶ先生。「雨や風寒さに負けずあの木は強く育つだろう それこそが大人ってもんだ(文句言うな)」で始まる感動的なメロディーの卒業ソング…かと思いきや。その後の「頑張ってない証拠だぞ」といった発言に対して敢然と「こーろーすーぞー♪」と言い放ち、大暴れするその映像とやりたい放題の歌詞は見る者に衝撃を与えた。「それこそが大人ってもんだ」と「頑張ってない証拠だぞ」は学校を卒業し、大人の仲間入り=社畜になる(なった)者に対する理不尽な発言を抜き出した、現代社会の風刺なのかもしれない。そもそもこのクソアニメは何でもありなので、わざわざ歌詞について考えるだけ無駄かもしれないのだが。「大人」と言えば、ピピ美が「明日までに私のほうが先に大人になっちゃったらどうするか考えておいて」とポプ子に言い、それまでゲラゲラ笑っていたポプ子は茫然自失になってしまう、という話もあった。

 さて、ここから無理やり関連付けていく作業が始まる。この記事は、私の好きな曲の歌詞や作品から、「大人になること」と「夢」について考えていくものである。

 『星色ガールドロップ』にて、星降そそぐを熱演した小倉唯さん。彼女は、この春大学を卒業した。そして、「卒業」をテーマにした曲をリリースした。それが『白く咲く花』である。

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 上に示したのは公式チャンネルがアップしているMVなので、未視聴の方はぜひ見ていただきたい。そして彼女はインタビューの中で、この曲は「学校というものから解放されて、また新しいステップへと踏み出すことを現実的に捉えた曲」であると語っている。また、歌詞についても自分でこうして欲しいという希望を出したという。作詞者は、『けいおん!』の楽曲の作詞を担当していた大森祥子さん。

 この曲の歌い出しは「咲かせたい夢に今羽ばたく」。いかにも夢に向かって飛び立つという希望を感じさせるものである。この後も同じく希望に溢れた歌詞が続くが、途中で「光 希望 ばかりじゃない絶望感じるのも標準装備(スタンダード)歪な心抱いて」と歌う。一見夢と希望に満ち溢れた巣立ちかと思いきや、現実はそう簡単ではない。このような不安も胸に抱いた巣立ちなのである。

 そしてサビ。

 

 「本音を曲げて 嘘ついて 得る正解って何だ? 本当に"欲しい" ただ"したい"ことに生きていたいんだ 一途さを武器に 摘まれぬ芽になれ涙さえも 花や実を育てるちからに 向かい風に発て今 気高く」

 

 社会に出たなら、自分の言いたいこと(本音)を曲げ、おべっかを使う、嫌だけど同調する、自分に嘘をつくということもあるだろう。『心の大樹』の歌詞を引けば「それこそが大人ってもんだ(文句言うな)」である。ここでは、そのことに疑問を呈すとともに、私は自分の思いを大切にしたいと歌い上げる。

 2番のサビも、その精神を引き継ぐ。

 

 「長きに巻かれ 影隠れ 得る平穏って何だ?本当に“いとしい” ただ“尊い”ことに尽くしてたいんだ 汚れたって綺麗無傷の清らはとっくに 少し 似合わない季節(ばしょ)まで来たから」

 

 これもやはり、社畜の皆さんであれば経験があるのではないだろうか。社畜でなくとも、これまでの人生の中でそうした経験がある人は多いに違いない。長いものに巻かれることは、波風を立てずに「平穏」を得ることができる手段である。そんなことがまかり通るような世界には行きたくないだろう。しかし、それでも「少し似合わない季節(ばしょ)」=「卒業」と同時に、こうした世界へ向かわねばならない。これ以降はぜひCDで聴いていただきたい。しかしそれでも、自分の思いや夢を信じ、大切にしたい。向かい風だとしても、私は夢に向かって旅に出る。凛とした歌詞である。

 また、小倉唯さんには『Tomorrow』という曲もある。涙の数だけ強くなれる、アレではない。こちらの歌詞はこうだ。

 

 「何がそんなに怖いの?誰の許可が欲しいの? 外では本音グッと飲み込み 厚塗りの笑顔 I don't needそれが大人というなら私はまだいらない 誰かの評価よりもこの目で見たものを信じたいよ」

 

 ここでも大人(社畜)になるとよくある状況が挙げられ、「それが大人というなら私はまだいらない」と大人になることを拒否しているようにも思える。しかし、それでも自分の道を夢に向かい進んでいくという前向きな曲である。他に、「世の中に馴染むような美しいだけの色なら興味ない」という歌詞もある。これはいわゆる「同調」を拒否するということか、個性を大切にしたいということか。欅坂46は『不協和音』で「僕はYesと言わない首を縦に振らない周りの誰もが頷いたとしても「みんな揃って同じ意見だけではおかしいだろう」と歌った。こうした同調圧力もまた、個性を殺し、画一化を企図し、従順な人間を生み出す。「支配」する側にとって都合がいい人間が誕生するというわけだ。

 さて、大人になると、こうした不条理を受け入れねばならないのか。社畜にならねばならないのか。そもそも大人になるとはどういうことか。ゲーム『ぼくのなつやすみ』シリーズでも、大人と子どもの違い、のような会話がなされることもある。他に、武田鉄矢さんの『少年期』。そこには「ああ 僕はどうして 大人になるんだろうああ 僕はいつごろ 大人になるんだろう」という歌詞がある。しかし、この曲の中ではその「答え」は示されていない。

 大人になるとはどういうことかという問いに対して、私がとても納得できた意見があるので紹介しよう。このブログでも何度か触れている、『終末なにしてますか?忙しいですか?救ってもらっていいですか?』の外伝のエピソードにおける、やり取りである。詳しい設定などは省略するが、いわゆる「大人」のナイグラートと、少女であるクトリの会話だ。「わたし、子供じゃない」と言うクトリに対して、ナイグラートは「そういうこと言ってる間はお子様なのよ?」と大人の余裕を見せる。クトリは「……嘘。じゃあ、いつになったら大人になれるっていうの」と問う。ナイグラートはこう答えた。

 

 「そうねぇ。『子供に戻りたい』って本気で言い出した辺りかしらね」

 

 子どもの頃は、「早く大人になりたい!」と多くの人は思うものだ。親が酒を飲んでいるのを見て羨ましがったり、かっこいい車を運転していたり。そういったものに対する「憧れ」が、早く大人になりたいという気持ちを生み出す。父は、平日は社畜生活、休日は子どもだった頃の自分や母を連れて、どこかに出かけたりする。今思えば、そんな生活は大変だっただろうな、と感じたりする。大人になるとそれに伴う「責任」も増えていくが、家族に対する責任もその一つであろう。前米副大統領であるジョー・バイデンは、ドナルド・トランプに対し「大人になれ」と言った。「いつまでもガキのままじゃいられない。ガキみたいなことはやめて、責任ある大人になれ」という趣旨だろう。

 子どもの頃は将来への不安などといったものは存在しない。「サッカー選手になりたい」という夢を持ち、それを公言していても、無理だなどと言われたりはしない。しかし、だんだん大人になるにつれ、「現実」というものがわかってくる。そもそも望んだ誰もがサッカー選手やプロ野球選手になれたら、世の中は回らないというものだ。

 では、大人になるとろくなことがないのか。前半では、小倉唯さんの曲の歌詞を示し、自由に論評した。その中で、大きなテーマとなっていた「大人になること」と「自分の夢をかなえること」の相関性について考えよう。「戦姫絶唱シンフォギア」一期の10話において、風鳴弦十郎は、次のような名言を残している。

 

 「いい大人は夢を見ないと言ったな。そうじゃない。大人だからこそ、夢を見るんだ。大人になったら背も伸びるし力も強くなる。財布の中の小遣いだってちっとは増える。子供の頃はただ見るだけだった夢も大人になったら叶えるチャンスが大きくなる。夢を見る意味が大きくなる。」

 

 なるほど、頷ける意見である。子どもの頃は、親から少しの小遣いをもらい、お菓子を買ったりするものだ。しかし、大人になると、自由に使える金は子どもの時よりも増える。買えなかったゲームでも漫画でも、好きなものを買ったりできる。これは確かにいいことだ。大人になれば親から「あれはダメだこれはダメだ」と叱られることもあるまい。大人ならではの自由を手に入れることができるのだ。

 そして、「子供の頃はただ見るだけだった夢も大人になったら叶えるチャンスが大きくなる」という部分。夢はなんでもいいだろう。私の知人には、声優になりたいと思って学校に通っていた人もいるし、お笑い芸人としてブレイクしようと日々活動している人もいる。最終的には叶わなかったとしても、大人になると、子供の頃から持っていた夢に挑戦することはできる。

 先日、アニメが最終話を迎えた『りゅうおうのおしごと!』。その中に登場する、清滝桂香。彼女は幼い頃から夢を持ち、女流棋士を目指していた。しかし、年齢制限が迫り、このままではその道は絶たれてしまう。そんな桂香の葛藤を描いたのがアニメ版7話の内容である。逆に、こちらでは大人になること=夢への道を断たれる、ということになってしまうのだ。そして、この回の特殊EDとして使われたのが伊藤美来さんの『あの日の夢』である。

 

 「やっぱり私 諦められそうにないよ あの日の夢 届かないとしても

 「それでも私 諦められそうにないよ 痛みの先 強くなれるのなら どんなに ボロボロでも構わないもう一度 翼広げ夢に見た空へと 」

 

 子どもの頃に抱いた夢を、諦められずに大人(桂香は26歳が迫っている)になっても、追い続ける。「「私は どうしてここにいるんだろう?」 当たり前の幸せすら捨てて」という一節もある。夢を諦めれば、人並みの、「当たり前の幸せ」は得られるだろう。それを捨ててまで、どうして夢を追い続けるのかと。原作では、同窓会で仕事や恋愛や結婚といった「当たり前の幸せ」の話を聞いた桂香が、それを羨ましいと思う場面が描かれる。大人になっても夢を追い続けること。それは尊いことでもあり、同時に苦しいことでもある。

 今回も長くなった。次回更新を以て、私は一旦積読処理に向かうつもりだ。

 この記事を読んでいる貴方は、今、「子供に戻りたい」と本気で思っているだろうか。それとも、大人のままでいいと思っているだろうか。

 

「白く咲く花」【期間限定盤】

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少年期

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