憂きまど

タイトルは「憂き事のまどろむ程は忘られて覚むれば夢の心地こそすれ」より。某大学国文学修士の人が趣味丸出しでおくる、アニメや小説の感想を中心になんでも。超気まぐれ更新。読んだ本はこちら→https://bookmeter.com/users/337037 Twitterは→@konamijin

11eyes10周年によせて~思い出、楽曲を中心に~

 Twitterを何気なく見ていたら、『11eyes -罪と罰と贖いの少女-』が本日2018年4月25日で、発売から10周年を迎えたというツイートを見かけた。このシリーズの主題歌を担当する彩音さんのリツイートによるものだ。発売元も破産したということで、だんだんと私の昔の思い出も過去のものになっていくのだなと感じる。

 しかしながら、私がこのゲームをプレイしたのは発売から数年経った2010年頃だったと記憶している。今回も先に断っておくが、これはPCのアダルトゲームである。先述の彩音さんは、同じく私が好きな『ひぐらしのなく頃に』のゲームシリーズでもいくつか曲を歌っていたが、そこから彼女のファンになった私は、こっちのゲームも面白そうなのでやってみよう、と思ったわけである。

 その主題歌は、当時の美少女ゲームアワード(現在は萌えゲーアワード)の主題歌賞を受賞した『Lunatic Tears...』。作詞も彩音さんが担当しており、「赤き夜」や「黒き月」など、作品内容を反映したワードが盛り込まれている。OPは大いにネタバレを含んでしまっている、そしてなぜかサビがカットされ、曲の一番最後まで飛んでしまっている。なぜだろう。私がここで四の五の言うよりも、まずはこの曲を聴いていただきたいものである。

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 この作品のストーリーについては、私が説明するよりも、公式サイトのイントロダクションを読んでいただいた方が分かりやすいだろう。この記事でも、なるべくネタバレはしないでいきたい(とは言ってもネタバレせざるを得ない点はあるのだが)。

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11eyes CrossOver

 

 簡単に言えば、少年・皐月駆と幼馴染の少女・水奈瀬ゆかが、ある日突然「赤い夜」という世界に引き込まれるというバトルものだ。元々はアダルトゲームであるため、登場人物はみんな18歳という設定である。誰が何と言おうとそうなのである。その「赤い夜」の世界から生還するために、同じく赤い夜に巻き込まれた仲間たちと共に戦うというストーリーだ。赤い夜は、元の世界に戻る、そして前触れもなくまた突然引き込まれるという状態を繰り返す。文字通り世界が赤く染まり、異形の生物が闊歩したりする。この時、大きな音と共に画面が割れるような演出が入るのでビビる。ホーム画面も、作品内の展開に合わせて普通の状態から赤い夜状態に変わったりする。主人公の名前が「駆」であるため、ヒロインたちも「駆くん」と呼ぶ。そのため、名前が「かける」のユーザーは得をする、より楽しめると言える。合言葉は「友と明日のために」。駆は眼帯をしており、「アイオンの目」という特殊能力を持っている。「俺の目がうずくっ…」というヤツだと思ってもらえればいい。この『11eyes』というタイトルも、メインキャラクターが6人であり、駆が目を隠しているため目の数が11となるという点からきているのだろう。そして敵は七つの大罪を冠した名を持つ「黒騎士」。ラテン語読みでスペルビアやインウィディアなど。ちなみに『Lunatic Tears...』のイントロはラテン語読み、後述する『Arrival of Tears』のイントロは英語読みで七つの大罪を読み上げているものである。更に、水晶に閉じ込められた謎の少女・リゼットと、駆の夢に現れるヴェラードという騎士の男は何者なのか…という具合だ。

 おわかりだろうか、この作品、中二病である。私がそういった部分を意図的に抜き出して印象操作をしているのではなく、実際そういった意見が多いのだ。メインキャラクターである草壁美鈴は陰陽師であり、草壁五宝と呼ばれる剣(童子切とか小烏丸とか)を呼び出して武器にして戦ったり、そういった要素は随所に見られる。

 当時、私はこのゲームを家に帰ってから夜に少しずつ進めていった。基本的にシナリオを読んでいく方式で、要所で選択肢が出るという程度だ。この選択肢、どのヒロインのルートに入るかという点にも影響してくるが、「赤い夜」下での選択肢は、間違った方を選んでしまうと即死、ゲームオーバーとなる。これで私は一度、間違った選択肢を選んだ後にセーブしてしまい、最初からやり直す(スキップ機能を使えばいいのだが)ことになった経験がある。中二ではあるが、ボリュームのあるシナリオで面白かった。一応アダルトゲームであるため、えっちなシーンもある。私はそちらを目当てで購入したわけではないが、ストーリーの進行上、一番最初に出てくるえっちなシーンがよくいるセクシーな女教師とのものだったので少しがっかりした記憶がある。

 駆の幼馴染・水奈瀬ゆかの声優は、安玖深音さん。『恋姫無双』の劉備桃香)の声も担当していると言えば、伝わる人が増えるだろうか。このキャラクターは「うゆ」という独特の言葉を発したり、主人公に対してヤンデレ化したりとファンの間では好き嫌いが分かれるキャラクターである。私はこのキャラクターは好きでも嫌いでもないが、安玖深音さんは個人的可愛い声ランキングの最上位である。キャラクターの一番人気は、やはり草壁美鈴であろう。通称「みりん」さん。そして百野栞という小さい子も人気だが、よくそういったえっちなゲームにいそうなビジュアルをしている子だと思う(こんなことを言うと怒られるかもしれないが)。他のヒロインは金髪メガネの広原雪子。今見ると『UQ HOLDER!』の桜雨キリヱに見える。そして大人のお姉さんの雰囲気漂う橘菊理。この人物、話すことができず、駆の亡き姉と見た目が似ているという設定だが、超重要キャラである。そしてもう一人、赤い夜の世界で行動できる男キャラ、田島賢久。好きなタバコはピース。これも18歳以上という設定なので問題ない。

 この作品は後にアニメ化、XboxPSPへの移植が行われた。こちらでは当然えっちなシーンは軒並みカットされているのであるが。移植版では、「虚ろなる境界」という新シナリオも加わっている。アニメ版は原作とは展開が異なっているので、あまり評判はよくない。それぞれの主題歌『Arrival of Tears』と『Endless Tears…』は変わらず彩音さんが担当。「Tears」を曲のタイトルに引き継いでいる。当時、後者の曲をたまたまニコ動の何かのMADで聴いたという友人が「かっこいい」と褒めていてそれで話が盛り上がったのを記憶している。

 彩音さんの楽曲と言えば、挿入歌である『忘却の剣』も印象深い。終盤の超重要な場面(こちらはOPで少しネタバレしているが)で流れる曲。どうしてこの作品はこうまで楽曲が素晴らしいのか。

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 そしてED曲は、全てAsrielが担当。このユニットは2015年に解散している。なぜ解散したのかは未だに分からずじまいであるが、解散ライブに行ったのも今は昔。しかし、ボーカルのKOKOMIさんは「MISLIAR」として現在も活動中。Asrielの曲を手掛けてきた黒瀬圭亮さんは、上木彩矢さんたちと「UROBOROS」を立ち上げたが、現在では活動が止まっており、Twitterも更新がなく何をしているのか不明である。KOKOMIさんは独特な高音を持っており、それが黒瀬さんの曲と合わさることにより、かっこいいゴシックファンタジーな世界を演出する。嵌る人はハマる、そんな音楽だ。11eyes関係であれば、私としてはこの後触れるファンディスク『11eyes-Resona Forma-』のリゼット編のEDである『Judgement』が好きである。何よりイントロがかっこいい。Asrielの最後のアルバム『Asriel』には、『穢れ亡き夢』や『Sequentia』など11eyes関連楽曲が5曲収録されており、大きな比重を占めている。

 余談であるが、このユニットを代表する人気曲の一つに『Moon Light Tears』があるが、Tearsが入っていてもこちらは11eyesシリーズとは無関係。解散ライブで最後に歌われたのもこの曲であった。

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 さて、そのファンディスクというのが『11eyes -Resona Forma-』。発売は2011年。こちらは移植などはされておらず、PC版のみである。前作の続編にあたり、各メインキャラクターたちと結ばれた世界線での後日談や、リゼットとヴェラード、黒騎士の過去などが描かれ、設定の掘り下げがなされている。OPは、彩音さんとAsrielの黒瀬さんの合作による『十字架に捧ぐ七重奏』。このコンビもなかなか相性がいいものである。ちなみに、このOP映像の「愛する人の為ならばこの身も」の部分は、一見女性が男性に対して涙しているだけの普通のシーンだがなかなかにヤバいシーンである。ネタバレは避けるが、どうしても気になる人は矢印以降をドラッグしてみてほしい。見ない方が幸せである。→どうして女性の下半身と男性の顔の上の方が映っていないのか。この時の戦いにより、女性の方(イレーネ)は下半身がなくなり、男性の方(セバスティアヌス)は顎から上が吹き飛んでいるからである。

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 さて、このファンディスクだが、ログインする時間帯によってキャラクターのセリフが変わったり、ホーム画面を好きなキャラに設定できたような記憶がある。ちょっとしたことだが嬉しいシステムだ。ファンディスクゆえに内容(展開)はえっちなものも多いが、その中で異彩を放っているのが黒騎士編とリゼット編だ。後者に関しては、以前の記事で触れているので、そちらを参照していただきたい。

 

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  改めて触れておくと、リゼット編は、実際にあったアルビジョア十字軍をベースにした話である。えっちなシーンと言えばリゼットの水浴び程度で、それ以外にはえっちなシーンは一切ない。このリゼット、Twitterにいる熱心なファンがクリスマスに合わせてペアリングや靴を作ったりしていたという記憶がある。当時はTwitterをやっていなかったが、2ちゃんねるのスレの方にもアップされていたのでそれで知った。凄まじい愛。もうリゼットは貴方の嫁でいいよ。

 そして黒騎士編は、前作の黒騎士はどうして生まれたのかという点を掘り下げたバトルがメインのなかなかに悲惨なシナリオだ。こちらにはえっちなシーンはあるが、やや特殊な性癖の人向けかもしれない。そしてこのシナリオで使われているBGM「厄災の魔女」はラスボス戦のような、壮大なBGMである。魔女と化してしまったリゼット=リーゼロッテが弱体化していない、最強の力を保っていた時代の戦いであるがゆえのラスボス感であろう。ずっと聴いていたいと思わせる力がある。

 余談だが、当時はニコ動が流行っていたということもあり、リーゼロッテのビジュアルと『ローゼンメイデン』の水銀燈のビジュアルが似ていると言われることもあった。

 

11eyes -Resona Forma- BGM 厄災の魔女 - ニコニコ動画

 

 さて、私がこういった作品について話すとつい曲やBGMの方の話を多くしたくなってしまう。それだけ印象に残っているということの証でもあるのだが。BGMと言えば、このストリングスのかっこいい戦闘曲も印象深い。こちらはファンディスクでのアレンジ版。

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 この作品は、私がプレイした最初のアダルトゲームであった。私はアダルトゲームのえっちなシーンにはあまり興味がなく、シナリオの方にこそ興味があった。そもそも、これ以外で私がプレイしたアダルトゲームと言えば『恋姫無双』しかない。いわゆる「泣きゲー」(対照的なのが抜きゲー)などというジャンルがあるそうだが、こういったジャンルが生まれるのも、えっちなCGと声だけではなくシナリオを重視するユーザーが一定数いる、そういった需要があるということの証明であろう。

 勢いに任せて書いてしまったが、10周年を祝うと共に、改めて当時の記憶を思い出した次第である。余談だが、この作品の聖地は横浜や聖蹟桜ヶ丘だという。ネットで検索してみると、いわゆる聖地巡礼をした人のサイトなどがヒットする。

水瀬いのりさん出演の今期アニメ作品の雑感~バジリスク 桜花忍法帖、信長の忍び、ルパン三世、ただこい~

 さて、久々の更新である。最近は特にネタも思いつかない(思いついても資料集めなどで手間がかかる)、例の積読を処理したいなどの理由から、特に更新をしていなかった。ゴールデンウイーク中も積読を読むことを軸にしていきたい。

 本題に入ろう。これを読んでいる皆さんは、今期のアニメ作品を何か視聴しているだろうか。私は以前の記事にて、今期も「出演声優採用」をすると明言した。

 

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 ゆえに、今期は水瀬いのりさんの出演作品をチョイスして視聴している。今期の彼女の出演作品は、公式サイトにまとめられている。

 

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 現状では、『ルパン三世 PART5』、『多田くんは恋をしない』(以下ただこいと表記する)、『信長の忍び姉川・石山篇~』、『バジリスク桜花忍法帖~』の4作品である。以前の『干物妹!うまるちゃんR』のヒカリちゃん役のように、何かの作品に途中参戦するという可能性は残されているが、今はこれだけだ。夏までアルバムの制作やライブツアーという大仕事が控えていることもあり、妥当な数であろう。

 この中で、『バジリスク桜花忍法帖~』は2クールであるため引き続き放送されており、『信長の忍び姉川・石山篇~』も信長の忍びシリーズの続編であり、話数カウントもそれを引き継いでいるようなので、全く新しい作品ではない。ゆえに、全く新しい作品はルパンとただこいの2作品に限られる。今回は、それらの作品群について三話まで視聴した雑感を記していきたい。完全な新作以外の2作はこれまでの展開に関する感想についても触れて行こう。

 

①『バジリスク桜花忍法帖~』

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 まずはこの作品。原作は山田正紀さんの小説(上下巻)だが、現状、アニメ版とは序盤や下巻の最初以外はかなり展開が異なっているため、アニメ版がどういった結末を迎えるのか想像もつかない。前作『バジリスク甲賀忍法帖~』は山田風太郎の小説『甲賀忍法帖』を元にしているが、今作『桜花忍法帖』でもその一部設定を引継いでいる。しかし、当然作者が異なっているため、この設定を利用した新解釈には「野暮」という意見が目立つ(前作を見ていない人にはネタバレになるので詳細は触れないが)。その点を抜きにしても、この山田正紀さんの原作小説の評判はAmazonなどのレビューを見ると散々なものである。あくまでプロ作家の二次創作と考えて割り切っていれば肩の力を抜けるというものだ。今作の視聴にあたって、前作を読む・あるいはアニメ版を視聴していなくとも特に問題はない。公式チャンネルに過去作のとてもよくできたおさらい動画がアップされているので、それを見るのもいいだろう。

 時は徳川家光江戸幕府将軍の時代。甲賀八郎と伊賀響という二人の忍び兄妹(後者がいのりさんの役)が主役。二人+その周囲の若き男女の忍たちと謎の集団・成尋衆との戦いを描く。キャストには早見沙織さんや佐倉綾音さん、堀江由衣さんなどの人気女性声優、男性陣も三木眞一郎さんや豊永利行さんを起用しており、男女両方の声豚にウケるに違いない。この成尋衆、「忍法」と銘打ってはいるがチート妖術、いや魔法と言ってもいい類のものを使うトンデモ揃いばかり。時間を逆行させて技を相手に返したり、魔獣を召喚したり。いわゆる我々の知っている忍者の忍法とはだいぶ違うのでその点は注意されたい。それを言ってしまうと、今作の八郎や前作の甲賀弦之介の瞳術(自分の目を見た相手の敵意を相手に返す、すると相手は自害する)もなかなかチートなのだが。

 さて、問題の主人公二人であるが…ここまであまり目立った活躍をしていないという印象である。全くしていないとは言えない。八郎は忠長の討手を自身の瞳術で壊滅させたり、最新話では成尋衆の一人・孔雀啄を撃退したりしていた。しかし、物語の最初の数話だけを見ても、セリフが少ない。周りの仲間の忍者たちばかりが活躍している。先述の原作小説では、下巻の戦闘などは引き込まれるものがあったがやはり主人公二人があまり目立たたなかったという読後感が残った。その点では原作に忠実なのかもしれない(皮肉)。その一方で存在感があるのが、駿河大納言こと徳川忠長である。当代将軍家光の弟。家光とは対照的にいかにも有能そうな見た目をしており、序盤では快活であった。…しかし、最近はその小物っぷりに拍車がかかり、完全に成尋側に利用されているという有様。腐っても徳川、その血筋から神輿にされているが、この男はどんな結末を迎えるのか。兄弟対立、疑心暗鬼、この人物の描き方はうまい。

 OP曲は前作と同じく陰陽座の『桜花忍法帖』。前作のOPはといえば、バジリスクタイムでおなじみ「水の様に優しく花の様に劇しく」のアレこと『甲賀忍法帖』である。今回も作品内容を歌詞に反映したかっこいい和な楽曲となっているが、サビであの踊りをするのには向いていないようだ。ED曲は前作で朧を演じた水樹奈々さんの『HOT BLOOD』と『粋恋』がランダムに使用される。前者は和風ロック、後者はバラードとテイスト違い。個人的には前者が好きである。

 同じキング案件(キングレコードが持っている放送枠、キャストもキング関係者が多い)である『ポプテピピック』が始まる前、この作品が楽しみだという宣伝がなされたり、エイプリルフール企画でポプテピピックのサイトからこの作品の公式サイトに飛ばされるといったものがあったが、それでもあまり盛り上がっていないという印象である。Twitterでの実況民も少ない。確かに前作ほど、第一話で視聴者を引き込む力はなかったと言える。それ以降も見せ場はあるがイマイチ盛り上がりには欠ける。個人的にはわりと楽しく見れているのだが、そろそろ今後に期待とも言えなくなってくる時期だ。視聴者をもっとわくわくさせるような仕掛けはあるのだろうか。1話の本能寺での信長の描写なども伏線として徐々に回収してきているようだが。個人的には、最近は実際の古典和歌(『源氏物語』の女三宮の歌など)が盛り込まれてきている回や、やや芥川龍之介の『地獄変』を思い起こさせるような展開があったりその点は面白い。

 

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②『信長の忍び姉川・石山篇~』

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 重野なおきさんの四コマ漫画を原作とした作品。監督は『おじゃる丸』などでおなじみ大地丙太郎さん。バジリスクと同じく忍者もの。こちらは割と煙幕などの忍びの術を使っているが、千鳥が一見可愛い少女に見えながらとんでもない強さを持っているというチート設定。今日の1時35分から放送された最新回でも、突撃する磯野員昌隊の兵を勢いよく斬り伏せていた。敵兵を勢いよくなぎ倒すのは、一期のOPから変わっていないのであるが。

 この作品は5分アニメである。CMも含めて5分であるため、本編はOPと合わせて3分30秒である。時間ないし30分もアニメ見てられないよ、普段アニメは倍速で見てるよ、という人も見やすい。一方で、この短い放送枠であるため、物語はギャグやシリアスシーンが矢継ぎ早に投入される。キャスト陣もアフレコでその早さには苦労しているという。また、ネットでの実況にも不向きである。なぜなら、ギャグのシーンにツッコミを入れようとしたら、既に別のギャグシーンに進んでいるからだ。前回の54話は、1話の中にネタを詰め込みすぎているという印象を受けた。情報過多なのである。また、これまでも原作でのエピソードがカットされている(例えば朝倉宗滴足利義輝の話など)ので、今期も同じようなことが起きる可能性がある。時間の都合などもあり全てやるのは難しいのだろうが、やや勿体ない気もする。

 しかしながら、久々に見た『信長の忍び』53話はつい笑ってしまうところが多々あり、「『信長の忍び』が帰ってきた」と思わせるには充分の面白さであった。声優にも新たに本多忠勝役として小山力也さんが加わるなど、やはり豪華である。間に挟まれる原作のCMや、次回予告も引き続きいのりさんが担当。ニコ動などのネット配信では、こういったCMを見ることができないのが残念である。次回予告は、YouTubeにて公開される。最近は次回予告をED後に流さず、YouTubeで後日公開するパターンも増えてきた。前期であれば『宇宙よりも遠い場所』もそうだ。ゆえに、アニメの公式Twitterをフォローするなどしていない人は、その存在を知らないという人もいる。実際、昨年五月に行われた『信長の忍び』の一気見上映会では、次回予告を初めて見たという声も聞こえてきた。次回予告にもちょっとした小ネタが差し挟まれていたりするので、ぜひ見ていただきたいものである。来週は再び『信長の忍び』の上映会があるので、おさらいと共にどんな話が聞けるか楽しみである。

 今期はタイトルの通り姉川の戦いが描かれ、そして後半では一部界隈で人気の本願寺顕如が登場するだろう。今からクソコラが作られるのがある意味楽しみである。ティザービジュアルには森可成。この男がどういった戦いを見せるのか、一番の見どころになると思う。今から視聴を始めても問題ない。秀吉役の山口勝平さんが、原作コミックス最新13巻のインタビューにて「歴史に興味を持つのはいつも突然。信長も秀吉も歴史のどこかの途中なんです。だから三期から見て、歴史の何かを好きになってくれたら!」と言っていたが、同感である。

 OP曲は、これまで『徒桜』『白雪』を歌ってきた蓮花さんの『金魚涙。』である。作詞も彼女が担当しており、「恋」が一つのテーマになっている。先行配信されているフルをダウンロードして聴いてみたが、OPで使われているのはいわゆる最後の大サビの部分のようだ。これまでのパターンであれば、途中で再びOPが変わるのだろうが、個人的には全部蓮花さんでいいよという思いである。それ以外の曲も悪くはなかったが、一番しっくりくるのはやはり蓮花さんの曲だと思う。

 

ルパン三世PART5

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 こちらはお馴染みのシリーズ。あのルパン三世である。今回は仮想通貨を盗み出したり、ルパンゲーム=ネット(SNS)でルパンを見つけるという仕組まれたゲームが始まったり、いかにも現代的なルパンであり、ルパンの驚くような逆転の発想などストーリーも面白い。しかし、次元や五右衛門などいつものキャラクターたちは全然変わっていない。ただ、今回はかなりルパン一家が親密である。キザなセリフも、なぜかルパンが言うとクサいとは感じず、素直にかっこいいと思える。原作のキャラが出てきたり、OPや効果音が昔のアレンジだったり、シリーズファンには嬉しいだろう。どうしてあのテーマは何度聞いても飽きないのだろう。個人的には今期の作品の中で一番続きが気になっている。

 さて、この作品で水瀬いのりさんが演じているのはアミ・エナンという天才ハッカー少女。ルパンたちと行動を共にすることになる。先ほどの千鳥とは異なり、ややクールとでもいおうか、過去も含めて暗めの役。誤解を与える表現をしていけば、1話でパンツから銃を取り出し、2話で「ルパンは私とエッチがしたいの?」と言い、3話では「私、エッチってしたことないから」というセリフのあるキャラである。一部の水瀬いのりさんのオタクは、この情報だけで視聴を決定する人がいるに違いない。ルパンは「俺は大人しか抱かねえの」と応じていた。個人的にはアミはあまり好みの見た目をしていないので声以外ではそういった感情は起こらない。

 ED曲は、峰不二子役の沢城みゆきさんが歌う『セーヌの風に...(Adieu)』である。歌い方も映像もセクシー。余談だが、沢城さんと言えば、かなり昔のライブ映像で『carnival』という曲を歌っているのを以前見た。下手ではないが、あまりライブなどには向いていなさそうという印象を少し持った覚えがある。この曲は大人な雰囲気で、まったくそういった印象は受けないが。

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多田くんは恋をしない

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 さて最後だ。この作品は原作が存在せず、オリジナル作品である。ゆえに、どうなるのか全く想像がつかない。メインキャラクターを見ていこう。主人公は多田光良という写真部所属の高校二年生。祖父は多田珈琲店を経営しており、写真部とこの珈琲店の二つがストーリーに関わる主な場所となっている。「写真」が重要な要素であるため、カメラの作画には気合が入っている。光良の妹が、水瀬いのりさん演じる多田ゆい。見た目が本人に似ている。可愛い今どきの子といった印象。光良の友人に伊集院薫。ああ、こういうキャラよくいるよなという感じ。宮野真守さんがいい味を出している。そしてメインヒロインが、ラルセンブルクという国から来たという留学生のテレサワーグナー。最初に名乗る時、ワーグナーの部分は言い淀んでいたので、何かわけアリなのだろう。ワーグナーというと作曲家のあの人しか思い浮かばないのであるが。そして一緒に留学してきたお付きの女性的ポジションがアレクことアレクサンドラ・マグリットラブライブ!西木野真姫ちゃんにしか見えないのだが諸氏の意見を伺いたい。

 光良とテレサと写真部の他の部員たちとの様々な交流を描いていくようだが、現状ではどういった方向に物語を進めていくのかが予想できない。要所で笑える要素はいくつかある。喫茶店の常連客にゴルゴらしき人物がいたり、テレサが大好きな日本のテレビ番組が「れいん坊将軍」という時代劇であったり。この「れいん坊将軍」、言うまでもなく松平健のアレが元ネタ。殺陣のシーンで最後に「虹の色を一つ言ってみろ」と問い、やられる側の人が「赤」など何か一色答えると、「虹の色は虹色だ!成敗!」と応じて斬り伏せる。決め台詞が「いつも心は虹色に」。そりゃそうだけどなんという理不尽。これは色んな意味で面白い。

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 しかし、現状ではよくある日常ものである。3話でテレサが光良との間接キスに少し動揺するというのもありがちなものだ。1話で出会い、2話で写真部入部、3話で恋の萌芽やにゃんこビッグ(なんと声が大塚明夫さん)というキャラクターについて描写したので、一応必要なステップではあるのだろう。今後びっくりするような感動ものになる可能性を秘めているので、今は様子見といったところである。

 OPは大石昌良オーイシマサヨシ)さんの『オトモダチフィルム』。この人にあまり馴染みのないという諸氏でも、大ヒットした『けものフレンズ』の「ようこそジャパリパークへ」の作詞作曲編曲者、といえば伝わるだろう。歌詞はやはり作品に合わせて「写真」や「フィルム」といったワードが使われている。個人的にはテンポも好きである。EDはテレサ役の石見舞菜香さんが歌う『ラブソング』。サンボマスターのカバー。原曲と比較して、とても眠くなる声とアレンジである。石見さんは以前私が記事にした『さよ朝』で主人公のマキア役を熱演したことが記憶に新しい。まだ19歳(もうすぐ20歳)だというが、この子は大器であると確信している。今後どういう売り方をしていくのか分からないが、この女性声優戦国時代の中でも頭角を現している。きっと人気女性声優になるだろう。

 

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 以上、色々と好き放題書いていたらまた長くなってしまった。これはつまらない、思う作品はなく、今のところ全て視聴を継続するつもりである。皆さんも、面白そうな作品を見つけてみてほしい。また次回も不定期更新になりそうだ。

 

余談

 今度アニメ化されるらしい(時期不明)『寄宿学校のジュリエット』、原作を既刊全て読んだがこれは面白い。メインヒロインのジュリエット・ペルシアの声が茅野愛衣さんだというしこれは期待せざるを得ない。

 ところで、最近の深夜アニメはやはりOPやEDに歌詞字幕がないものがほとんどである。以前、歌詞字幕があると「いかにも子供向けっぽい雰囲気が出て台無しになるから」「格好悪い」といった意見を見かけたことがある。お前らは『北斗の拳』や『シティーハンター』を見たことがないのか?と言いたい。私としては、あった方がよいと思う。わざわざ歌詞の聞き取りをする必要もなくなる(だいたい耳コピは間違える)。昨年の今頃放送されていた『終末なにしてますか?忙しいですか?救ってもらっていいですか?』のED『フロム』は歌詞が表示されていた。作品内容とリンクしているから、あえて出しているのだ。OP曲及びED曲は、作品内容とリンクしていた方がいいと思う。回を重ねるごとに、同じ楽曲でもその深みが増してくるというものだ。

『英雄たちの選択』崇徳院回の内容まとめと補足史料と感想と―後編

 さて、前編中編と続けてきたがいよいよ最後である。番組は崇徳の流された地・香川県へ。郷土史家の方が、崇徳は「綾川」を京都になぞらえて「鴨川」と呼んだと教えてくれる。近くの駅名も「鴨川」である。また、山も京都の「東山」と呼んだという。これは知らなかった。郷土史家「ここへ来て京都のことばかり思っておったんでしょうかね」。

 続けて、崇徳が住居にした木丸殿。「粗末なつくりの小さな小屋でした」というナレーション。崇徳の住居が粗末な作りだったことは、同じく『保元物語』にも書かれている。都でかつて院に召し使われていた淡路守是成(法師となり、蓮如と名乗っていた)が讃岐へ赴き、院の御所を訪れた際に対面しようと差し上げた歌はこうだ。

 「アサクラヤ木ノマロ殿ニ入ナガラ君ニ知レデ帰ルカナシサ」

蓮如の歌の「アサクラヤ木ノマロ殿ニ」という部分について、日下氏は次のように指摘している。

 

 「百済救援に向かった斉明天皇が亡くなった筑前国朝倉の地(福岡県朝倉市)。木の丸殿は、その地に造った丸木のままの粗末な宮殿をいい、ここは新院の居所をそれにたとえた」

 

 そして、崇徳は生前都に帰れることはなく、46歳でその生涯を終えた。『保元物語』は、荼毘に付された際の煙が、「都ノ方ヘゾキヌラムトゾ哀レ也。」と記す。野中哲照氏は、次のように述べている。

 

 「望郷性が強く表現されており、このことによって、のちに反転した崇徳院怨霊が徹底して都へ向けて降りかかることを暗示しようとするものであると見てよいだろう。」(野中哲照保元物語の成立』)

 

 番組では高家神社の紹介。崇徳の棺から血が流れたという逸話から、血の宮と呼ばれるという話。棺を置いたという石があったり。そして白峯御陵。「その最期は、何者かに殺されたとも、自ら命を絶ったとも言われます」確かにそういう説があることはあるが、これに関してはどちらも「ない」と思う。病没であろう。例えば、『今鏡』には、晩年の崇徳の様子についてこう書かれている。

 

 「あさましき鄙のあたりに、九年ばかりおはしまして、憂き世のあまりにや、御病も年に添へて重らせ給ひければ、都へ帰らせ給ふこともなくて、秋八月二十六日にかの国にて失せさせ給ひにけりとなむ」

 

 そして京の都では相次ぐ天変地異。ナレーション「そして崇徳上皇復権を願う者たちから、怨霊の存在が語られだしたのである。」天変地異と言えば、安元三年に発生した安元の大火である。強風によって火は燃え広がり、天皇の即位儀礼に関連する大極殿が焼失するなど、都の広い範囲が灰となった。皆さんも、学校の古典の授業で読んだことがあるであろう、鴨長明の『方丈記』。「ゆく川の流れは絶えずして」のアレである。この本の中で、長明は安元の大火について記している。一部現代語訳を引用しよう。

 

 「行方定めず吹きまくる風のため、あちこち燃え移ってゆきながら、扇を開いたように末ひろがりに燃えさかっていった。」

 「家々の焼けた数は、とても数えるどころの話ではない。なにしろ京の都全体の約三分の一が燃えてしまったというのだから、その数も推して知れよう。」

中野孝次『すらすら読める方丈記』)

 

 そして、ナレーションの言う「崇徳上皇復権を願う者」について、番組にも出演している山田雄司氏は、著書『怨霊とは何か』にて、その中心人物として藤原教長の名前を挙げている。この人物は崇徳の側近であり、乱後は常陸国に流されていたが、許されて都に戻った後は蔵人頭になっていた。

 番組では「ある公卿の日記」として『愚昧記』の記述が紹介されていた。なぜ名前をぼかすのか。三条実房だろう。

  

 安元三年(治承元年)五月九日条

「讃岐院宇治左府事可有沙汰事

相府示給云、讃岐院幷宇治左府事、可有沙汰云々、是近日天下惡事彼人等所為之由、有疑、仍為被鎮彼事也、無極大事也云々」(東京大学史料編纂所『大日本古記録 愚昧記 中』)

 

 こうした事態は崇徳と藤原頼長の祟りによるものなので、それを鎮めなくてはいけない。ここでは頼長も合わせて怨霊として認識されているということがわかる。ちなみに、『保元物語』ではその後の鹿ケ谷の陰謀や後白河が平清盛に幽閉される治承三年の政変なども、崇徳の怨霊のせいであると語る。

 後白河は最初は全く取り合わなかったが、「親族が次々に病に倒れるなど、身の回りに不幸が相次ぐと、ついにその存在を認め、対策を講じるようになった。」では、「親族」とは誰か。1176年。高松院姝子(後白河の異母妹)、建春門院平滋子(後白河の女御)、六条院(後白河の孫)、九条院呈子(後白河の異母弟・近衛天皇中宮)。この年の6~8月の間、この四人が相次いで病気で亡くなったのである。後白河が恐れるのも無理はない。そして「対策」とは様々な鎮魂行事である。

 そして番組は、江戸時代の作品・上田秋成の『雨月物語』の「白峯」に触れる。崇徳院の怨霊は、それで広く庶民たちにも知れ渡っていくのだと。これは、亡霊となった崇徳と西行が様々に意見を戦わせる内容だ。更に国学者平田篤胤。「玉襷総論追加」から引用。崇徳の祭祀を改めて説く。この辺りは実は私も専門外。

 そして、番組序盤の明治天皇創建の白峯神宮の話に戻る。讃岐から迎えた崇徳の御霊に捧げる祝詞。「天皇と朝廷を末永く守り、奥羽の旧幕府軍を鎮圧し、新政府をお守りくださいますよう。」

 

 谷川健一氏の指摘を引用しておこう。

 

 「ときあたかも、戊辰の役の年。朝廷方は征討軍を東上させ、まさに奥羽諸藩を挑発して、一戦をまじえようとしていた。このとき、崇徳上皇の霊が、奥羽諸藩のほうに味方して官軍をなやましたとしたら、それこそゆゆしい事態になるかもわからないと、朝廷は判断した。」(谷川健一『魔の系譜』)

 

 そしてナレーション。「崇徳上皇は700年の時を経て、国を守る守護神へ変貌を遂げたのである。」ちなみに、この後の時代。戦後の1964年の東京オリンピックの年。この年は偶然崇徳院の没後八百年にあたるため、昭和天皇はその陵墓に勅使を遣わし、式年祭(祭祀)が執り行われた。平安時代末期を生きた人物でありながら、明治や昭和の時代になってもなおその存在は無視できないものである。

 スタジオへ。「(配所だった場所の)町の皆さんは今も崇徳さんと呼ぶ。おいたわしい、かわいそうという気持ちで霊を慰めるという気持ちが強いということを感じた。」これは私も同様の話を聞いたことがある。番組に登場した郷土史家も、「崇徳さん」と呼んでいた。

 

 夢枕「帰りたくて帰りたくてしょうがないんでしょうね。暗殺でなければ都への焦がれ死に」

 

 なるほど、「焦がれ死に」は適切な表現かもしれない。「憤死」が存在するのだから、焦がれ死にというものも存在するのかもしれない。

 

 山田「流された先の讃岐の人は怨霊だと思ってない。都から流されてきた尊いお方だと。怨霊だと感じたのは都の貴族たち。それは自分たちが何か悪いことをしてしまったのではないかと。怨霊は流された人自身が怨霊になりたいと思って生まれるのではなくて、残された人たちが『かわいそうだね』と思うところから生まれたりする」

 

 萱野「最強の怨霊と恐れられたことは、尊敬されてたことの裏返し。」

 

 磯田「崇徳院の百回忌ごとに都で騒乱が起きると信じられてきた。禁門の変など。」

 

 

 夢枕「社会のシステムとして怨霊は必要なもの。色んな悪いことが起きたとき、なぜこれが起こったのかということを決めねばならない。誰かの祟りであると。これは鎮めねばならないと。社会の中に組み込まれてる。」

 

 山田「怨霊は恐ろしいというイメージがあるが、社会を行き過ぎない方向に導くという側面もある。日本社会全体が古代から霊魂だとか見えない世界に取り巻かれているという意識が現代まである。」

 

 夢枕「仏教じゃない、呪術とかシャーマンがいて色んなことがやってきた、精神の根っこにあるようなものが作用して怨霊みたいなものができてきたと思う。」

 

 壮大な話になってきた。この辺りの日本人の歴史的精神性の問題、突き詰めていくと面白いかもしれない。

 

 磯田「日本は帝の筋の交代がない。易姓革命のようなね。崇徳だけが「皇を取て民となし、民を皇となさん」とかこんなことを言ったと信じられた。放っておいたら政権交代がないので、天皇と公家の政権は堕落していくのか。暴虐、贅沢三昧をすると本当に易姓革命で皆殺しにされますよと。野党のような選挙がない段階で堕落させないための野党としての存在。しばしば民衆も、崇徳の塚が鳴動しただのという話をした。現政権に対し反省を促すと。そういうことで怨霊は機能し続けた。」

 

 夢枕「今揺れてますか?」

 

 磯田「どうでしょうねえ」

 

 多分、揺れている。中国の易姓革命に関しては、先ほど取り上げた『雨月物語』の「白峯」にも、この話が登場する。西行法師は、『孟子』について説明する。周王朝の創設者・武王は一たび怒りを露わにし、天下の民を安らかにした。これを臣下の身で君主を殺したというのはあたらない。仁の道にはずれ義の道を損なった一人の不心得な悪人の紂王を征伐したのである。ゆえに、武王のこの行為は正当化されるのだと。これに対して西行は、中国の書物はほとんど日本にも伝わってきているが、この『孟子』を積んだ船は、日本に来ると暴風雨に遭って沈没してしまう。それは天皇の子孫の命を奪っても罪にならないと主張する反逆者が出るかもしれないと八百万の神々が思い、神風を起こしているからだ、と語る(高田衛・馬場篤信校注『雨月物語』)。なるほど、日本での易姓革命は神々が許さないというわけだ。

 

 怨霊は野党という論理。恐ろしすぎる野党である。与党が堕落していると、命を奪いにやってくる上に天変地異を引き起こす。

 さて、これで番組は終わりだ。改めて振り返ってみると、非常に良い番組だったと思う。最新の研究なども取り入れつつ、初めて崇徳院を知る人にも興味を持ってもらえる、分かりやすい構成と言える。何より、あまり取り上げられることがない崇徳院をテーマにして一時間番組を作って貰えたことは非常にうれしい。また、山田氏と夢枕氏の意見は、頷けるものが多かった。崇徳院の血の写経に関する問題などには触れられていなかったが、興味のある人はぜひ調べてみてほしい。

 余談ではあるが、『屍姫』という漫画がある。少年ガンガンで連載されていたが、23巻で完結。その5巻にて、崇徳院(がモデルの人物、ちなみにWikipediaの『屍姫』の記事のこの人物の項でも崇徳の記事へのリンクがある)が現世に復活。いつの間にか蘇っていた源為朝が、その復活を主導。巻が進むにつれて崇徳は完全復活を遂げ、死の国を興すべく進攻を開始する。その際には頼長なども合わせて蘇っている。狙うは、主人公たちが所属する屍を狩る真言密教の一派・光言宗の本山。昔私が2ちゃんねる某所でやっていたなりきりスレの崇徳院は、この影響を多分に受けている。むしろそのまま持ってきたようなものだ。興味のある方はぜひこの漫画を読んでいただきたい。崇徳院(がモデルの人物)にミサイルを撃ち込んでいたり大丈夫かという感じであるが。なお、アニメ版ではこの人物は一切登場せず完全オリジナル展開になっているのであしからず。

 ちなみに私は、コミケにて、原作者の赤人義一先生にこの人物造形がとても好きだということを伝えたことがある。

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 さて、更新しないしない詐欺を続けてきたが、またすぐ更新するようなことがあるかもしれないし暫くないかもしれないしそれは分からない。歴史ネタ・文学ネタはまとめるのに結構時間がかかるのだが、気が向いたときにまたいつか何かやるかもしれない。ネタ募集中。

 

魔の系譜 (講談社学術文庫)

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保元物語の成立

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すらすら読める方丈記 (講談社文庫)

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雨月物語 (ちくま学芸文庫)

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『英雄たちの選択』崇徳院回の内容まとめと補足史料と感想と―中編

 さて、番組の続きだ。『百人一首』の崇徳院の歌「瀬をはやみ」が紹介される。谷知子氏の訳を拝借すると、

 

 「瀬が速いので、岩にせきとめられる滝川が真っ二つに分かれても、いつかまた合流するように、恋しい人と別れてもまたいつかは逢おうと思う」(谷知子編『百人一首(全)』)

 

 番組では、「せつない恋の歌として名高いが、父・鳥羽上皇との和解を願う歌とも読める」とナレーション。なるほど、その発想はなかった。この歌が作られた時期は崇徳の配流以前であるが、もし仮に作られたのが配流後であったならば、再び都に帰りたいと願っている、という解釈もできたのになと考えたことはあるが(実はこの谷氏の本でも同じ読み解きが書いてあって当時は驚いた)。

 

 明大の山田哲平氏「史的な史料は利害関係によって成立しているものだから、何が本当か全然わからない。和歌は本人の心情を書いているわけだから、より正確な歴史的な史料になると思う。」

 

 確かに史的史料は、勝者の側の歴史認識で書かれていたりするものだ。一方で和歌には本人の心情が書かれていると。まあ本歌取りや題詠など和歌と言っても様々なものがあるから一概にそうと言えるかというと疑問であるが、この話を始めると長くなるのでやめておこう。山田氏は、崇徳の和歌を一首紹介する。

 

 「秋の田の穂波も見えぬ夕霧に 畔(あぜ)づたひして鶉(うずら)なくなり」

 

 ナレーション「田んぼのあぜ道に従って歩くしかない飛べない鶉。父に翻弄され続けた人生への諦めか。」山田「自由意思で動いていると思っていながら、結局は敷かれた線路の上をただ走ってるだけだと。物凄い自分を客観的に見てますよね。」崇徳院初度百首が最初の出典だろうか。この点は不明であるが、『続詞花和歌集』に載っているようだ。本当に崇徳がこうした心情を歌に反映させたのかは断定できないと思うが、『保元物語』では、彼の心情が歌に詠み込まれたものがいくつか存在する。例えば、敗戦後に崇徳が逃げ込んだ仁和寺(同母弟で出家した覚性法親王がいるため)で詠まれた歌二首。

 

「思キヤ身ハ浮雲ニ成ハテテ嵐ノ風ニ任スベシトハ」

「憂事ノマドロム程ハ忘ラレテ醒レバ夢ノ心地コソスレ」

 

 一首目は自身を浮雲に例え、これから自分はどうなってしまうのかという心情を表したものである。「嵐ノ風ニ任スベシトハ」という部分から、「浮雲」である自分の力ではどうすることもできないという思いも感じられる。

 二首目は以前も取り上げたが、当ブログのタイトルでもある。「憂事」とは、まさに今、自身が置かれた状況のことであろう。眠っている間はそれらが忘れられるといった点は、現実からの逃避願望とも受け取れる。

 

 さて、番組ではここで新たな登場人物が加わる。

 

 「行き場のない葛藤と孤独を抱える崇徳上皇に近づく一人の男がいた。時の左大臣藤原頼長である。摂関家藤原氏の頂点に立つエリートにして、日本一と称された知識人でもあった。」

 

 出ました頼長。一部界隈では自身の男色のことが書かれた日記『台記』で有名。なお番組の中ではその件は全く触れられず。番組では「日本一の大学生」の部分が引用。和漢両方の知識に精通。これもまた『愚管抄』からである。「大学生」は今と同じ大学生という意味ではなく、「知識人」「学者」といったところか。

 「(鳥羽)院の主流派などとしばし対立し、『悪左府』横暴な左大臣と揶揄される存在でもあった。」これは本人の厳格な性格などの問題もあろう。「悪」は必ずしも「悪い」という意味ではないのであしからず。「激しい・荒々しい」という解釈でもいい。「後白河天皇側についた実の兄・忠通の謀略により、政治の中枢から外されてしまったのである。」頼長は天才。ゆえに、父親である忠実は、頼長を溺愛。忠通を勘当、弟である頼長に家督氏長者)を継がせる。忠通は当然面白くないわけで。ちなみに「謀略」とは、忠通が「近衛天皇が若くして崩御したのは忠実と頼長が呪詛したから」と鳥羽院に讒言、でっちあげを行ったことを指すか。こうして排除された者同士、崇徳と頼長は別にそれまで仲が良かったわけでもないのに接近していく。

 更に、武士が公家へ鬱憤を募らせている。

 

 元木「これまで武士が敵を倒すと言えば盗賊とか辺境の反乱、今度は都で大活躍するチャンスかもしれないと。武士にしてみればこれはありがたい。うまくいけば俺たちも公卿になれるかもとそんな思いを持っていたかもしれない。」

 

 さあここにきて、天皇家摂関家、そして武士たちの野望まで絡み始めた。

 運命の1156年。鳥羽院崩御。そして立つ噂。番組での「上皇左府同心して軍を発し国家を傾け奉らんと欲す」とは『兵範記』の引用。こうした噂が立っていたのは、以前の記事で引用したが『保元物語』でも同様だ。

 ナレーション「それは、後白河天皇側が仕掛けた挑発でもあった。更に、後白河天皇側は警護のためと称し兵を招集。」さあどうするか。ここで、番組タイトルにもある崇徳の「選択」がある。

 

一「謀反の意志など毛頭ないと恭順の意志を示そう」

二「院の独裁が続けば権力闘争は終わらない。これまでの院政は間違っている。後白河に武力で打撃を与えてでも、混乱を断ち切ろう」

 

 なるほど、番組では崇徳と頼長が、自分たちが権力を握り、院政をしたいという野望のために戦うという『保元物語』のような解釈はしていない。院政を正そうという崇高な目的のために戦うという解釈を採用しているようだ。

 ここでいったんスタジオへ。

 

 萱野「(崇徳は)相当葛藤があったと思う。自らが理想とするこれまでの美しい権力の在り方を体現・回復しようという思い。武力で行ったら品位の否定になるというジレンマ。」

 

 夢枕「頼長という男が曲者だと思う。頼長がいなければ可能性としては抑えた可能性もあったと思う。歴史にIFは禁物だが。頼長は天才、合理主義者。激しい言葉で今やらずいつやるんだと崇徳に説いたと思う。」

 

 磯田「崇徳と頼長は反主流派。彼らの言うことはもっともらしい、昔の摂関政治をやってたように家柄のある人が政治をやるべきである、が、これまでのやり方が正しいから元に戻すべきという側は負ける法則がある。暴力を使った政治闘争はやったことがない崇徳は乗っちゃった。」

 

 山田「当時、京都は戦乱に巻き込まれていない。貴族たちは戦いを知らないと思う。生きる死ぬが概念的にしかわかってない。何か戦いがあるけど崇徳は自分は大丈夫だろうくらいにしか思ってなかったのでは。」

 

 『保元物語』の方では、頼長は崇徳にぜひ立ち上がるべきだと煽っている。まさに「いつやるの?今でしょ!」というわけだ。当然、崇徳が復権すれば、頼長自身も権力を回復できるからという理由であるが。頼長が曲者という夢枕氏の指摘には私も同意したいところである。天才ゆえの思い上がりと失敗である。

 山田氏は当時の都の貴族の戦いというものへの見方などについて述べる。いわゆる「戦う天皇」というのは、過去の例であれば壬申の乱に勝利して即位した天武天皇などであろう。崇徳より後の時代、承久の乱を引き起こした後鳥羽上皇は、そうした天皇にあこがれた。なぜか。彼は、三種の神器である剣を持たずに即位した。剣は平家滅亡の際に、壇ノ浦に没したからである。そのことがコンプレックスとなった後鳥羽上皇は、武芸にも興味を示すやや特殊な天皇となった。そして最後に、承久の乱を引き起こすこととなるのはまた未来のお話。

 さて、ついに崇徳の選択の時だ。保元元年(1156)7月9日。動き出す崇徳。選んだ選択は開戦。ナレーションでは、崇徳側には源為義、為朝親子などの武士が参集したと語る。出ました為朝。巨大な強弓を扱う猛将。『保元物語』の主人公。作中では2m10cmの長身。一矢にて舟を沈めたり、一矢で一人の鎧武者を射抜き、後ろの武士の袖にその矢が刺さったり。『吾妻鏡』には、リアルの為朝と戦った武士(大庭景能)の回顧がある。「弓の達者」ではあるが、為朝は体に比べて弓が大きすぎたのでどうにか矢を避け「膝に矢を受けてしまってな...」で済んだという。まあ物語はあくまでフィクションなので。

 一方の後白河方の武士としては源義朝平清盛が紹介。義朝はおなじみ頼朝・義経の父。先ほどの為義は、義朝の父。親子・兄弟で敵味方に分かれているのである。天皇家が崇徳(兄)―後白河(弟)、摂関家藤原氏)が頼長(弟)―忠通(兄)、平家が平忠正(清盛の叔父)―清盛(甥)などに分かれている。今回は省略するが、細かく見て行けば、特に武士は一族同士で敵味方に様々に分かれているのである。

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 7月11日未明、後白河軍の奇襲。火攻めもあり崇徳側敗退。4時間で終了。番組内では一分くらいで終戦。早い、早すぎる。物語の方にある為朝の活躍などはスルー。こうして為義や忠正など、崇徳側に付いた武士は斬首へ。番組内でも350年ぶりの死刑復活と語られる。810年の薬子の変以来の復活。そう言えば、番組内では頼長がどうなったか語られていない。逃げる途中、首に矢が当たり、それが致命傷となって死亡している。

 そして崇徳に対する処罰はと言えば讃岐国へ配流。

 

 元木「和解できない、話し合いでは解決できない、そういう事態が起こったら武力衝突になる。正統な帝王、摂関家中心の時代から武力で奪い合う時代になった。」

 

 再びスタジオへ。

 磯田「頼長と崇徳院原理主義者。だけど自分たちに集まってくる武家は動員力がなかった。為朝が一人頑張れるくらい。」

 

 夢枕「唯一為朝のところはいいところ。(崇徳側が)勝つチャンスはあった。為朝が夜討しよう火をつけようと斬新な戦略を提案するが、頼長が止めた方がいい、作法にのっとってないので夜が明けてからにしようとか言って却下する。」

 

 山田「やはり当時の戦い方として、作法があるので、恐らくそうしたものを頼長は重視した。そういう奇襲だったりというのをやってはいけないという考えがあった。」

 

 萱野「あからさまな武力行使が肯定される時代。政治秩序の大きな転換。」

 

 『保元物語』では、為朝は夜討ち・火攻めを提案するが、頼長はこう答える。「為朝の考え、荒々しいやり方だ。思慮が足りない。年が若いからだ。夜討ちなどというのは、十騎、二十騎でやる私ごとの戦いの場合だ。何と言ってもやはり天皇(後白河)と上皇(崇徳)とが国政の掌握をめぐって争いなさるのに、夜討ちがよかろうとも思われない。」確かに、頼長は作法にのっとっていないという理由で、為朝の意見を退ける。また、「夜が明けてから」というのは、その頃に僧兵が援軍に来るからという理由である。結局、崇徳側は逆に奇襲にあい、敗退することとなる。ちなみに、夜討ちを許可した後白河側の藤原信西は、「火攻めをすると寺が焼けてしまうのでは」と心配する義朝に対して、「帝が相応の力を持っていれば一日で建てられる。火を付けろ」と指示する。崇徳側とは何もかも真逆であった。

 

 夢枕「新しい文学の形式が生まれてきた。『平家物語』のような形式、『保元物語』から始まって、素晴らしい物語ですよ。血沸き肉躍る所もあるし、悲しくてやりきれないところもある。滅びゆくものを愛するという典型的な物語を生んだ。」

 

 夢枕さんはさすが、作家という意見である。この戦乱がきっかけとなり、いわゆる「滅びの美学」を盛り込んだ、日本人が大好きな物語が生まれてきたというわけだ。

 

 「さまざまな過程で口頭の芸と交渉を持った軍記物語は、それゆえ、民衆のなかに受け容れられていき、かつ、民衆の望む方向へ成熟させられた。正しい歴史事実を伝えるよりも、人々と感動を共有することが求められたのである」(日下力『いくさ物語の世界』)

 

 軍記物語は、あくまで創作、フィクションだ。歴史書ではない。だから、民衆は為朝の活躍に心躍らせ、配流となった崇徳の姿に同情する。民衆もまた、こうした物語を欲したのであった。

 さて、ここで番組は崇徳の流された讃岐(香川県)へ。次回で最後。

 余談であるが、この番組を最初に視聴した当時も、「選択」にまつわるある曲が思い浮かんだ。『戦姫絶唱シンフォギアAXZ』のEDである高垣彩陽さんの『Futurism』である。サビの歌詞はこうだ。

 

 「正しいか? 間違いか? いつも答えなどなくて選んだ道がただ目の前に まっすぐ続くだけ」

 

 夢枕氏の言っていた通り、歴史にIFは禁物だ。IFを考えるのは楽しいけれど。人生は、大小問わず選択の連続である。しかし、結果的にその選択が間違いだったとしても、「選んだ道がただ目の前に まっすぐ続くだけ」の状態になってしまう。よくあるループものや、タイムマシンなどがあればやり直しができるが、実際はそんなことはない。崇徳は、葛藤しながらも、戦うという選択をした。『Futurism』の二番のサビには「いつか笑ってこの選択に頷ける時まで」という歌詞もある。崇徳は配流にされ、最後まで都に戻りたいという思いを抱いていた。それは一番の心残りだ。しかし、それを除けば。ようやく都の権力闘争、陰謀から解放された、という思いもあったのだろうか。この点は想像するしかあるまい。

 

 

 

 

Futurism(期間生産限定アニメ盤)

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『英雄たちの選択』崇徳院回の内容まとめと補足史料と感想と―前編

 暫く更新はないと言ったな、あれは嘘だ(n回目)。3/29にNHKBSプレミアムで放送された、『英雄たちの選択』という番組。これが崇徳院回。これは私が記事を書かずしてどうする、というわけだ。今回はその番組内容をまとめつつ、補足を加えていったり自分の意見を述べたりするものである。そして、改めて崇徳院という人物について考えていきたい。崇徳院に関しては、先日記事を上げているので、そちらも合わせてご参照いただきたい。

 

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  さて、番組導入はこうだ。「かつて、日本を恐怖のどん底に陥れた、怨霊がいた…」とてもおどろおどろしい。まず見る人に興味を持ってもらうということか。そして紹介されるのが、江戸時代の歌川国芳による浮世絵。『百人一首之内』より崇徳院。これはよく知られた絵である。

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 左下の「七十七」という数字は、『百人一首』の崇徳院歌「瀬をはやみ」が77番歌だからである。ナレーションでは、そこから今回の内容をざっと説明し、鎌倉時代の軍記物語『保元物語』(フィクション)において崇徳が舌を噛み切り怨霊になる場面があると語る。私の手元の資料から、引用しておこう。

 

 「御舌ノ崎ヲ食切セ座テ、其血ヲ以テ、御経ノ奥ニ此御誓状ヲゾアソバシタル」(『新日本古典文学大系 43 保元物語 平治物語 承久記』)―「舌先を食い切り、その血でお経の最後に誓いの言葉をお書きになった」

 

 何を誓ったのかと言えば、「日本国ノ大悪魔ト成ラム」ということである。『保元物語』には、多くの「諸本」がある。それぞれ大筋は同じでも、やや展開や描写が異なっていたりするのである。ここに引用したのは、最も古い状態をとどめているとされる「半井本(なからいぼん)」と呼ばれるものである。もう一つ多く利用されているのが、これより後の時代の『平家物語』などの影響がみられる「金刀比羅本(ことひらぼん)」である。

 本題に戻ろう。ナレーションは、これ以降、都では天変地異、政情不安が続き、誰もが崇徳の祟りを疑ったと語る。この辺はのちほど。

 更に、その祟りは天皇家にも降りかかると語る。ここで引用されているのが、金刀比羅本の一節だ。

 

 「皇を取て民となし、民を皇となさん」―「天皇を民にし、民を天皇にしてやる」(永積安明 島田勇雄校注『日本古典文学大系 31 保元物語 平治物語』)

 

 元は天皇であった人物が、天皇家を打倒すると言っている。この記述は、半井本には存在しない。

 ここから番組本編。スタジオには磯田道史さん、夢枕獏さん、山田雄司さん、萱野稔人さんという面々。山田氏は、最近は伊賀の地・三重にて忍者の研究に熱心に取り組んでおられる。三重大学大学院にて「忍者・忍術学」が専門科目になった、というニュースを見た方もおられるだろう。まさに、それに関わっていらっしゃる方だ。この方の崇徳院怨霊関係の著書は、私も論文を書く際に非常に参考になった。

 先に、山田氏の著書から、「怨霊」とは何かという定義について、示しておこう。

 

 「相手側から弾圧されたりしたことにより、追い込まれて非業の死を遂げ、その後十分な供養がなされなかった霊魂は、死後に自分の宿願を叶えるために、自分を追い落とした人物に祟って出たり、さらには社会全体にも災害を発生させると考えられてきた。それが「怨霊」と呼ばれる存在である。」

 「現代においては、怨霊の存在を真剣に信じる人はそれほど多くはないかもしれないが、古代・中世においては、天皇から庶民に至るまで、怨霊は実在するものとして恐れられた。」(山田雄司『怨霊とは何か』)

 

 磯田氏「日本史には数々の怨霊がいますよね。三大怨霊として平将門菅原道真、そして今回の崇徳上皇ですよね。この崇徳上皇の怨霊は実は最大最強です。何せ天皇をなさった方が怨霊になって天皇家を襲うからです。明治まで続くんですよね。」

 

 将門と道真については、歴史に詳しくない人でも、知っているという人は多いだろう。将門の首塚、そして清涼殿に雷を落としたと言われる学問の神様・道真。崇徳院怨霊が「明治まで続く」というくだりについては後ほど。他にも日本史では、後鳥羽上皇早良親王といった人物が、怨霊として有名だ。いずれも、山田氏の指摘するように、弾圧され、非業の死を遂げた者ばかりである。

 磯田氏は、先ほどの浮世絵について、「崇徳院は怒りのあまり天狗になったと言われてますよね。髪も爪も伸び放題にして、もう凄まじい形相になって、惨たらしく死んで、その恨みの力でもって皇室を呪い続けたと。」と述べている。

 再び、『保元物語』半井本より、引用しよう。

 

「御髪モ剃ラズ、御爪モ切ラセ給ハデ、生キナガラ天狗ノ御姿ニ成セ給テ」

 

 一方の金刀比羅本では、「御ぐし御爪長長として、すゝけかへりたる柿の御衣に、御色黄に、御目のくぼませ給ひ、痩衰させ給て」と記されている。これは都から康頼という人物が、崇徳の様子を見に行かされた際の話である。この恐ろしい姿を見た康頼は、何も言わずに帰っていく。また、同じく軍記物語である『太平記』には、非業の死を遂げた後鳥羽上皇等と共に、「大なる金の鵄翼をつくろいて著座」する崇徳院が、天下に禍をもたらすべく相談をしている描写がある。

 番組では、崇徳が怨霊となった原因として、1156年の保元の乱に触れる。

 

 磯田「一言で言うと、武士の世への転換点ですよね。それまでは天皇とか公家とかが普通に政権を担ってたわけですが、武士の力が政治に影響力を及ぼすようになったきっかけの戦いですよね。この保元の乱の中心にいたのが崇徳上皇だったわけですよね。」

 

 番組の後半でも触れられるが、磯田氏の言う「武士の世への転換点」とは、慈円が『愚管抄』において、「鳥羽院ウセサセ給テ後、日本國ノ亂逆ト云コトハヲコリテ後ムサノ世ニナリニケルナリ。」(岡見正雄 赤松俊秀校注『愚管抄』)と書いていることによるものだ。実際、保元の乱の後も、平治の乱や壇ノ浦に終わる源平の争乱など、戦が続き、最後は武家政権である鎌倉幕府が誕生する。

 番組では、続いて白峯神宮を訪問。祭神が崇徳院だからである。明治天皇の即位と共に建てられた(1868年)ことに触れ、維新の時代に崇徳をまつり、その怨念を鎮めたということを語る。禰宜の話を聞き、御霊は崇徳が流罪となった讃岐国香川県)にあったが、そこから十日かけて京都に運ばれたと語る。この点についても後ほど(後で語ると断る話が多いのは、私が番組の編成の方に合わせているからである)。

 そこから、番組では神社の創建以来守られてきた崇徳の肖像画を紹介。ナレーションの言う通り、「怨霊のイメージとはかけ離れた、もう一つの顔」である。こちらこそが本当の顔なのだと。先ほどの浮世絵のような、髪を振り乱した青いような顔とはうって変わり、精悍な顔立ちである。

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 続いて、番組では同じく京都にある安楽寿院を訪問。崇徳の父・鳥羽院が建てた寺である。安楽寿院に関しては、以前の記事で崇徳が「父の墓参りをしたい」と願うも許されなかった、という話で名前が出てきたことを記憶しておられる方もいるかもしれない。そして不穏なナレーション。

 

 「平安時代後期、絶大な権力を誇った鳥羽上皇。この父との関係に、崇徳上皇は生涯悩まされることになります。」

 

 鳥羽院がここで政治をつかさどっていた、力を持っていたという話。そして院政の説明。

 

 「天皇を引退した上皇、院が中心となり行った政治のこと。天皇の後見人として権力の座についた上皇は、それまで摂関家によって守られてきた宮廷の慣例をことごとく無視。かつてない一強独裁体制を作り上げていた。」

 

 この院政をスタートさせたのが、例の叔父子説の白河法皇鳥羽院の祖父である。そこから、下級貴族の側近・「院近臣」と直属の親衛隊・「北面の武士」に触れる。院近臣としては、保元の乱の三年後の平治の乱で中心的な人物となる藤原信西藤原信頼が有名だろうか。北面の武士に関しては、西行法師がかつて鳥羽院の下でその役にあったことがよく知られている。

 ここで京大の元木泰雄氏が登場。以前の記事では著書から引用させていただいた。

 

 「(これ以前の)摂関時代は天皇外戚(母方の親族)が大きな力を持つが、院政期に入ると重大問題などは院が独裁的に決めることになった。もし院が判断を誤れば、大変なことになる。」

 

 とにもかくにも、院(上皇)=治天の君というものは絶大な権力を持っていた、ということだ。

 そこから番組は、崇徳自身の話へ。

 

「和歌の才能に恵まれ、歌会を頻繁に主催するなど、宮廷でひときわ輝く存在だった。」

 

 崇徳の和歌に関して、藤原清輔によって書かれた歌学書『袋草紙』は、藤原顕輔が『詞花和歌集』(崇徳が編纂を命じた勅撰和歌集)を崇徳に総攬した際の逸話を載せる。崇徳は「御製少々ならびに藤原範綱・頼保・盛経等の歌を除かる」という行動に出たという(藤岡忠美校注『新日本古典文学大系29 袋草紙』)。気に入らないものは、自分の歌でさえも削ったという。自作の歌も、厳しく評価していたようだ。崇徳の歌へのこだわりの強さがうかがえる。

 他に、『今鏡』は、「崇徳院が幼いときから和歌を愛好され、隠題や紙燭の歌などで、技巧と速詠の修練をつみ、うちうちの歌会をかさねて、本格的な歌会を催されるに至ったこと」や崇徳院が歌を日ごろから詠んでおり、「めづらしくありがたき御歌ども多く聞え侍りき」といったように、崇徳の歌が優れていたと記している(竹鼻績『今鏡(上)』)。

 順風満帆に見えた崇徳の人生だが、雲行きが怪しくなるのは1141年。異母弟・近衛への譲位。崇徳の「コハイカニ」という反応が紹介されていたが、これについては過去記事の『愚管抄』のエピソードを参照いただきたい。番組では詳細は触れず。続いて、元木氏自ら「院政天皇直系尊属でなければできない」という以前私も引用させていただいた話を語る。これでは崇徳は将来的に院政ができない。こうして崇徳は実権のない上皇へ。

 14年後、近衛天皇が早世。だが今度も皇位は崇徳の息子・重仁親王ではなく、同母弟の後白河へ。番組では、後白河の評価として「イタクサタヾシク御アソビナドアリトテ、卽位ノ御器量ニハアラズ」という『愚管抄』の記述が紹介されていた。これは鳥羽が後白河に対して思っていたことだという。それでも、鳥羽は後白河を次の天皇に据える。ちなみに、この後白河への評価としては、『保元物語』で崇徳は「文ニモ武ニモアラヌ四宮(後白河)」、後ほど登場する藤原頼長は「文武共ニカケ、芸能一モ御座ヌ四宮」と言っている。頼長の方がより辛辣。また、何よりも有名なのは、九条兼実の日記『玉葉』の寿永三年三月十六日条。「通憲法師」こと後白河側近の藤原信西が、「和漢之間少比類之暗主也」(超意訳:こんな暗君はそうそういない)と後白院を評しつつも、その記憶力のよさなどについても述べていたことであろう。後白河自身も「今様」という歌に熱中しすぎるなど、身から出たさびでもあるのだが。評価が最悪で馬鹿にされまくっている後白河だが、後に鎌倉幕府初代将軍となる源頼朝が、彼の老獪さを「日本一の大天狗」と評することになるのは、また未来のお話。

 

 元木「まさに想定外の出来事(中略)後白河の後は彼の息子(守仁親王)が継ぐわけですから、天皇家皇位というのは後白河の子孫が継承していくわけですね。崇徳の子孫は皇位から外される。これは崇徳にとってはこの上ない屈辱であり、激しく憤ったと思いますね。」

 

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 なぜ鳥羽から崇徳は排除されるのか。ここで出ました『古事談』。叔父子。これについては過去記事を参照のこと。噂を流したのは後白河派の公家とも言われる、という点にも触れる。この辺は美川圭氏の『院政』の説などを採用したものだろうか。そのまま叔父子説を信じて採用せずむしろこちらの側面が強いといったように描いた点は評価したい。

 ナレーション「この泥沼の確執が、のちの怨霊伝説誕生の引き金となっていくのである。」

 また不穏な…

 ここで一旦スタジオへ。「崇徳上皇ってどんな人だと思いますか?」という問い。

 

 磯田「きらびやかさと危うさが生涯あった人。5歳で天皇、歌もうまい。でも父とされてる人は父じゃないんじゃないかという出生の秘密がささやかれ、なおかつ、この人先行き危ないよねって言う風に思われてた節がある。周りからすると今きらびやかだけど転ぶよねあの高いところにいる人って危うさを自覚しながら生きていた人。精神衛生上よくない。」

 

 「きらびやかさと危うさ」なるほど。確かにこんな状況に置かれたら、そうなるのも仕方あるまい。まさに「精神衛生上よくない」である。

 

 夢枕「すごく不幸な人。その不幸をきっと誰よりもよく分かってたであろう人。その原因とかもね。自分がいろんな人間に利用される立場なんだというのもわかっていた方だと思う。これは相当な不幸だろうと思いますよね。今日のお話は文人をいじめると怖いぞという話」

 

 父親から排除され続け、最期まで不遇。確かに「不幸な人」であろう。「文人をいじめると怖いぞ」は他にも当てはまる歴史上の人物がいそうだ。

 

 山田「非常に和歌がたくさん残っている。伝統的な世界で生きてきた人。時代が移り変わる中で翻弄されていく」

 

 萱野「崇徳上皇自身に興味があるが、崇徳上皇を最強の怨霊にした人々の意識にも興味がある。こういうことをされたら誰でも死後まで恨みつらみを持っていくだろうなという人々の道徳意識とか、秩序意識があるってことですよ」

 

 和歌、そして怨霊に関する話と関連付け。怨霊を生み出すのは、今生きている者の意識である。生前、その人を追い落とした人の後ろめたさかもしれない。

 この後、院政の話へ。磯田「院政は最初の身分破壊であり慣習破壊」夢枕「天皇の方が儀式などで忙しい、院はそれがない、でもそれなのに権力があるといういいポジション」山田「院になると何とか院領という荘園(財産)が非常に集まる」萱野「院は権力者が強欲を解き放たれた状態」という話など。

 

 磯田「平安時代だから平安だと勝手に思っちゃうんだけど院政期からちっとも平安じゃない」

 

 院政の時代以前も平安ではないと思う。権力闘争と政敵を追い落とすための謀略事件がたくさんあるので戦争にはならなくとも全く平安ではない。菅原道真の失脚などもそれだ。

 

 夢枕「崇徳上皇は権力持たないで、NO.3ぐらいでいいので、まあ好きな歌を詠んで、時代がどんなに変わっても自分は三番目くらいでやっていけたらという発想があったら違う人生あったかなと。でも周りがほっとかないからね」

 

 結局のところ、この時代に天皇になる者として生まれた「宿命」なのだろう。ゆえに、「周りがほっとかない」=利用する者が現れるのである。

 続きは次回で。

 

 

 

 

愚管抄 全現代語訳 (講談社学術文庫)

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「ひとりだけどひとりでない空間」のすすめ

 「ヘタウマ」な漫画を描き、最近はテレビ出演も多い蛭子能収さん。そんな蛭子さんの著書に、『ひとりぼっちを笑うな』という本がある。

 

 

 この本では、蛭子さんが自身の思うこと、経験などに触れ、一人で自由に生きることについて様々に意見を書いている。最初に、蛭子さんは内向的過ぎるのもダメだし、別に外向的であることを否定していないという点は断っておこう。

 本の中で、私が非常に共感できる部分がある。「ひとりだけどひとりでない空間」という項だ。どういうことか。蛭子さんは、自分が高校時代に美術部に入っていたというエピソードを紹介。そして、各自がほとんど会話もせず、黙々と絵を描く作業をしているという時間が、「僕にとってはなによりも充実のときだった」と振り返る。

 

 「それはそれは、静かなものですよ。でも、ひとりきりで描くよりも、そうやってみんなで集まって描くほうが、なぜか作業がはかどるんですよね。」

 

 そのうえで、蛭子さんは「ひとりひとりを取りだしてみたら、それは孤独に作業をしているということになるのかもしれない。でも、その孤独は悪い孤独ではないというか、少なくとも、ひとりぼっちな感じはまったくしないんですよ」と述べている。

 他にも蛭子さんは家ではなく図書館に出かけて勉強をするという行為も似たようなものだと言い、自分が競艇場や映画館に行くこと、それも「ひとりだけどひとりじゃない」空間であると説く。図書館に関しては、「個々が目指す具体的な目標はバラバラでも、「勉強をする」という大きな目的においては共通する集団のなかに、あえて自分の身を置いてみる」ことで、勉強がはかどるのではという解釈をしている。

 なるほど、図書館では、自分の他に勉強している人はふつう顔見知りではないし、わざわざ声をかけたりもしないだろう。それぞれが黙々と勉強に精を出す。しかし、「大きな目的においては共通する集団」に自分も自然と所属しているということになる。それが自分の集中力を高めることにも繋がるのだと。蛭子さんが他に例示した「競艇」はギャンブルを楽しむという目的があり、「映画館」は同じ映画を見るという目的がある。個々人は顔見知りでも何でもなくとも、やはり同じ方向(目的)を向いているのだ。蛭子さんは、自分は昔からこういう場所を自然と見つけ出してきたから、孤独を感じずにいられたのかもしれない、とこの項を結んでいる。

 私が思い浮かんだ例は、まずライブだ。当然一人で行くことも多い。いざ開演すれば、多くの人はステージの演者に注目する。そして、ライトを振るなりコールをすることで、盛り上げる。自然と観客側に一体感が生まれてくるのだ。ライブを楽しむ人々=「大きな目的においては共通する集団」であろう。

 他に、コミケなど同人誌の即売会。そういえば、『干物妹!うまるちゃん!』の小説版にて、切絵ちゃんが師匠のためにコミケに行くという話がある。そこで、コミケについてこんな描写がある。

 

 「版権キャラの卑猥な姿が見たい!そんじょそこらじゃ見られないエロスを堪能したい!そう考える人間は、結構な数に及ぶらしい。この異常な混雑ぶりを見ていればそれもわかる。」

 

 そういったジャンルのものばかりではないということはこの後に語られるが、つまりはそういうことだ。己が欲望・目的のために押し合いへし合いが生まれたりする混沌の地である。個々人の求める獲物は違えど、目的は共通しているのである。何より、あの夏・冬の祭りに参加している!という一体感を感じる人もいるのではないか。ライブやコミケが終わった後は、どこか寂しく感じたりするものだ。

 それは、こうしたイベントは、学校や仕事とは異なる「非日常」の行事であり「ハレ」だからだろう。そして、それは自分で率先して参加する。嫌々参加させられる行事に対しては「寂しい」という思いなどは起きず、「早く終われ」という思いしか残るまい。蛭子さんが例に挙げた「勉強」は嫌々の場合もあるだろうし、日常の風景かもしれない。しかし、家に籠って勉強するのと、外の図書館に出かけていくのと。家は毎日同じ風景しか見られない。しかし、図書館への行き帰りの道、中の雰囲気。どこか違うという発見があるかもしれない。何より、「図書館で勉強する」という行為は、「自分で率先して」その場所に行っているということだ。

 私も蛭子さん同様、一人で何かそういったイベントに参加しても、孤独を感じることはない。「大きな目的においては共通する集団」に自然と所属しているからだ。もちろん誰かと参加する場合も、それはそれで別の楽しみがある。しかし、そう毎回お互いの都合が合うわけでもない。皆さんも、ぜひ「ひとりだけどひとりでない空間」の存在に気づいてみてはいかがだろうか。

 

 さて、このブログであるが、次回更新は未定である。飽きたというわけではない。ひとまず自分の頭の中にあった構想が、全部文章化されたということだ。そのうち思いつくのだろうが、今は特にない。積読も読まねばならないし、他にもやることがある。本を読み、自分の中の知識もアップデートしていかなければ、ネタも生まれないというものだ。

 もし、何かネタをもらえれば、それで書こうと思う。遠慮なく言ってもらいたい。

 

干物妹!うまるちゃん N (JUMP j BOOKS)

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「大人になること」と「夢」と社畜と~『ポプテピピック』挿入歌、『白く咲く花』、『すかすか』、『りゅうおうのおしごと!』など~

 大盛況のうちに最終回を迎えたポプテピピック。その最終回において、久々にフェルト人形が登場して歌うパートがあった。『心の大樹』である。作詞は原作者の大川ぶくぶ先生。「雨や風寒さに負けずあの木は強く育つだろう それこそが大人ってもんだ(文句言うな)」で始まる感動的なメロディーの卒業ソング…かと思いきや。その後の「頑張ってない証拠だぞ」といった発言に対して敢然と「こーろーすーぞー♪」と言い放ち、大暴れするその映像とやりたい放題の歌詞は見る者に衝撃を与えた。「それこそが大人ってもんだ」と「頑張ってない証拠だぞ」は学校を卒業し、大人の仲間入り=社畜になる(なった)者に対する理不尽な発言を抜き出した、現代社会の風刺なのかもしれない。そもそもこのクソアニメは何でもありなので、わざわざ歌詞について考えるだけ無駄かもしれないのだが。「大人」と言えば、ピピ美が「明日までに私のほうが先に大人になっちゃったらどうするか考えておいて」とポプ子に言い、それまでゲラゲラ笑っていたポプ子は茫然自失になってしまう、という話もあった。

 さて、ここから無理やり関連付けていく作業が始まる。この記事は、私の好きな曲の歌詞や作品から、「大人になること」と「夢」について考えていくものである。

 『星色ガールドロップ』にて、星降そそぐを熱演した小倉唯さん。彼女は、この春大学を卒業した。そして、「卒業」をテーマにした曲をリリースした。それが『白く咲く花』である。

www.youtube.com

natalie.mu

 上に示したのは公式チャンネルがアップしているMVなので、未視聴の方はぜひ見ていただきたい。そして彼女はインタビューの中で、この曲は「学校というものから解放されて、また新しいステップへと踏み出すことを現実的に捉えた曲」であると語っている。また、歌詞についても自分でこうして欲しいという希望を出したという。作詞者は、『けいおん!』の楽曲の作詞を担当していた大森祥子さん。

 この曲の歌い出しは「咲かせたい夢に今羽ばたく」。いかにも夢に向かって飛び立つという希望を感じさせるものである。この後も同じく希望に溢れた歌詞が続くが、途中で「光 希望 ばかりじゃない絶望感じるのも標準装備(スタンダード)歪な心抱いて」と歌う。一見夢と希望に満ち溢れた巣立ちかと思いきや、現実はそう簡単ではない。このような不安も胸に抱いた巣立ちなのである。

 そしてサビ。

 

 「本音を曲げて 嘘ついて 得る正解って何だ? 本当に"欲しい" ただ"したい"ことに生きていたいんだ 一途さを武器に 摘まれぬ芽になれ涙さえも 花や実を育てるちからに 向かい風に発て今 気高く」

 

 社会に出たなら、自分の言いたいこと(本音)を曲げ、おべっかを使う、嫌だけど同調する、自分に嘘をつくということもあるだろう。『心の大樹』の歌詞を引けば「それこそが大人ってもんだ(文句言うな)」である。ここでは、そのことに疑問を呈すとともに、私は自分の思いを大切にしたいと歌い上げる。

 2番のサビも、その精神を引き継ぐ。

 

 「長きに巻かれ 影隠れ 得る平穏って何だ?本当に“いとしい” ただ“尊い”ことに尽くしてたいんだ 汚れたって綺麗無傷の清らはとっくに 少し 似合わない季節(ばしょ)まで来たから」

 

 これもやはり、社畜の皆さんであれば経験があるのではないだろうか。社畜でなくとも、これまでの人生の中でそうした経験がある人は多いに違いない。長いものに巻かれることは、波風を立てずに「平穏」を得ることができる手段である。そんなことがまかり通るような世界には行きたくないだろう。しかし、それでも「少し似合わない季節(ばしょ)」=「卒業」と同時に、こうした世界へ向かわねばならない。これ以降はぜひCDで聴いていただきたい。しかしそれでも、自分の思いや夢を信じ、大切にしたい。向かい風だとしても、私は夢に向かって旅に出る。凛とした歌詞である。

 また、小倉唯さんには『Tomorrow』という曲もある。涙の数だけ強くなれる、アレではない。こちらの歌詞はこうだ。

 

 「何がそんなに怖いの?誰の許可が欲しいの? 外では本音グッと飲み込み 厚塗りの笑顔 I don't needそれが大人というなら私はまだいらない 誰かの評価よりもこの目で見たものを信じたいよ」

 

 ここでも大人(社畜)になるとよくある状況が挙げられ、「それが大人というなら私はまだいらない」と大人になることを拒否しているようにも思える。しかし、それでも自分の道を夢に向かい進んでいくという前向きな曲である。他に、「世の中に馴染むような美しいだけの色なら興味ない」という歌詞もある。これはいわゆる「同調」を拒否するということか、個性を大切にしたいということか。欅坂46は『不協和音』で「僕はYesと言わない首を縦に振らない周りの誰もが頷いたとしても「みんな揃って同じ意見だけではおかしいだろう」と歌った。こうした同調圧力もまた、個性を殺し、画一化を企図し、従順な人間を生み出す。「支配」する側にとって都合がいい人間が誕生するというわけだ。

 さて、大人になると、こうした不条理を受け入れねばならないのか。社畜にならねばならないのか。そもそも大人になるとはどういうことか。ゲーム『ぼくのなつやすみ』シリーズでも、大人と子どもの違い、のような会話がなされることもある。他に、武田鉄矢さんの『少年期』。そこには「ああ 僕はどうして 大人になるんだろうああ 僕はいつごろ 大人になるんだろう」という歌詞がある。しかし、この曲の中ではその「答え」は示されていない。

 大人になるとはどういうことかという問いに対して、私がとても納得できた意見があるので紹介しよう。このブログでも何度か触れている、『終末なにしてますか?忙しいですか?救ってもらっていいですか?』の外伝のエピソードにおける、やり取りである。詳しい設定などは省略するが、いわゆる「大人」のナイグラートと、少女であるクトリの会話だ。「わたし、子供じゃない」と言うクトリに対して、ナイグラートは「そういうこと言ってる間はお子様なのよ?」と大人の余裕を見せる。クトリは「……嘘。じゃあ、いつになったら大人になれるっていうの」と問う。ナイグラートはこう答えた。

 

 「そうねぇ。『子供に戻りたい』って本気で言い出した辺りかしらね」

 

 子どもの頃は、「早く大人になりたい!」と多くの人は思うものだ。親が酒を飲んでいるのを見て羨ましがったり、かっこいい車を運転していたり。そういったものに対する「憧れ」が、早く大人になりたいという気持ちを生み出す。父は、平日は社畜生活、休日は子どもだった頃の自分や母を連れて、どこかに出かけたりする。今思えば、そんな生活は大変だっただろうな、と感じたりする。大人になるとそれに伴う「責任」も増えていくが、家族に対する責任もその一つであろう。前米副大統領であるジョー・バイデンは、ドナルド・トランプに対し「大人になれ」と言った。「いつまでもガキのままじゃいられない。ガキみたいなことはやめて、責任ある大人になれ」という趣旨だろう。

 子どもの頃は将来への不安などといったものは存在しない。「サッカー選手になりたい」という夢を持ち、それを公言していても、無理だなどと言われたりはしない。しかし、だんだん大人になるにつれ、「現実」というものがわかってくる。そもそも望んだ誰もがサッカー選手やプロ野球選手になれたら、世の中は回らないというものだ。

 では、大人になるとろくなことがないのか。前半では、小倉唯さんの曲の歌詞を示し、自由に論評した。その中で、大きなテーマとなっていた「大人になること」と「自分の夢をかなえること」の相関性について考えよう。「戦姫絶唱シンフォギア」一期の10話において、風鳴弦十郎は、次のような名言を残している。

 

 「いい大人は夢を見ないと言ったな。そうじゃない。大人だからこそ、夢を見るんだ。大人になったら背も伸びるし力も強くなる。財布の中の小遣いだってちっとは増える。子供の頃はただ見るだけだった夢も大人になったら叶えるチャンスが大きくなる。夢を見る意味が大きくなる。」

 

 なるほど、頷ける意見である。子どもの頃は、親から少しの小遣いをもらい、お菓子を買ったりするものだ。しかし、大人になると、自由に使える金は子どもの時よりも増える。買えなかったゲームでも漫画でも、好きなものを買ったりできる。これは確かにいいことだ。大人になれば親から「あれはダメだこれはダメだ」と叱られることもあるまい。大人ならではの自由を手に入れることができるのだ。

 そして、「子供の頃はただ見るだけだった夢も大人になったら叶えるチャンスが大きくなる」という部分。夢はなんでもいいだろう。私の知人には、声優になりたいと思って学校に通っていた人もいるし、お笑い芸人としてブレイクしようと日々活動している人もいる。最終的には叶わなかったとしても、大人になると、子供の頃から持っていた夢に挑戦することはできる。

 先日、アニメが最終話を迎えた『りゅうおうのおしごと!』。その中に登場する、清滝桂香。彼女は幼い頃から夢を持ち、女流棋士を目指していた。しかし、年齢制限が迫り、このままではその道は絶たれてしまう。そんな桂香の葛藤を描いたのがアニメ版7話の内容である。逆に、こちらでは大人になること=夢への道を断たれる、ということになってしまうのだ。そして、この回の特殊EDとして使われたのが伊藤美来さんの『あの日の夢』である。

 

 「やっぱり私 諦められそうにないよ あの日の夢 届かないとしても

 「それでも私 諦められそうにないよ 痛みの先 強くなれるのなら どんなに ボロボロでも構わないもう一度 翼広げ夢に見た空へと 」

 

 子どもの頃に抱いた夢を、諦められずに大人(桂香は26歳が迫っている)になっても、追い続ける。「「私は どうしてここにいるんだろう?」 当たり前の幸せすら捨てて」という一節もある。夢を諦めれば、人並みの、「当たり前の幸せ」は得られるだろう。それを捨ててまで、どうして夢を追い続けるのかと。原作では、同窓会で仕事や恋愛や結婚といった「当たり前の幸せ」の話を聞いた桂香が、それを羨ましいと思う場面が描かれる。大人になっても夢を追い続けること。それは尊いことでもあり、同時に苦しいことでもある。

 今回も長くなった。次回更新を以て、私は一旦積読処理に向かうつもりだ。

 この記事を読んでいる貴方は、今、「子供に戻りたい」と本気で思っているだろうか。それとも、大人のままでいいと思っているだろうか。

 

「白く咲く花」【期間限定盤】

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少年期

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