憂きまど

タイトルは「憂き事のまどろむ程は忘られて覚むれば夢の心地こそすれ」より。某大学国文学修士の人が趣味丸出しでおくる、アニメや小説の感想を中心になんでも。超気まぐれ更新。読んだ本はこちら→https://bookmeter.com/users/337037 Twitterは→@konamijin

『英雄たちの選択』崇徳院回の内容まとめと補足史料と感想と―後編

 さて、前編中編と続けてきたがいよいよ最後である。番組は崇徳の流された地・香川県へ。郷土史家の方が、崇徳は「綾川」を京都になぞらえて「鴨川」と呼んだと教えてくれる。近くの駅名も「鴨川」である。また、山も京都の「東山」と呼んだという。これは知らなかった。郷土史家「ここへ来て京都のことばかり思っておったんでしょうかね」。

 続けて、崇徳が住居にした木丸殿。「粗末なつくりの小さな小屋でした」というナレーション。崇徳の住居が粗末な作りだったことは、同じく『保元物語』にも書かれている。都でかつて院に召し使われていた淡路守是成(法師となり、蓮如と名乗っていた)が讃岐へ赴き、院の御所を訪れた際に対面しようと差し上げた歌はこうだ。

 「アサクラヤ木ノマロ殿ニ入ナガラ君ニ知レデ帰ルカナシサ」

蓮如の歌の「アサクラヤ木ノマロ殿ニ」という部分について、日下氏は次のように指摘している。

 

 「百済救援に向かった斉明天皇が亡くなった筑前国朝倉の地(福岡県朝倉市)。木の丸殿は、その地に造った丸木のままの粗末な宮殿をいい、ここは新院の居所をそれにたとえた」

 

 そして、崇徳は生前都に帰れることはなく、46歳でその生涯を終えた。『保元物語』は、荼毘に付された際の煙が、「都ノ方ヘゾキヌラムトゾ哀レ也。」と記す。野中哲照氏は、次のように述べている。

 

 「望郷性が強く表現されており、このことによって、のちに反転した崇徳院怨霊が徹底して都へ向けて降りかかることを暗示しようとするものであると見てよいだろう。」(野中哲照保元物語の成立』)

 

 番組では高家神社の紹介。崇徳の棺から血が流れたという逸話から、血の宮と呼ばれるという話。棺を置いたという石があったり。そして白峯御陵。「その最期は、何者かに殺されたとも、自ら命を絶ったとも言われます」確かにそういう説があることはあるが、これに関してはどちらも「ない」と思う。病没であろう。例えば、『今鏡』には、晩年の崇徳の様子についてこう書かれている。

 

 「あさましき鄙のあたりに、九年ばかりおはしまして、憂き世のあまりにや、御病も年に添へて重らせ給ひければ、都へ帰らせ給ふこともなくて、秋八月二十六日にかの国にて失せさせ給ひにけりとなむ」

 

 そして京の都では相次ぐ天変地異。ナレーション「そして崇徳上皇復権を願う者たちから、怨霊の存在が語られだしたのである。」天変地異と言えば、安元三年に発生した安元の大火である。強風によって火は燃え広がり、天皇の即位儀礼に関連する大極殿が焼失するなど、都の広い範囲が灰となった。皆さんも、学校の古典の授業で読んだことがあるであろう、鴨長明の『方丈記』。「ゆく川の流れは絶えずして」のアレである。この本の中で、長明は安元の大火について記している。一部現代語訳を引用しよう。

 

 「行方定めず吹きまくる風のため、あちこち燃え移ってゆきながら、扇を開いたように末ひろがりに燃えさかっていった。」

 「家々の焼けた数は、とても数えるどころの話ではない。なにしろ京の都全体の約三分の一が燃えてしまったというのだから、その数も推して知れよう。」

中野孝次『すらすら読める方丈記』)

 

 そして、ナレーションの言う「崇徳上皇復権を願う者」について、番組にも出演している山田雄司氏は、著書『怨霊とは何か』にて、その中心人物として藤原教長の名前を挙げている。この人物は崇徳の側近であり、乱後は常陸国に流されていたが、許されて都に戻った後は蔵人頭になっていた。

 番組では「ある公卿の日記」として『愚昧記』の記述が紹介されていた。なぜ名前をぼかすのか。三条実房だろう。

  

 安元三年(治承元年)五月九日条

「讃岐院宇治左府事可有沙汰事

相府示給云、讃岐院幷宇治左府事、可有沙汰云々、是近日天下惡事彼人等所為之由、有疑、仍為被鎮彼事也、無極大事也云々」(東京大学史料編纂所『大日本古記録 愚昧記 中』)

 

 こうした事態は崇徳と藤原頼長の祟りによるものなので、それを鎮めなくてはいけない。ここでは頼長も合わせて怨霊として認識されているということがわかる。ちなみに、『保元物語』ではその後の鹿ケ谷の陰謀や後白河が平清盛に幽閉される治承三年の政変なども、崇徳の怨霊のせいであると語る。

 後白河は最初は全く取り合わなかったが、「親族が次々に病に倒れるなど、身の回りに不幸が相次ぐと、ついにその存在を認め、対策を講じるようになった。」では、「親族」とは誰か。1176年。高松院姝子(後白河の異母妹)、建春門院平滋子(後白河の女御)、六条院(後白河の孫)、九条院呈子(後白河の異母弟・近衛天皇中宮)。この年の6~8月の間、この四人が相次いで病気で亡くなったのである。後白河が恐れるのも無理はない。そして「対策」とは様々な鎮魂行事である。

 そして番組は、江戸時代の作品・上田秋成の『雨月物語』の「白峯」に触れる。崇徳院の怨霊は、それで広く庶民たちにも知れ渡っていくのだと。これは、亡霊となった崇徳と西行が様々に意見を戦わせる内容だ。更に国学者平田篤胤。「玉襷総論追加」から引用。崇徳の祭祀を改めて説く。この辺りは実は私も専門外。

 そして、番組序盤の明治天皇創建の白峯神宮の話に戻る。讃岐から迎えた崇徳の御霊に捧げる祝詞。「天皇と朝廷を末永く守り、奥羽の旧幕府軍を鎮圧し、新政府をお守りくださいますよう。」

 

 谷川健一氏の指摘を引用しておこう。

 

 「ときあたかも、戊辰の役の年。朝廷方は征討軍を東上させ、まさに奥羽諸藩を挑発して、一戦をまじえようとしていた。このとき、崇徳上皇の霊が、奥羽諸藩のほうに味方して官軍をなやましたとしたら、それこそゆゆしい事態になるかもわからないと、朝廷は判断した。」(谷川健一『魔の系譜』)

 

 そしてナレーション。「崇徳上皇は700年の時を経て、国を守る守護神へ変貌を遂げたのである。」ちなみに、この後の時代。戦後の1964年の東京オリンピックの年。この年は偶然崇徳院の没後八百年にあたるため、昭和天皇はその陵墓に勅使を遣わし、式年祭(祭祀)が執り行われた。平安時代末期を生きた人物でありながら、明治や昭和の時代になってもなおその存在は無視できないものである。

 スタジオへ。「(配所だった場所の)町の皆さんは今も崇徳さんと呼ぶ。おいたわしい、かわいそうという気持ちで霊を慰めるという気持ちが強いということを感じた。」これは私も同様の話を聞いたことがある。番組に登場した郷土史家も、「崇徳さん」と呼んでいた。

 

 夢枕「帰りたくて帰りたくてしょうがないんでしょうね。暗殺でなければ都への焦がれ死に」

 

 なるほど、「焦がれ死に」は適切な表現かもしれない。「憤死」が存在するのだから、焦がれ死にというものも存在するのかもしれない。

 

 山田「流された先の讃岐の人は怨霊だと思ってない。都から流されてきた尊いお方だと。怨霊だと感じたのは都の貴族たち。それは自分たちが何か悪いことをしてしまったのではないかと。怨霊は流された人自身が怨霊になりたいと思って生まれるのではなくて、残された人たちが『かわいそうだね』と思うところから生まれたりする」

 

 萱野「最強の怨霊と恐れられたことは、尊敬されてたことの裏返し。」

 

 磯田「崇徳院の百回忌ごとに都で騒乱が起きると信じられてきた。禁門の変など。」

 

 

 夢枕「社会のシステムとして怨霊は必要なもの。色んな悪いことが起きたとき、なぜこれが起こったのかということを決めねばならない。誰かの祟りであると。これは鎮めねばならないと。社会の中に組み込まれてる。」

 

 山田「怨霊は恐ろしいというイメージがあるが、社会を行き過ぎない方向に導くという側面もある。日本社会全体が古代から霊魂だとか見えない世界に取り巻かれているという意識が現代まである。」

 

 夢枕「仏教じゃない、呪術とかシャーマンがいて色んなことがやってきた、精神の根っこにあるようなものが作用して怨霊みたいなものができてきたと思う。」

 

 壮大な話になってきた。この辺りの日本人の歴史的精神性の問題、突き詰めていくと面白いかもしれない。

 

 磯田「日本は帝の筋の交代がない。易姓革命のようなね。崇徳だけが「皇を取て民となし、民を皇となさん」とかこんなことを言ったと信じられた。放っておいたら政権交代がないので、天皇と公家の政権は堕落していくのか。暴虐、贅沢三昧をすると本当に易姓革命で皆殺しにされますよと。野党のような選挙がない段階で堕落させないための野党としての存在。しばしば民衆も、崇徳の塚が鳴動しただのという話をした。現政権に対し反省を促すと。そういうことで怨霊は機能し続けた。」

 

 夢枕「今揺れてますか?」

 

 磯田「どうでしょうねえ」

 

 多分、揺れている。中国の易姓革命に関しては、先ほど取り上げた『雨月物語』の「白峯」にも、この話が登場する。西行法師は、『孟子』について説明する。周王朝の創設者・武王は一たび怒りを露わにし、天下の民を安らかにした。これを臣下の身で君主を殺したというのはあたらない。仁の道にはずれ義の道を損なった一人の不心得な悪人の紂王を征伐したのである。ゆえに、武王のこの行為は正当化されるのだと。これに対して西行は、中国の書物はほとんど日本にも伝わってきているが、この『孟子』を積んだ船は、日本に来ると暴風雨に遭って沈没してしまう。それは天皇の子孫の命を奪っても罪にならないと主張する反逆者が出るかもしれないと八百万の神々が思い、神風を起こしているからだ、と語る(高田衛・馬場篤信校注『雨月物語』)。なるほど、日本での易姓革命は神々が許さないというわけだ。

 

 怨霊は野党という論理。恐ろしすぎる野党である。与党が堕落していると、命を奪いにやってくる上に天変地異を引き起こす。

 さて、これで番組は終わりだ。改めて振り返ってみると、非常に良い番組だったと思う。最新の研究なども取り入れつつ、初めて崇徳院を知る人にも興味を持ってもらえる、分かりやすい構成と言える。何より、あまり取り上げられることがない崇徳院をテーマにして一時間番組を作って貰えたことは非常にうれしい。また、山田氏と夢枕氏の意見は、頷けるものが多かった。崇徳院の血の写経に関する問題などには触れられていなかったが、興味のある人はぜひ調べてみてほしい。

 余談ではあるが、『屍姫』という漫画がある。少年ガンガンで連載されていたが、23巻で完結。その5巻にて、崇徳院(がモデルの人物、ちなみにWikipediaの『屍姫』の記事のこの人物の項でも崇徳の記事へのリンクがある)が現世に復活。いつの間にか蘇っていた源為朝が、その復活を主導。巻が進むにつれて崇徳は完全復活を遂げ、死の国を興すべく進攻を開始する。その際には頼長なども合わせて蘇っている。狙うは、主人公たちが所属する屍を狩る真言密教の一派・光言宗の本山。昔私が2ちゃんねる某所でやっていたなりきりスレの崇徳院は、この影響を多分に受けている。むしろそのまま持ってきたようなものだ。興味のある方はぜひこの漫画を読んでいただきたい。崇徳院(がモデルの人物)にミサイルを撃ち込んでいたり大丈夫かという感じであるが。なお、アニメ版ではこの人物は一切登場せず完全オリジナル展開になっているのであしからず。

 ちなみに私は、コミケにて、原作者の赤人義一先生にこの人物造形がとても好きだということを伝えたことがある。

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 さて、更新しないしない詐欺を続けてきたが、またすぐ更新するようなことがあるかもしれないし暫くないかもしれないしそれは分からない。歴史ネタ・文学ネタはまとめるのに結構時間がかかるのだが、気が向いたときにまたいつか何かやるかもしれない。ネタ募集中。

 

魔の系譜 (講談社学術文庫)

魔の系譜 (講談社学術文庫)

 

 

 

保元物語の成立

保元物語の成立

 

 

 

すらすら読める方丈記 (講談社文庫)

すらすら読める方丈記 (講談社文庫)

 

 

 

雨月物語 (ちくま学芸文庫)

雨月物語 (ちくま学芸文庫)

 

 

 

 

 

 

 

『英雄たちの選択』崇徳院回の内容まとめと補足史料と感想と―中編

 さて、番組の続きだ。『百人一首』の崇徳院の歌「瀬をはやみ」が紹介される。谷知子氏の訳を拝借すると、

 

 「瀬が速いので、岩にせきとめられる滝川が真っ二つに分かれても、いつかまた合流するように、恋しい人と別れてもまたいつかは逢おうと思う」(谷知子編『百人一首(全)』)

 

 番組では、「せつない恋の歌として名高いが、父・鳥羽上皇との和解を願う歌とも読める」とナレーション。なるほど、その発想はなかった。この歌が作られた時期は崇徳の配流以前であるが、もし仮に作られたのが配流後であったならば、再び都に帰りたいと願っている、という解釈もできたのになと考えたことはあるが(実はこの谷氏の本でも同じ読み解きが書いてあって当時は驚いた)。

 

 明大の山田哲平氏「史的な史料は利害関係によって成立しているものだから、何が本当か全然わからない。和歌は本人の心情を書いているわけだから、より正確な歴史的な史料になると思う。」

 

 確かに史的史料は、勝者の側の歴史認識で書かれていたりするものだ。一方で和歌には本人の心情が書かれていると。まあ本歌取りや題詠など和歌と言っても様々なものがあるから一概にそうと言えるかというと疑問であるが、この話を始めると長くなるのでやめておこう。山田氏は、崇徳の和歌を一首紹介する。

 

 「秋の田の穂波も見えぬ夕霧に 畔(あぜ)づたひして鶉(うずら)なくなり」

 

 ナレーション「田んぼのあぜ道に従って歩くしかない飛べない鶉。父に翻弄され続けた人生への諦めか。」山田「自由意思で動いていると思っていながら、結局は敷かれた線路の上をただ走ってるだけだと。物凄い自分を客観的に見てますよね。」崇徳院初度百首が最初の出典だろうか。この点は不明であるが、『続詞花和歌集』に載っているようだ。本当に崇徳がこうした心情を歌に反映させたのかは断定できないと思うが、『保元物語』では、彼の心情が歌に詠み込まれたものがいくつか存在する。例えば、敗戦後に崇徳が逃げ込んだ仁和寺(同母弟で出家した覚性法親王がいるため)で詠まれた歌二首。

 

「思キヤ身ハ浮雲ニ成ハテテ嵐ノ風ニ任スベシトハ」

「憂事ノマドロム程ハ忘ラレテ醒レバ夢ノ心地コソスレ」

 

 一首目は自身を浮雲に例え、これから自分はどうなってしまうのかという心情を表したものである。「嵐ノ風ニ任スベシトハ」という部分から、「浮雲」である自分の力ではどうすることもできないという思いも感じられる。

 二首目は以前も取り上げたが、当ブログのタイトルでもある。「憂事」とは、まさに今、自身が置かれた状況のことであろう。眠っている間はそれらが忘れられるといった点は、現実からの逃避願望とも受け取れる。

 

 さて、番組ではここで新たな登場人物が加わる。

 

 「行き場のない葛藤と孤独を抱える崇徳上皇に近づく一人の男がいた。時の左大臣藤原頼長である。摂関家藤原氏の頂点に立つエリートにして、日本一と称された知識人でもあった。」

 

 出ました頼長。一部界隈では自身の男色のことが書かれた日記『台記』で有名。なお番組の中ではその件は全く触れられず。番組では「日本一の大学生」の部分が引用。和漢両方の知識に精通。これもまた『愚管抄』からである。「大学生」は今と同じ大学生という意味ではなく、「知識人」「学者」といったところか。

 「(鳥羽)院の主流派などとしばし対立し、『悪左府』横暴な左大臣と揶揄される存在でもあった。」これは本人の厳格な性格などの問題もあろう。「悪」は必ずしも「悪い」という意味ではないのであしからず。「激しい・荒々しい」という解釈でもいい。「後白河天皇側についた実の兄・忠通の謀略により、政治の中枢から外されてしまったのである。」頼長は天才。ゆえに、父親である忠実は、頼長を溺愛。忠通を勘当、弟である頼長に家督氏長者)を継がせる。忠通は当然面白くないわけで。ちなみに「謀略」とは、忠通が「近衛天皇が若くして崩御したのは忠実と頼長が呪詛したから」と鳥羽院に讒言、でっちあげを行ったことを指すか。こうして排除された者同士、崇徳と頼長は別にそれまで仲が良かったわけでもないのに接近していく。

 更に、武士が公家へ鬱憤を募らせている。

 

 元木「これまで武士が敵を倒すと言えば盗賊とか辺境の反乱、今度は都で大活躍するチャンスかもしれないと。武士にしてみればこれはありがたい。うまくいけば俺たちも公卿になれるかもとそんな思いを持っていたかもしれない。」

 

 さあここにきて、天皇家摂関家、そして武士たちの野望まで絡み始めた。

 運命の1156年。鳥羽院崩御。そして立つ噂。番組での「上皇左府同心して軍を発し国家を傾け奉らんと欲す」とは『兵範記』の引用。こうした噂が立っていたのは、以前の記事で引用したが『保元物語』でも同様だ。

 ナレーション「それは、後白河天皇側が仕掛けた挑発でもあった。更に、後白河天皇側は警護のためと称し兵を招集。」さあどうするか。ここで、番組タイトルにもある崇徳の「選択」がある。

 

一「謀反の意志など毛頭ないと恭順の意志を示そう」

二「院の独裁が続けば権力闘争は終わらない。これまでの院政は間違っている。後白河に武力で打撃を与えてでも、混乱を断ち切ろう」

 

 なるほど、番組では崇徳と頼長が、自分たちが権力を握り、院政をしたいという野望のために戦うという『保元物語』のような解釈はしていない。院政を正そうという崇高な目的のために戦うという解釈を採用しているようだ。

 ここでいったんスタジオへ。

 

 萱野「(崇徳は)相当葛藤があったと思う。自らが理想とするこれまでの美しい権力の在り方を体現・回復しようという思い。武力で行ったら品位の否定になるというジレンマ。」

 

 夢枕「頼長という男が曲者だと思う。頼長がいなければ可能性としては抑えた可能性もあったと思う。歴史にIFは禁物だが。頼長は天才、合理主義者。激しい言葉で今やらずいつやるんだと崇徳に説いたと思う。」

 

 磯田「崇徳と頼長は反主流派。彼らの言うことはもっともらしい、昔の摂関政治をやってたように家柄のある人が政治をやるべきである、が、これまでのやり方が正しいから元に戻すべきという側は負ける法則がある。暴力を使った政治闘争はやったことがない崇徳は乗っちゃった。」

 

 山田「当時、京都は戦乱に巻き込まれていない。貴族たちは戦いを知らないと思う。生きる死ぬが概念的にしかわかってない。何か戦いがあるけど崇徳は自分は大丈夫だろうくらいにしか思ってなかったのでは。」

 

 『保元物語』の方では、頼長は崇徳にぜひ立ち上がるべきだと煽っている。まさに「いつやるの?今でしょ!」というわけだ。当然、崇徳が復権すれば、頼長自身も権力を回復できるからという理由であるが。頼長が曲者という夢枕氏の指摘には私も同意したいところである。天才ゆえの思い上がりと失敗である。

 山田氏は当時の都の貴族の戦いというものへの見方などについて述べる。いわゆる「戦う天皇」というのは、過去の例であれば壬申の乱に勝利して即位した天武天皇などであろう。崇徳より後の時代、承久の乱を引き起こした後鳥羽上皇は、そうした天皇にあこがれた。なぜか。彼は、三種の神器である剣を持たずに即位した。剣は平家滅亡の際に、壇ノ浦に没したからである。そのことがコンプレックスとなった後鳥羽上皇は、武芸にも興味を示すやや特殊な天皇となった。そして最後に、承久の乱を引き起こすこととなるのはまた未来のお話。

 さて、ついに崇徳の選択の時だ。保元元年(1156)7月9日。動き出す崇徳。選んだ選択は開戦。ナレーションでは、崇徳側には源為義、為朝親子などの武士が参集したと語る。出ました為朝。巨大な強弓を扱う猛将。『保元物語』の主人公。作中では2m10cmの長身。一矢にて舟を沈めたり、一矢で一人の鎧武者を射抜き、後ろの武士の袖にその矢が刺さったり。『吾妻鏡』には、リアルの為朝と戦った武士(大庭景能)の回顧がある。「弓の達者」ではあるが、為朝は体に比べて弓が大きすぎたのでどうにか矢を避け「膝に矢を受けてしまってな...」で済んだという。まあ物語はあくまでフィクションなので。

 一方の後白河方の武士としては源義朝平清盛が紹介。義朝はおなじみ頼朝・義経の父。先ほどの為義は、義朝の父。親子・兄弟で敵味方に分かれているのである。天皇家が崇徳(兄)―後白河(弟)、摂関家藤原氏)が頼長(弟)―忠通(兄)、平家が平忠正(清盛の叔父)―清盛(甥)などに分かれている。今回は省略するが、細かく見て行けば、特に武士は一族同士で敵味方に様々に分かれているのである。

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 7月11日未明、後白河軍の奇襲。火攻めもあり崇徳側敗退。4時間で終了。番組内では一分くらいで終戦。早い、早すぎる。物語の方にある為朝の活躍などはスルー。こうして為義や忠正など、崇徳側に付いた武士は斬首へ。番組内でも350年ぶりの死刑復活と語られる。810年の薬子の変以来の復活。そう言えば、番組内では頼長がどうなったか語られていない。逃げる途中、首に矢が当たり、それが致命傷となって死亡している。

 そして崇徳に対する処罰はと言えば讃岐国へ配流。

 

 元木「和解できない、話し合いでは解決できない、そういう事態が起こったら武力衝突になる。正統な帝王、摂関家中心の時代から武力で奪い合う時代になった。」

 

 再びスタジオへ。

 磯田「頼長と崇徳院原理主義者。だけど自分たちに集まってくる武家は動員力がなかった。為朝が一人頑張れるくらい。」

 

 夢枕「唯一為朝のところはいいところ。(崇徳側が)勝つチャンスはあった。為朝が夜討しよう火をつけようと斬新な戦略を提案するが、頼長が止めた方がいい、作法にのっとってないので夜が明けてからにしようとか言って却下する。」

 

 山田「やはり当時の戦い方として、作法があるので、恐らくそうしたものを頼長は重視した。そういう奇襲だったりというのをやってはいけないという考えがあった。」

 

 萱野「あからさまな武力行使が肯定される時代。政治秩序の大きな転換。」

 

 『保元物語』では、為朝は夜討ち・火攻めを提案するが、頼長はこう答える。「為朝の考え、荒々しいやり方だ。思慮が足りない。年が若いからだ。夜討ちなどというのは、十騎、二十騎でやる私ごとの戦いの場合だ。何と言ってもやはり天皇(後白河)と上皇(崇徳)とが国政の掌握をめぐって争いなさるのに、夜討ちがよかろうとも思われない。」確かに、頼長は作法にのっとっていないという理由で、為朝の意見を退ける。また、「夜が明けてから」というのは、その頃に僧兵が援軍に来るからという理由である。結局、崇徳側は逆に奇襲にあい、敗退することとなる。ちなみに、夜討ちを許可した後白河側の藤原信西は、「火攻めをすると寺が焼けてしまうのでは」と心配する義朝に対して、「帝が相応の力を持っていれば一日で建てられる。火を付けろ」と指示する。崇徳側とは何もかも真逆であった。

 

 夢枕「新しい文学の形式が生まれてきた。『平家物語』のような形式、『保元物語』から始まって、素晴らしい物語ですよ。血沸き肉躍る所もあるし、悲しくてやりきれないところもある。滅びゆくものを愛するという典型的な物語を生んだ。」

 

 夢枕さんはさすが、作家という意見である。この戦乱がきっかけとなり、いわゆる「滅びの美学」を盛り込んだ、日本人が大好きな物語が生まれてきたというわけだ。

 

 「さまざまな過程で口頭の芸と交渉を持った軍記物語は、それゆえ、民衆のなかに受け容れられていき、かつ、民衆の望む方向へ成熟させられた。正しい歴史事実を伝えるよりも、人々と感動を共有することが求められたのである」(日下力『いくさ物語の世界』)

 

 軍記物語は、あくまで創作、フィクションだ。歴史書ではない。だから、民衆は為朝の活躍に心躍らせ、配流となった崇徳の姿に同情する。民衆もまた、こうした物語を欲したのであった。

 さて、ここで番組は崇徳の流された讃岐(香川県)へ。次回で最後。

 余談であるが、この番組を最初に視聴した当時も、「選択」にまつわるある曲が思い浮かんだ。『戦姫絶唱シンフォギアAXZ』のEDである高垣彩陽さんの『Futurism』である。サビの歌詞はこうだ。

 

 「正しいか? 間違いか? いつも答えなどなくて選んだ道がただ目の前に まっすぐ続くだけ」

 

 夢枕氏の言っていた通り、歴史にIFは禁物だ。IFを考えるのは楽しいけれど。人生は、大小問わず選択の連続である。しかし、結果的にその選択が間違いだったとしても、「選んだ道がただ目の前に まっすぐ続くだけ」の状態になってしまう。よくあるループものや、タイムマシンなどがあればやり直しができるが、実際はそんなことはない。崇徳は、葛藤しながらも、戦うという選択をした。『Futurism』の二番のサビには「いつか笑ってこの選択に頷ける時まで」という歌詞もある。崇徳は配流にされ、最後まで都に戻りたいという思いを抱いていた。それは一番の心残りだ。しかし、それを除けば。ようやく都の権力闘争、陰謀から解放された、という思いもあったのだろうか。この点は想像するしかあるまい。

 

 

 

 

Futurism(期間生産限定アニメ盤)

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『英雄たちの選択』崇徳院回の内容まとめと補足史料と感想と―前編

 暫く更新はないと言ったな、あれは嘘だ(n回目)。3/29にNHKBSプレミアムで放送された、『英雄たちの選択』という番組。これが崇徳院回。これは私が記事を書かずしてどうする、というわけだ。今回はその番組内容をまとめつつ、補足を加えていったり自分の意見を述べたりするものである。そして、改めて崇徳院という人物について考えていきたい。崇徳院に関しては、先日記事を上げているので、そちらも合わせてご参照いただきたい。

 

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  さて、番組導入はこうだ。「かつて、日本を恐怖のどん底に陥れた、怨霊がいた…」とてもおどろおどろしい。まず見る人に興味を持ってもらうということか。そして紹介されるのが、江戸時代の歌川国芳による浮世絵。『百人一首之内』より崇徳院。これはよく知られた絵である。

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 左下の「七十七」という数字は、『百人一首』の崇徳院歌「瀬をはやみ」が77番歌だからである。ナレーションでは、そこから今回の内容をざっと説明し、鎌倉時代の軍記物語『保元物語』(フィクション)において崇徳が舌を噛み切り怨霊になる場面があると語る。私の手元の資料から、引用しておこう。

 

 「御舌ノ崎ヲ食切セ座テ、其血ヲ以テ、御経ノ奥ニ此御誓状ヲゾアソバシタル」(『新日本古典文学大系 43 保元物語 平治物語 承久記』)―「舌先を食い切り、その血でお経の最後に誓いの言葉をお書きになった」

 

 何を誓ったのかと言えば、「日本国ノ大悪魔ト成ラム」ということである。『保元物語』には、多くの「諸本」がある。それぞれ大筋は同じでも、やや展開や描写が異なっていたりするのである。ここに引用したのは、最も古い状態をとどめているとされる「半井本(なからいぼん)」と呼ばれるものである。もう一つ多く利用されているのが、これより後の時代の『平家物語』などの影響がみられる「金刀比羅本(ことひらぼん)」である。

 本題に戻ろう。ナレーションは、これ以降、都では天変地異、政情不安が続き、誰もが崇徳の祟りを疑ったと語る。この辺はのちほど。

 更に、その祟りは天皇家にも降りかかると語る。ここで引用されているのが、金刀比羅本の一節だ。

 

 「皇を取て民となし、民を皇となさん」―「天皇を民にし、民を天皇にしてやる」(永積安明 島田勇雄校注『日本古典文学大系 31 保元物語 平治物語』)

 

 元は天皇であった人物が、天皇家を打倒すると言っている。この記述は、半井本には存在しない。

 ここから番組本編。スタジオには磯田道史さん、夢枕獏さん、山田雄司さん、萱野稔人さんという面々。山田氏は、最近は伊賀の地・三重にて忍者の研究に熱心に取り組んでおられる。三重大学大学院にて「忍者・忍術学」が専門科目になった、というニュースを見た方もおられるだろう。まさに、それに関わっていらっしゃる方だ。この方の崇徳院怨霊関係の著書は、私も論文を書く際に非常に参考になった。

 先に、山田氏の著書から、「怨霊」とは何かという定義について、示しておこう。

 

 「相手側から弾圧されたりしたことにより、追い込まれて非業の死を遂げ、その後十分な供養がなされなかった霊魂は、死後に自分の宿願を叶えるために、自分を追い落とした人物に祟って出たり、さらには社会全体にも災害を発生させると考えられてきた。それが「怨霊」と呼ばれる存在である。」

 「現代においては、怨霊の存在を真剣に信じる人はそれほど多くはないかもしれないが、古代・中世においては、天皇から庶民に至るまで、怨霊は実在するものとして恐れられた。」(山田雄司『怨霊とは何か』)

 

 磯田氏「日本史には数々の怨霊がいますよね。三大怨霊として平将門菅原道真、そして今回の崇徳上皇ですよね。この崇徳上皇の怨霊は実は最大最強です。何せ天皇をなさった方が怨霊になって天皇家を襲うからです。明治まで続くんですよね。」

 

 将門と道真については、歴史に詳しくない人でも、知っているという人は多いだろう。将門の首塚、そして清涼殿に雷を落としたと言われる学問の神様・道真。崇徳院怨霊が「明治まで続く」というくだりについては後ほど。他にも日本史では、後鳥羽上皇早良親王といった人物が、怨霊として有名だ。いずれも、山田氏の指摘するように、弾圧され、非業の死を遂げた者ばかりである。

 磯田氏は、先ほどの浮世絵について、「崇徳院は怒りのあまり天狗になったと言われてますよね。髪も爪も伸び放題にして、もう凄まじい形相になって、惨たらしく死んで、その恨みの力でもって皇室を呪い続けたと。」と述べている。

 再び、『保元物語』半井本より、引用しよう。

 

「御髪モ剃ラズ、御爪モ切ラセ給ハデ、生キナガラ天狗ノ御姿ニ成セ給テ」

 

 一方の金刀比羅本では、「御ぐし御爪長長として、すゝけかへりたる柿の御衣に、御色黄に、御目のくぼませ給ひ、痩衰させ給て」と記されている。これは都から康頼という人物が、崇徳の様子を見に行かされた際の話である。この恐ろしい姿を見た康頼は、何も言わずに帰っていく。また、同じく軍記物語である『太平記』には、非業の死を遂げた後鳥羽上皇等と共に、「大なる金の鵄翼をつくろいて著座」する崇徳院が、天下に禍をもたらすべく相談をしている描写がある。

 番組では、崇徳が怨霊となった原因として、1156年の保元の乱に触れる。

 

 磯田「一言で言うと、武士の世への転換点ですよね。それまでは天皇とか公家とかが普通に政権を担ってたわけですが、武士の力が政治に影響力を及ぼすようになったきっかけの戦いですよね。この保元の乱の中心にいたのが崇徳上皇だったわけですよね。」

 

 番組の後半でも触れられるが、磯田氏の言う「武士の世への転換点」とは、慈円が『愚管抄』において、「鳥羽院ウセサセ給テ後、日本國ノ亂逆ト云コトハヲコリテ後ムサノ世ニナリニケルナリ。」(岡見正雄 赤松俊秀校注『愚管抄』)と書いていることによるものだ。実際、保元の乱の後も、平治の乱や壇ノ浦に終わる源平の争乱など、戦が続き、最後は武家政権である鎌倉幕府が誕生する。

 番組では、続いて白峯神宮を訪問。祭神が崇徳院だからである。明治天皇の即位と共に建てられた(1868年)ことに触れ、維新の時代に崇徳をまつり、その怨念を鎮めたということを語る。禰宜の話を聞き、御霊は崇徳が流罪となった讃岐国香川県)にあったが、そこから十日かけて京都に運ばれたと語る。この点についても後ほど(後で語ると断る話が多いのは、私が番組の編成の方に合わせているからである)。

 そこから、番組では神社の創建以来守られてきた崇徳の肖像画を紹介。ナレーションの言う通り、「怨霊のイメージとはかけ離れた、もう一つの顔」である。こちらこそが本当の顔なのだと。先ほどの浮世絵のような、髪を振り乱した青いような顔とはうって変わり、精悍な顔立ちである。

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 続いて、番組では同じく京都にある安楽寿院を訪問。崇徳の父・鳥羽院が建てた寺である。安楽寿院に関しては、以前の記事で崇徳が「父の墓参りをしたい」と願うも許されなかった、という話で名前が出てきたことを記憶しておられる方もいるかもしれない。そして不穏なナレーション。

 

 「平安時代後期、絶大な権力を誇った鳥羽上皇。この父との関係に、崇徳上皇は生涯悩まされることになります。」

 

 鳥羽院がここで政治をつかさどっていた、力を持っていたという話。そして院政の説明。

 

 「天皇を引退した上皇、院が中心となり行った政治のこと。天皇の後見人として権力の座についた上皇は、それまで摂関家によって守られてきた宮廷の慣例をことごとく無視。かつてない一強独裁体制を作り上げていた。」

 

 この院政をスタートさせたのが、例の叔父子説の白河法皇鳥羽院の祖父である。そこから、下級貴族の側近・「院近臣」と直属の親衛隊・「北面の武士」に触れる。院近臣としては、保元の乱の三年後の平治の乱で中心的な人物となる藤原信西藤原信頼が有名だろうか。北面の武士に関しては、西行法師がかつて鳥羽院の下でその役にあったことがよく知られている。

 ここで京大の元木泰雄氏が登場。以前の記事では著書から引用させていただいた。

 

 「(これ以前の)摂関時代は天皇外戚(母方の親族)が大きな力を持つが、院政期に入ると重大問題などは院が独裁的に決めることになった。もし院が判断を誤れば、大変なことになる。」

 

 とにもかくにも、院(上皇)=治天の君というものは絶大な権力を持っていた、ということだ。

 そこから番組は、崇徳自身の話へ。

 

「和歌の才能に恵まれ、歌会を頻繁に主催するなど、宮廷でひときわ輝く存在だった。」

 

 崇徳の和歌に関して、藤原清輔によって書かれた歌学書『袋草紙』は、藤原顕輔が『詞花和歌集』(崇徳が編纂を命じた勅撰和歌集)を崇徳に総攬した際の逸話を載せる。崇徳は「御製少々ならびに藤原範綱・頼保・盛経等の歌を除かる」という行動に出たという(藤岡忠美校注『新日本古典文学大系29 袋草紙』)。気に入らないものは、自分の歌でさえも削ったという。自作の歌も、厳しく評価していたようだ。崇徳の歌へのこだわりの強さがうかがえる。

 他に、『今鏡』は、「崇徳院が幼いときから和歌を愛好され、隠題や紙燭の歌などで、技巧と速詠の修練をつみ、うちうちの歌会をかさねて、本格的な歌会を催されるに至ったこと」や崇徳院が歌を日ごろから詠んでおり、「めづらしくありがたき御歌ども多く聞え侍りき」といったように、崇徳の歌が優れていたと記している(竹鼻績『今鏡(上)』)。

 順風満帆に見えた崇徳の人生だが、雲行きが怪しくなるのは1141年。異母弟・近衛への譲位。崇徳の「コハイカニ」という反応が紹介されていたが、これについては過去記事の『愚管抄』のエピソードを参照いただきたい。番組では詳細は触れず。続いて、元木氏自ら「院政天皇直系尊属でなければできない」という以前私も引用させていただいた話を語る。これでは崇徳は将来的に院政ができない。こうして崇徳は実権のない上皇へ。

 14年後、近衛天皇が早世。だが今度も皇位は崇徳の息子・重仁親王ではなく、同母弟の後白河へ。番組では、後白河の評価として「イタクサタヾシク御アソビナドアリトテ、卽位ノ御器量ニハアラズ」という『愚管抄』の記述が紹介されていた。これは鳥羽が後白河に対して思っていたことだという。それでも、鳥羽は後白河を次の天皇に据える。ちなみに、この後白河への評価としては、『保元物語』で崇徳は「文ニモ武ニモアラヌ四宮(後白河)」、後ほど登場する藤原頼長は「文武共ニカケ、芸能一モ御座ヌ四宮」と言っている。頼長の方がより辛辣。また、何よりも有名なのは、九条兼実の日記『玉葉』の寿永三年三月十六日条。「通憲法師」こと後白河側近の藤原信西が、「和漢之間少比類之暗主也」(超意訳:こんな暗君はそうそういない)と後白院を評しつつも、その記憶力のよさなどについても述べていたことであろう。後白河自身も「今様」という歌に熱中しすぎるなど、身から出たさびでもあるのだが。評価が最悪で馬鹿にされまくっている後白河だが、後に鎌倉幕府初代将軍となる源頼朝が、彼の老獪さを「日本一の大天狗」と評することになるのは、また未来のお話。

 

 元木「まさに想定外の出来事(中略)後白河の後は彼の息子(守仁親王)が継ぐわけですから、天皇家皇位というのは後白河の子孫が継承していくわけですね。崇徳の子孫は皇位から外される。これは崇徳にとってはこの上ない屈辱であり、激しく憤ったと思いますね。」

 

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 なぜ鳥羽から崇徳は排除されるのか。ここで出ました『古事談』。叔父子。これについては過去記事を参照のこと。噂を流したのは後白河派の公家とも言われる、という点にも触れる。この辺は美川圭氏の『院政』の説などを採用したものだろうか。そのまま叔父子説を信じて採用せずむしろこちらの側面が強いといったように描いた点は評価したい。

 ナレーション「この泥沼の確執が、のちの怨霊伝説誕生の引き金となっていくのである。」

 また不穏な…

 ここで一旦スタジオへ。「崇徳上皇ってどんな人だと思いますか?」という問い。

 

 磯田「きらびやかさと危うさが生涯あった人。5歳で天皇、歌もうまい。でも父とされてる人は父じゃないんじゃないかという出生の秘密がささやかれ、なおかつ、この人先行き危ないよねって言う風に思われてた節がある。周りからすると今きらびやかだけど転ぶよねあの高いところにいる人って危うさを自覚しながら生きていた人。精神衛生上よくない。」

 

 「きらびやかさと危うさ」なるほど。確かにこんな状況に置かれたら、そうなるのも仕方あるまい。まさに「精神衛生上よくない」である。

 

 夢枕「すごく不幸な人。その不幸をきっと誰よりもよく分かってたであろう人。その原因とかもね。自分がいろんな人間に利用される立場なんだというのもわかっていた方だと思う。これは相当な不幸だろうと思いますよね。今日のお話は文人をいじめると怖いぞという話」

 

 父親から排除され続け、最期まで不遇。確かに「不幸な人」であろう。「文人をいじめると怖いぞ」は他にも当てはまる歴史上の人物がいそうだ。

 

 山田「非常に和歌がたくさん残っている。伝統的な世界で生きてきた人。時代が移り変わる中で翻弄されていく」

 

 萱野「崇徳上皇自身に興味があるが、崇徳上皇を最強の怨霊にした人々の意識にも興味がある。こういうことをされたら誰でも死後まで恨みつらみを持っていくだろうなという人々の道徳意識とか、秩序意識があるってことですよ」

 

 和歌、そして怨霊に関する話と関連付け。怨霊を生み出すのは、今生きている者の意識である。生前、その人を追い落とした人の後ろめたさかもしれない。

 この後、院政の話へ。磯田「院政は最初の身分破壊であり慣習破壊」夢枕「天皇の方が儀式などで忙しい、院はそれがない、でもそれなのに権力があるといういいポジション」山田「院になると何とか院領という荘園(財産)が非常に集まる」萱野「院は権力者が強欲を解き放たれた状態」という話など。

 

 磯田「平安時代だから平安だと勝手に思っちゃうんだけど院政期からちっとも平安じゃない」

 

 院政の時代以前も平安ではないと思う。権力闘争と政敵を追い落とすための謀略事件がたくさんあるので戦争にはならなくとも全く平安ではない。菅原道真の失脚などもそれだ。

 

 夢枕「崇徳上皇は権力持たないで、NO.3ぐらいでいいので、まあ好きな歌を詠んで、時代がどんなに変わっても自分は三番目くらいでやっていけたらという発想があったら違う人生あったかなと。でも周りがほっとかないからね」

 

 結局のところ、この時代に天皇になる者として生まれた「宿命」なのだろう。ゆえに、「周りがほっとかない」=利用する者が現れるのである。

 続きは次回で。

 

 

 

 

愚管抄 全現代語訳 (講談社学術文庫)

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「ひとりだけどひとりでない空間」のすすめ

 「ヘタウマ」な漫画を描き、最近はテレビ出演も多い蛭子能収さん。そんな蛭子さんの著書に、『ひとりぼっちを笑うな』という本がある。

 

 

 この本では、蛭子さんが自身の思うこと、経験などに触れ、一人で自由に生きることについて様々に意見を書いている。最初に、蛭子さんは内向的過ぎるのもダメだし、別に外向的であることを否定していないという点は断っておこう。

 本の中で、私が非常に共感できる部分がある。「ひとりだけどひとりでない空間」という項だ。どういうことか。蛭子さんは、自分が高校時代に美術部に入っていたというエピソードを紹介。そして、各自がほとんど会話もせず、黙々と絵を描く作業をしているという時間が、「僕にとってはなによりも充実のときだった」と振り返る。

 

 「それはそれは、静かなものですよ。でも、ひとりきりで描くよりも、そうやってみんなで集まって描くほうが、なぜか作業がはかどるんですよね。」

 

 そのうえで、蛭子さんは「ひとりひとりを取りだしてみたら、それは孤独に作業をしているということになるのかもしれない。でも、その孤独は悪い孤独ではないというか、少なくとも、ひとりぼっちな感じはまったくしないんですよ」と述べている。

 他にも蛭子さんは家ではなく図書館に出かけて勉強をするという行為も似たようなものだと言い、自分が競艇場や映画館に行くこと、それも「ひとりだけどひとりじゃない」空間であると説く。図書館に関しては、「個々が目指す具体的な目標はバラバラでも、「勉強をする」という大きな目的においては共通する集団のなかに、あえて自分の身を置いてみる」ことで、勉強がはかどるのではという解釈をしている。

 なるほど、図書館では、自分の他に勉強している人はふつう顔見知りではないし、わざわざ声をかけたりもしないだろう。それぞれが黙々と勉強に精を出す。しかし、「大きな目的においては共通する集団」に自分も自然と所属しているということになる。それが自分の集中力を高めることにも繋がるのだと。蛭子さんが他に例示した「競艇」はギャンブルを楽しむという目的があり、「映画館」は同じ映画を見るという目的がある。個々人は顔見知りでも何でもなくとも、やはり同じ方向(目的)を向いているのだ。蛭子さんは、自分は昔からこういう場所を自然と見つけ出してきたから、孤独を感じずにいられたのかもしれない、とこの項を結んでいる。

 私が思い浮かんだ例は、まずライブだ。当然一人で行くことも多い。いざ開演すれば、多くの人はステージの演者に注目する。そして、ライトを振るなりコールをすることで、盛り上げる。自然と観客側に一体感が生まれてくるのだ。ライブを楽しむ人々=「大きな目的においては共通する集団」であろう。

 他に、コミケなど同人誌の即売会。そういえば、『干物妹!うまるちゃん!』の小説版にて、切絵ちゃんが師匠のためにコミケに行くという話がある。そこで、コミケについてこんな描写がある。

 

 「版権キャラの卑猥な姿が見たい!そんじょそこらじゃ見られないエロスを堪能したい!そう考える人間は、結構な数に及ぶらしい。この異常な混雑ぶりを見ていればそれもわかる。」

 

 そういったジャンルのものばかりではないということはこの後に語られるが、つまりはそういうことだ。己が欲望・目的のために押し合いへし合いが生まれたりする混沌の地である。個々人の求める獲物は違えど、目的は共通しているのである。何より、あの夏・冬の祭りに参加している!という一体感を感じる人もいるのではないか。ライブやコミケが終わった後は、どこか寂しく感じたりするものだ。

 それは、こうしたイベントは、学校や仕事とは異なる「非日常」の行事であり「ハレ」だからだろう。そして、それは自分で率先して参加する。嫌々参加させられる行事に対しては「寂しい」という思いなどは起きず、「早く終われ」という思いしか残るまい。蛭子さんが例に挙げた「勉強」は嫌々の場合もあるだろうし、日常の風景かもしれない。しかし、家に籠って勉強するのと、外の図書館に出かけていくのと。家は毎日同じ風景しか見られない。しかし、図書館への行き帰りの道、中の雰囲気。どこか違うという発見があるかもしれない。何より、「図書館で勉強する」という行為は、「自分で率先して」その場所に行っているということだ。

 私も蛭子さん同様、一人で何かそういったイベントに参加しても、孤独を感じることはない。「大きな目的においては共通する集団」に自然と所属しているからだ。もちろん誰かと参加する場合も、それはそれで別の楽しみがある。しかし、そう毎回お互いの都合が合うわけでもない。皆さんも、ぜひ「ひとりだけどひとりでない空間」の存在に気づいてみてはいかがだろうか。

 

 さて、このブログであるが、次回更新は未定である。飽きたというわけではない。ひとまず自分の頭の中にあった構想が、全部文章化されたということだ。そのうち思いつくのだろうが、今は特にない。積読も読まねばならないし、他にもやることがある。本を読み、自分の中の知識もアップデートしていかなければ、ネタも生まれないというものだ。

 もし、何かネタをもらえれば、それで書こうと思う。遠慮なく言ってもらいたい。

 

干物妹!うまるちゃん N (JUMP j BOOKS)

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「大人になること」と「夢」と社畜と~『ポプテピピック』挿入歌、『白く咲く花』、『すかすか』、『りゅうおうのおしごと!』など~

 大盛況のうちに最終回を迎えたポプテピピック。その最終回において、久々にフェルト人形が登場して歌うパートがあった。『心の大樹』である。作詞は原作者の大川ぶくぶ先生。「雨や風寒さに負けずあの木は強く育つだろう それこそが大人ってもんだ(文句言うな)」で始まる感動的なメロディーの卒業ソング…かと思いきや。その後の「頑張ってない証拠だぞ」といった発言に対して敢然と「こーろーすーぞー♪」と言い放ち、大暴れするその映像とやりたい放題の歌詞は見る者に衝撃を与えた。「それこそが大人ってもんだ」と「頑張ってない証拠だぞ」は学校を卒業し、大人の仲間入り=社畜になる(なった)者に対する理不尽な発言を抜き出した、現代社会の風刺なのかもしれない。そもそもこのクソアニメは何でもありなので、わざわざ歌詞について考えるだけ無駄かもしれないのだが。「大人」と言えば、ピピ美が「明日までに私のほうが先に大人になっちゃったらどうするか考えておいて」とポプ子に言い、それまでゲラゲラ笑っていたポプ子は茫然自失になってしまう、という話もあった。

 さて、ここから無理やり関連付けていく作業が始まる。この記事は、私の好きな曲の歌詞や作品から、「大人になること」と「夢」について考えていくものである。

 『星色ガールドロップ』にて、星降そそぐを熱演した小倉唯さん。彼女は、この春大学を卒業した。そして、「卒業」をテーマにした曲をリリースした。それが『白く咲く花』である。

www.youtube.com

natalie.mu

 上に示したのは公式チャンネルがアップしているMVなので、未視聴の方はぜひ見ていただきたい。そして彼女はインタビューの中で、この曲は「学校というものから解放されて、また新しいステップへと踏み出すことを現実的に捉えた曲」であると語っている。また、歌詞についても自分でこうして欲しいという希望を出したという。作詞者は、『けいおん!』の楽曲の作詞を担当していた大森祥子さん。

 この曲の歌い出しは「咲かせたい夢に今羽ばたく」。いかにも夢に向かって飛び立つという希望を感じさせるものである。この後も同じく希望に溢れた歌詞が続くが、途中で「光 希望 ばかりじゃない絶望感じるのも標準装備(スタンダード)歪な心抱いて」と歌う。一見夢と希望に満ち溢れた巣立ちかと思いきや、現実はそう簡単ではない。このような不安も胸に抱いた巣立ちなのである。

 そしてサビ。

 

 「本音を曲げて 嘘ついて 得る正解って何だ? 本当に"欲しい" ただ"したい"ことに生きていたいんだ 一途さを武器に 摘まれぬ芽になれ涙さえも 花や実を育てるちからに 向かい風に発て今 気高く」

 

 社会に出たなら、自分の言いたいこと(本音)を曲げ、おべっかを使う、嫌だけど同調する、自分に嘘をつくということもあるだろう。『心の大樹』の歌詞を引けば「それこそが大人ってもんだ(文句言うな)」である。ここでは、そのことに疑問を呈すとともに、私は自分の思いを大切にしたいと歌い上げる。

 2番のサビも、その精神を引き継ぐ。

 

 「長きに巻かれ 影隠れ 得る平穏って何だ?本当に“いとしい” ただ“尊い”ことに尽くしてたいんだ 汚れたって綺麗無傷の清らはとっくに 少し 似合わない季節(ばしょ)まで来たから」

 

 これもやはり、社畜の皆さんであれば経験があるのではないだろうか。社畜でなくとも、これまでの人生の中でそうした経験がある人は多いに違いない。長いものに巻かれることは、波風を立てずに「平穏」を得ることができる手段である。そんなことがまかり通るような世界には行きたくないだろう。しかし、それでも「少し似合わない季節(ばしょ)」=「卒業」と同時に、こうした世界へ向かわねばならない。これ以降はぜひCDで聴いていただきたい。しかしそれでも、自分の思いや夢を信じ、大切にしたい。向かい風だとしても、私は夢に向かって旅に出る。凛とした歌詞である。

 また、小倉唯さんには『Tomorrow』という曲もある。涙の数だけ強くなれる、アレではない。こちらの歌詞はこうだ。

 

 「何がそんなに怖いの?誰の許可が欲しいの? 外では本音グッと飲み込み 厚塗りの笑顔 I don't needそれが大人というなら私はまだいらない 誰かの評価よりもこの目で見たものを信じたいよ」

 

 ここでも大人(社畜)になるとよくある状況が挙げられ、「それが大人というなら私はまだいらない」と大人になることを拒否しているようにも思える。しかし、それでも自分の道を夢に向かい進んでいくという前向きな曲である。他に、「世の中に馴染むような美しいだけの色なら興味ない」という歌詞もある。これはいわゆる「同調」を拒否するということか、個性を大切にしたいということか。欅坂46は『不協和音』で「僕はYesと言わない首を縦に振らない周りの誰もが頷いたとしても「みんな揃って同じ意見だけではおかしいだろう」と歌った。こうした同調圧力もまた、個性を殺し、画一化を企図し、従順な人間を生み出す。「支配」する側にとって都合がいい人間が誕生するというわけだ。

 さて、大人になると、こうした不条理を受け入れねばならないのか。社畜にならねばならないのか。そもそも大人になるとはどういうことか。ゲーム『ぼくのなつやすみ』シリーズでも、大人と子どもの違い、のような会話がなされることもある。他に、武田鉄矢さんの『少年期』。そこには「ああ 僕はどうして 大人になるんだろうああ 僕はいつごろ 大人になるんだろう」という歌詞がある。しかし、この曲の中ではその「答え」は示されていない。

 大人になるとはどういうことかという問いに対して、私がとても納得できた意見があるので紹介しよう。このブログでも何度か触れている、『終末なにしてますか?忙しいですか?救ってもらっていいですか?』の外伝のエピソードにおける、やり取りである。詳しい設定などは省略するが、いわゆる「大人」のナイグラートと、少女であるクトリの会話だ。「わたし、子供じゃない」と言うクトリに対して、ナイグラートは「そういうこと言ってる間はお子様なのよ?」と大人の余裕を見せる。クトリは「……嘘。じゃあ、いつになったら大人になれるっていうの」と問う。ナイグラートはこう答えた。

 

 「そうねぇ。『子供に戻りたい』って本気で言い出した辺りかしらね」

 

 子どもの頃は、「早く大人になりたい!」と多くの人は思うものだ。親が酒を飲んでいるのを見て羨ましがったり、かっこいい車を運転していたり。そういったものに対する「憧れ」が、早く大人になりたいという気持ちを生み出す。父は、平日は社畜生活、休日は子どもだった頃の自分や母を連れて、どこかに出かけたりする。今思えば、そんな生活は大変だっただろうな、と感じたりする。大人になるとそれに伴う「責任」も増えていくが、家族に対する責任もその一つであろう。前米副大統領であるジョー・バイデンは、ドナルド・トランプに対し「大人になれ」と言った。「いつまでもガキのままじゃいられない。ガキみたいなことはやめて、責任ある大人になれ」という趣旨だろう。

 子どもの頃は将来への不安などといったものは存在しない。「サッカー選手になりたい」という夢を持ち、それを公言していても、無理だなどと言われたりはしない。しかし、だんだん大人になるにつれ、「現実」というものがわかってくる。そもそも望んだ誰もがサッカー選手やプロ野球選手になれたら、世の中は回らないというものだ。

 では、大人になるとろくなことがないのか。前半では、小倉唯さんの曲の歌詞を示し、自由に論評した。その中で、大きなテーマとなっていた「大人になること」と「自分の夢をかなえること」の相関性について考えよう。「戦姫絶唱シンフォギア」一期の10話において、風鳴弦十郎は、次のような名言を残している。

 

 「いい大人は夢を見ないと言ったな。そうじゃない。大人だからこそ、夢を見るんだ。大人になったら背も伸びるし力も強くなる。財布の中の小遣いだってちっとは増える。子供の頃はただ見るだけだった夢も大人になったら叶えるチャンスが大きくなる。夢を見る意味が大きくなる。」

 

 なるほど、頷ける意見である。子どもの頃は、親から少しの小遣いをもらい、お菓子を買ったりするものだ。しかし、大人になると、自由に使える金は子どもの時よりも増える。買えなかったゲームでも漫画でも、好きなものを買ったりできる。これは確かにいいことだ。大人になれば親から「あれはダメだこれはダメだ」と叱られることもあるまい。大人ならではの自由を手に入れることができるのだ。

 そして、「子供の頃はただ見るだけだった夢も大人になったら叶えるチャンスが大きくなる」という部分。夢はなんでもいいだろう。私の知人には、声優になりたいと思って学校に通っていた人もいるし、お笑い芸人としてブレイクしようと日々活動している人もいる。最終的には叶わなかったとしても、大人になると、子供の頃から持っていた夢に挑戦することはできる。

 先日、アニメが最終話を迎えた『りゅうおうのおしごと!』。その中に登場する、清滝桂香。彼女は幼い頃から夢を持ち、女流棋士を目指していた。しかし、年齢制限が迫り、このままではその道は絶たれてしまう。そんな桂香の葛藤を描いたのがアニメ版7話の内容である。逆に、こちらでは大人になること=夢への道を断たれる、ということになってしまうのだ。そして、この回の特殊EDとして使われたのが伊藤美来さんの『あの日の夢』である。

 

 「やっぱり私 諦められそうにないよ あの日の夢 届かないとしても

 「それでも私 諦められそうにないよ 痛みの先 強くなれるのなら どんなに ボロボロでも構わないもう一度 翼広げ夢に見た空へと 」

 

 子どもの頃に抱いた夢を、諦められずに大人(桂香は26歳が迫っている)になっても、追い続ける。「「私は どうしてここにいるんだろう?」 当たり前の幸せすら捨てて」という一節もある。夢を諦めれば、人並みの、「当たり前の幸せ」は得られるだろう。それを捨ててまで、どうして夢を追い続けるのかと。原作では、同窓会で仕事や恋愛や結婚といった「当たり前の幸せ」の話を聞いた桂香が、それを羨ましいと思う場面が描かれる。大人になっても夢を追い続けること。それは尊いことでもあり、同時に苦しいことでもある。

 今回も長くなった。次回更新を以て、私は一旦積読処理に向かうつもりだ。

 この記事を読んでいる貴方は、今、「子供に戻りたい」と本気で思っているだろうか。それとも、大人のままでいいと思っているだろうか。

 

「白く咲く花」【期間限定盤】

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少年期

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積読はなぜ増えるのか考えよう―積読の種類

 以前の記事で、積読について様々に述べた。

 

konamijin.hatenablog.com

 

 では、そもそも積読はなぜ増えるのか。「それはお前が前に買った本を読み終わってもいないうちから新しいのを買うからだろう」で終了かもしれない。今回はこのくらいにしておこうと言いたいところだが、確かに「前に買った本を読み終わってもいないうちから新しいのを買う」という行為が原因であることは疑う余地のない事実である。今回は、そのことについて、もう少し細かく見て行こうというわけだ。

 自分の積読リストを見ていると、あることに気づく。積読にも種類がある、ということだ。どういうことか、説明していこう。

 

①内容が複雑、難しい学術書・新書

 まずはこれだ。学術書や、中公新書など安価でコンパクトでありながら内容がしっかりした新書がこれに当てはまる。新書に関しては、この「安価でコンパクト」という点が逆に曲者だ。学術書のように一冊何万円もするものではないので、値段に悩むことなくすぐに買ってしまうというわけだ。更に、コンパクトなので置き場所にも困らないときた。そして、以前の記事にも書いたが、本を読むという行為は時間・体力を消費するものだ。せっかく読むからには、内容をしっかり理解していきたい。書かれている内容を反芻しつつ読むと、その本を読むのにかかる時間はより長くなる。厚みのある学術書・新書であるならば当然である。こうして、「まとまった時間ができたらいつか挑もう」と思っているうちに、読む機会を失していくのである。学術書に関しては、とりあえず資料としていつか使えそうだと思って買う。すると、いざ使うという時にすぐに見れる、という安心感を得られるのである。

 

②上下巻ないし上中下巻で完結の小説

 次はこれだ。上下巻完結の小説は、まだ先ほどの①と比べれば楽な方だ。上巻を読んでみて、面白ければそのまま下巻へとすんなり入っていくことができる。しかし、上中下巻ともなると、やや気後れするかもしれない。上中下巻にとどまらず、4巻、5巻と続いていく小説(ライトノベル含む)は、1巻が面白くなければそれ以降の巻を読むのをやめる。ゆえに、自分が面白いと思ったものしか残らない。しかし、上下巻ないし上中下巻で完結しているものは別だ。私の場合、「既に完結していて二冊ないし三冊だ」という理由から、最初にとりあえず全部買ってしまう。買った瞬間は面白そうだと感じていたはずなのに、いつの間にか積読化してしまう。

 

③冒頭だけ読んで入っていけない、合わないと思った本

 これは以前の記事において、花澤香菜さんも言っていたものだ。表紙の裏の説明や、他の人のレビューを見て面白そうだと思って買ったはいいものの、いざ読んでみたら「合わない」と思い読むのを止めてしまうもの。これまで読んだことのない作家の小説に手を出した時などに特に起こりやすい現象である。それで、自分が好きな作家の本などに逃げてしまうというわけだ。その人の作風や文体なども知っているから。

 また、これは小説に限った話ではない。よく知らない時代の歴史などに興味を持った場合。自分がよく知っている、好きな時代の歴史の本であれば、知識などもあるため読みやすい。しかし、そうではない時代や国について知るために本を読む場合。これは知識がない。せいぜい断片的に人名などを知っている程度だろう。だから、なかなか入って行けず、最初だけ読んで別の機会に回してしまうというものだ。

 

④途中まで読んだが、しばらく放置してしまった本

 これは③の派生形かもしれない。途中まで結構楽しく読んでいたのだが、仕事などが重なり、読む時間がなくなってしまった。それで、しばらく放置した結果。久々に手に取ると、その本の内容を忘れはしなくとも、以前栞を挟んでいた途中から読むと、なんだかモヤモヤとした気分になるのである。この感覚、分かる人と分からないという人がいるに違いない。しかし、また改めて最初から読むのも億劫というものだ。最終的に、また暫くしてから読もうという判断によって、その本は肥やしになっていく。

 

⑤書かれている情報が古くなってしまった本

 これは時事問題、政治などを扱った本に目立つ。言うまでもなく、時間は流れていく。その時間の中で、世の中には日々動きがあり、変化する。しかし、その話題が旬であった時期に出版された本はどうだろう。その本に書かれた内容は、変化=アップデートされない。出版された当初に何らかの理由で読まずに放置した結果、その本に書かれている情報は古い=現実の状況に追い付いていない、ということで読まれなくなるということだ。こういった本は鮮度が一番、買ったらすぐ読めということだ。

 

 以上、①から⑤まで、積読の種類について考えてみた。上記以外の分類があるという方も、もしかしたらいるかもしれない。私も昔、やや特殊な例があった。移動中や待ち時間に読もうとかばんに本を入れておいた。ある日、突然の大雨に遭ってしまった。傘は持っていなかった。それで、本が濡れたのである。破れた、インクがにじんで読めなくなった、という状況にはならなかった。しかし、乾かしてもゴワゴワの状態になってしまい、気分的に嫌になってしまったのである。こんな理由もあるものだ。

 ゲームや映画など、今は他のことが面白いので本を読もうという気にはならない、疲れて本を読む気が起きないという時期もある。以前も似たようなことを書いた気がするが、本を読むことは楽しいが、同時に体力がいることでもあるのだ。それでも我々は、地道に積読と向き合っていく。

 だから、最後はやはりこんな記事を書いてる暇があったら1ページでも読めという結論に至るのである。将棋の羽生善治氏の本をいくつか積んでいるので、そこから読んでみるか。

大学1年時、最初の人間関係構築とSNS

 四月に入り、新年度のスタートとなった。今日も駅にて通勤・通学定期を買い求めるために並んでいる人の列があった。この記事を読んでいる人や、私のツイートを見ている人は、この四月から新大学一年生です、という人は極めて少数だろう。既に卒業している人や、高卒で働いているという人が多いと思われる。

 さて、この時期よくあるのが「大学デビュー」である。これについて、古谷経衡氏が面白い定義づけを行っているので紹介したい。今回はこの話をしたいわけではないので、簡単に。

 

 「具体的には、高校時代まで地味で目立たなかった学生が、大学進学を契機に一挙に外見が派手になり、まるで性格ががらりと変わって別人になったかのように社交的になり、大学の学生生活を謳歌する(ように見える)人々に格上げされる動態をさす。」

 

 高校ではパッとしない生活を送っていたが、心機一転。髪を染めたりして、新しい人間関係を築いて俺もリア充ライフを送ってやるぜ、という目論見だ。この後、古谷氏は自身の体験などを例に見解を述べていく。私立大学に関しては「内部進学生」が多くおり、既に「彼らの縄張りが強固に張り巡らされて」いる状態である。そして、「校内の人的関係はまずそのグループによってリードされる」という状況などについて語っていく。興味を持った方は、古谷氏の『「意識高い系」の研究』(文春新書)を読んでいただきたい。大学デビューは幻想だったのか。

 

「意識高い系」の研究 (文春新書)

「意識高い系」の研究 (文春新書)

 

 

 さて、めでたく大学に入学。そこでの最初の友人関係について、先日「内田雄馬日高里菜のラジオもりゅうおうのおしごと!」というラジオを聴いていたら、こんなやりとりがあった。第11回での二人のやりとりである。

 

内田「最近さ、入学するときに、SNSがあるじゃん?アレで先に、なになに校に進学します、お友達になりましょうみたいなのやるらしいよ」

日高「そうなんだよ!私大学に入るときに皆SNSでもうね、仲良くなってんの。だから、入学式的なのあるじゃない?もう友達と集合して行ってんの。怖いよね!」

内田「入学式なのに?」

日高「そうだよ。そこで初めて出会うはずなのに、もうお友達からスタートで。むしろその前に一回会ってるからね。皆(先に)集まって、仲良くなってからの入学式で。」

内田「なんかそれはそれでさ、やっぱ入学式で初めて会って、はにかみながら、あっ、どうも、みたいなのやりたいよな。」

日高「私さSNSやってなかったから、一歩出遅れた感。しかも入学式も私行けなくて、しかも説明会にも行けなかったの。だからもう最初ずっと一人で。」

内田「出来上がってんなあ既にみたいなね。」

 

 確かにこういった話は何度か聞いたことがある。実際、Twitterで検索をしてみると、そういったツイートは多くヒットする。内田さんの言うように、既に人間関係が出来上がっているようなのだ。誰もがスマホを持っている時代ならではと言える。

 私の場合、入学式以前にその学科の新入生が集められる説明会が数度あった。私も推薦で入ったため、学科は違えど高校での友人が数名同じキャンパスに進学してきていた。これはちょっと心強い。私は人間関係のリセットも兼ねた大学デビューは望んでおらず、むしろ古谷さんの言う「内部進学生」側の人間なのである。説明会では、履修に関する話など基本的なことが様々説明される。思えば私は、そこで内田さんの言うような「はにかみながら、あっ、どうも、みたいなの」をやっていた。説明会は席が決められており、自分の学籍番号が書かれた場所に座る。その近くの人に話しかけたり、話しかけられたりして少しずつ輪を広げるのだ。「どこの高校から来たんですか?」で始めてそこから話を広げるもよし、「いやあ説明会来たけど覚えること多くて大変ですね」でもいいし、「おっ、そのソシャゲ自分もやってるんですよ」でも切り口はなんでもいい。同じ学科に進学して来た人なら、何か自分と共通するものを相手も持っているはずだ。

 その後、ゼミの前段階のような、発表を中心とした講義用の、いくつかある少数クラスへ適当に振り分けられる。そこでもまた、少しずつ輪を広げていった。こうしたことを続けたことにより、いつの間にか7人ほどのグループが出来上がった。一年時は、全員が受ける必修講義も多い。ゆえに、顔を合わせることも多くなる。一緒に講義を受けているうちに、自然と打ち解ける、大学にも慣れていくというわけだ。また、私の大学では卒業までに体育関係の単位も一つ取らなければならなかった。チーム競技ではなかったが、体育でぼっち参加というのは辛いものだ。そこでも「一緒にこれ取ろうぜ」ということで、それを回避する。ちなみに私は一年の前期で必修を一つ落としたが、同じく落とした友人と一緒に翌年再履修、無事単位認定となった。だって記述式だし持ち込み不可だし(言い訳)。

 さて、話を戻そう。SNSで事前に友人関係ができあがっている状態がいいか、入学式や説明会で初顔合わせ、そこから友人になる、というのがいいか。私はどちらでもいいと思う。どちらでもいいが、個人的には後者の方が好きである。SNSで先んじて人間関係の構築を望む。それは本当に社交的な人間で、友達がたくさん欲しいという人もいるだろう。しかし一方で、「絶対にぼっちを回避したい」という思いから、SNSで知り合うというやり方を採用する人もいるのかもしれない。そこにあるのは「焦り」と「不安」だ。特に地方から都市部の大学へと進学してきた人は、両親もいない新天地で完全に孤立する恐れがある。

 しかし、SNSをやっていなくとも、説明会の休憩時間などに、少し話しかけてみればよい。それが難しいんだよ、と思う人もいるだろう。だが、「なんだお前」と言われたりはしないはずである。ある程度のグループが出来上がっていても、私の友人などは堂々と話に入って行ったりしたものだ。グループができていると言っても、彼らもまだ会ったばかり。ゆえに、まだ付き合いが浅い。逆に、今を逃してしまえば終わりだと考えるべきだ。時間が経てばたつほどグループは固定されていき、サークル勧誘なども始まりますます人間関係は固まっていく。

 やるなら今しかない。何もせずぼっちになるか、最初に話しかけたりしたが結局失敗してぼっちになるか。結論は同じでも、前者の方がいいのではないか。ぼっちでは卒業できないかと言えば、そんなことはないのだ。ぼっち飯も後ろ指を刺されるといったことにはならない。そう感じるのは「気にしすぎ」である。高校まではクラスがあり、何をするにも全員一緒というのが嫌だったが、大学ではそういう縛りもゼミなどを除けばほぼなく自由だ、と思うのもまたよしである。