憂きまど

タイトルは「憂き事のまどろむ程は忘られて覚むれば夢の心地こそすれ」より。某大学国文学修士の人が趣味丸出しでおくる、アニメや小説の感想を中心になんでも。超気まぐれ更新。読んだ本はこちら→https://bookmeter.com/users/337037 Twitterは→@konamijin

積読はなぜ増えるのか考えよう―積読の種類

 以前の記事で、積読について様々に述べた。

 

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 では、そもそも積読はなぜ増えるのか。「それはお前が前に買った本を読み終わってもいないうちから新しいのを買うからだろう」で終了かもしれない。今回はこのくらいにしておこうと言いたいところだが、確かに「前に買った本を読み終わってもいないうちから新しいのを買う」という行為が原因であることは疑う余地のない事実である。今回は、そのことについて、もう少し細かく見て行こうというわけだ。

 自分の積読リストを見ていると、あることに気づく。積読にも種類がある、ということだ。どういうことか、説明していこう。

 

①内容が複雑、難しい学術書・新書

 まずはこれだ。学術書や、中公新書など安価でコンパクトでありながら内容がしっかりした新書がこれに当てはまる。新書に関しては、この「安価でコンパクト」という点が逆に曲者だ。学術書のように一冊何万円もするものではないので、値段に悩むことなくすぐに買ってしまうというわけだ。更に、コンパクトなので置き場所にも困らないときた。そして、以前の記事にも書いたが、本を読むという行為は時間・体力を消費するものだ。せっかく読むからには、内容をしっかり理解していきたい。書かれている内容を反芻しつつ読むと、その本を読むのにかかる時間はより長くなる。厚みのある学術書・新書であるならば当然である。こうして、「まとまった時間ができたらいつか挑もう」と思っているうちに、読む機会を失していくのである。学術書に関しては、とりあえず資料としていつか使えそうだと思って買う。すると、いざ使うという時にすぐに見れる、という安心感を得られるのである。

 

②上下巻ないし上中下巻で完結の小説

 次はこれだ。上下巻完結の小説は、まだ先ほどの①と比べれば楽な方だ。上巻を読んでみて、面白ければそのまま下巻へとすんなり入っていくことができる。しかし、上中下巻ともなると、やや気後れするかもしれない。上中下巻にとどまらず、4巻、5巻と続いていく小説(ライトノベル含む)は、1巻が面白くなければそれ以降の巻を読むのをやめる。ゆえに、自分が面白いと思ったものしか残らない。しかし、上下巻ないし上中下巻で完結しているものは別だ。私の場合、「既に完結していて二冊ないし三冊だ」という理由から、最初にとりあえず全部買ってしまう。買った瞬間は面白そうだと感じていたはずなのに、いつの間にか積読化してしまう。

 

③冒頭だけ読んで入っていけない、合わないと思った本

 これは以前の記事において、花澤香菜さんも言っていたものだ。表紙の裏の説明や、他の人のレビューを見て面白そうだと思って買ったはいいものの、いざ読んでみたら「合わない」と思い読むのを止めてしまうもの。これまで読んだことのない作家の小説に手を出した時などに特に起こりやすい現象である。それで、自分が好きな作家の本などに逃げてしまうというわけだ。その人の作風や文体なども知っているから。

 また、これは小説に限った話ではない。よく知らない時代の歴史などに興味を持った場合。自分がよく知っている、好きな時代の歴史の本であれば、知識などもあるため読みやすい。しかし、そうではない時代や国について知るために本を読む場合。これは知識がない。せいぜい断片的に人名などを知っている程度だろう。だから、なかなか入って行けず、最初だけ読んで別の機会に回してしまうというものだ。

 

④途中まで読んだが、しばらく放置してしまった本

 これは③の派生形かもしれない。途中まで結構楽しく読んでいたのだが、仕事などが重なり、読む時間がなくなってしまった。それで、しばらく放置した結果。久々に手に取ると、その本の内容を忘れはしなくとも、以前栞を挟んでいた途中から読むと、なんだかモヤモヤとした気分になるのである。この感覚、分かる人と分からないという人がいるに違いない。しかし、また改めて最初から読むのも億劫というものだ。最終的に、また暫くしてから読もうという判断によって、その本は肥やしになっていく。

 

⑤書かれている情報が古くなってしまった本

 これは時事問題、政治などを扱った本に目立つ。言うまでもなく、時間は流れていく。その時間の中で、世の中には日々動きがあり、変化する。しかし、その話題が旬であった時期に出版された本はどうだろう。その本に書かれた内容は、変化=アップデートされない。出版された当初に何らかの理由で読まずに放置した結果、その本に書かれている情報は古い=現実の状況に追い付いていない、ということで読まれなくなるということだ。こういった本は鮮度が一番、買ったらすぐ読めということだ。

 

 以上、①から⑤まで、積読の種類について考えてみた。上記以外の分類があるという方も、もしかしたらいるかもしれない。私も昔、やや特殊な例があった。移動中や待ち時間に読もうとかばんに本を入れておいた。ある日、突然の大雨に遭ってしまった。傘は持っていなかった。それで、本が濡れたのである。破れた、インクがにじんで読めなくなった、という状況にはならなかった。しかし、乾かしてもゴワゴワの状態になってしまい、気分的に嫌になってしまったのである。こんな理由もあるものだ。

 ゲームや映画など、今は他のことが面白いので本を読もうという気にはならない、疲れて本を読む気が起きないという時期もある。以前も似たようなことを書いた気がするが、本を読むことは楽しいが、同時に体力がいることでもあるのだ。それでも我々は、地道に積読と向き合っていく。

 だから、最後はやはりこんな記事を書いてる暇があったら1ページでも読めという結論に至るのである。将棋の羽生善治氏の本をいくつか積んでいるので、そこから読んでみるか。

大学1年時、最初の人間関係構築とSNS

 四月に入り、新年度のスタートとなった。今日も駅にて通勤・通学定期を買い求めるために並んでいる人の列があった。この記事を読んでいる人や、私のツイートを見ている人は、この四月から新大学一年生です、という人は極めて少数だろう。既に卒業している人や、高卒で働いているという人が多いと思われる。

 さて、この時期よくあるのが「大学デビュー」である。これについて、古谷経衡氏が面白い定義づけを行っているので紹介したい。今回はこの話をしたいわけではないので、簡単に。

 

 「具体的には、高校時代まで地味で目立たなかった学生が、大学進学を契機に一挙に外見が派手になり、まるで性格ががらりと変わって別人になったかのように社交的になり、大学の学生生活を謳歌する(ように見える)人々に格上げされる動態をさす。」

 

 高校ではパッとしない生活を送っていたが、心機一転。髪を染めたりして、新しい人間関係を築いて俺もリア充ライフを送ってやるぜ、という目論見だ。この後、古谷氏は自身の体験などを例に見解を述べていく。私立大学に関しては「内部進学生」が多くおり、既に「彼らの縄張りが強固に張り巡らされて」いる状態である。そして、「校内の人的関係はまずそのグループによってリードされる」という状況などについて語っていく。興味を持った方は、古谷氏の『「意識高い系」の研究』(文春新書)を読んでいただきたい。大学デビューは幻想だったのか。

 

「意識高い系」の研究 (文春新書)

「意識高い系」の研究 (文春新書)

 

 

 さて、めでたく大学に入学。そこでの最初の友人関係について、先日「内田雄馬日高里菜のラジオもりゅうおうのおしごと!」というラジオを聴いていたら、こんなやりとりがあった。第11回での二人のやりとりである。

 

内田「最近さ、入学するときに、SNSがあるじゃん?アレで先に、なになに校に進学します、お友達になりましょうみたいなのやるらしいよ」

日高「そうなんだよ!私大学に入るときに皆SNSでもうね、仲良くなってんの。だから、入学式的なのあるじゃない?もう友達と集合して行ってんの。怖いよね!」

内田「入学式なのに?」

日高「そうだよ。そこで初めて出会うはずなのに、もうお友達からスタートで。むしろその前に一回会ってるからね。皆(先に)集まって、仲良くなってからの入学式で。」

内田「なんかそれはそれでさ、やっぱ入学式で初めて会って、はにかみながら、あっ、どうも、みたいなのやりたいよな。」

日高「私さSNSやってなかったから、一歩出遅れた感。しかも入学式も私行けなくて、しかも説明会にも行けなかったの。だからもう最初ずっと一人で。」

内田「出来上がってんなあ既にみたいなね。」

 

 確かにこういった話は何度か聞いたことがある。実際、Twitterで検索をしてみると、そういったツイートは多くヒットする。内田さんの言うように、既に人間関係が出来上がっているようなのだ。誰もがスマホを持っている時代ならではと言える。

 私の場合、入学式以前にその学科の新入生が集められる説明会が数度あった。私も推薦で入ったため、学科は違えど高校での友人が数名同じキャンパスに進学してきていた。これはちょっと心強い。私は人間関係のリセットも兼ねた大学デビューは望んでおらず、むしろ古谷さんの言う「内部進学生」側の人間なのである。説明会では、履修に関する話など基本的なことが様々説明される。思えば私は、そこで内田さんの言うような「はにかみながら、あっ、どうも、みたいなの」をやっていた。説明会は席が決められており、自分の学籍番号が書かれた場所に座る。その近くの人に話しかけたり、話しかけられたりして少しずつ輪を広げるのだ。「どこの高校から来たんですか?」で始めてそこから話を広げるもよし、「いやあ説明会来たけど覚えること多くて大変ですね」でもいいし、「おっ、そのソシャゲ自分もやってるんですよ」でも切り口はなんでもいい。同じ学科に進学して来た人なら、何か自分と共通するものを相手も持っているはずだ。

 その後、ゼミの前段階のような、発表を中心とした講義用の、いくつかある少数クラスへ適当に振り分けられる。そこでもまた、少しずつ輪を広げていった。こうしたことを続けたことにより、いつの間にか7人ほどのグループが出来上がった。一年時は、全員が受ける必修講義も多い。ゆえに、顔を合わせることも多くなる。一緒に講義を受けているうちに、自然と打ち解ける、大学にも慣れていくというわけだ。また、私の大学では卒業までに体育関係の単位も一つ取らなければならなかった。チーム競技ではなかったが、体育でぼっち参加というのは辛いものだ。そこでも「一緒にこれ取ろうぜ」ということで、それを回避する。ちなみに私は一年の前期で必修を一つ落としたが、同じく落とした友人と一緒に翌年再履修、無事単位認定となった。だって記述式だし持ち込み不可だし(言い訳)。

 さて、話を戻そう。SNSで事前に友人関係ができあがっている状態がいいか、入学式や説明会で初顔合わせ、そこから友人になる、というのがいいか。私はどちらでもいいと思う。どちらでもいいが、個人的には後者の方が好きである。SNSで先んじて人間関係の構築を望む。それは本当に社交的な人間で、友達がたくさん欲しいという人もいるだろう。しかし一方で、「絶対にぼっちを回避したい」という思いから、SNSで知り合うというやり方を採用する人もいるのかもしれない。そこにあるのは「焦り」と「不安」だ。特に地方から都市部の大学へと進学してきた人は、両親もいない新天地で完全に孤立する恐れがある。

 しかし、SNSをやっていなくとも、説明会の休憩時間などに、少し話しかけてみればよい。それが難しいんだよ、と思う人もいるだろう。だが、「なんだお前」と言われたりはしないはずである。ある程度のグループが出来上がっていても、私の友人などは堂々と話に入って行ったりしたものだ。グループができていると言っても、彼らもまだ会ったばかり。ゆえに、まだ付き合いが浅い。逆に、今を逃してしまえば終わりだと考えるべきだ。時間が経てばたつほどグループは固定されていき、サークル勧誘なども始まりますます人間関係は固まっていく。

 やるなら今しかない。何もせずぼっちになるか、最初に話しかけたりしたが結局失敗してぼっちになるか。結論は同じでも、前者の方がいいのではないか。ぼっちでは卒業できないかと言えば、そんなことはないのだ。ぼっち飯も後ろ指を刺されるといったことにはならない。そう感じるのは「気にしすぎ」である。高校まではクラスがあり、何をするにも全員一緒というのが嫌だったが、大学ではそういう縛りもゼミなどを除けばほぼなく自由だ、と思うのもまたよしである。

崇徳院と戦姫絶唱シンフォギアの風鳴翼―後編:翼と八紘、訃堂から崇徳・鳥羽まで

 前回の記事では、崇徳院の出生に関する問題を、史料や先行研究をもとに整理した。父親の鳥羽院との関係についても述べた。

 

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 さて、今回は『戦姫絶唱シンフォギア』シリーズにおける、風鳴翼の出生と父親との関係について述べていきたい。翼は、自らを人類守護のための「防人」であると位置付ける。GX(三期)では、錬金術師と戦うことになる。 

 まず、風鳴家について説明する。翼の父は風鳴八紘(かざなりやつひろ)、八紘の弟に風鳴弦十郎(かざなりげんじゅうろう)、八紘と弦十郎の父親は風鳴訃堂(かざなりふどう)である。翼から見ると、訃堂は祖父にあたる。八紘は内閣情報官。弦十郎は、翼も所属する超常災害対策機動部タスクフォース組織・S.O.N.G.の司令。この組織については、公式用語集を参照していただきたい。

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 訃堂はGXでは名前とうっすらとした姿のみ登場。この人物が作中で実際に話すなどするのは、次のAXZを待たねばならない。彼はS.O.N.G.の前身組織の司令だったが、その座を弦十郎に譲り渡してからも、日本の国防政策に対して大きな発言力を持つ重鎮であるようだ。

 さて、シンフォギアGX第9話「夢の途中」を視聴していない読者の方は、「崇徳院と何の関係があるのか」と思われるかもしれない。先に言ってしまおうかと思ったが、初見の人は知らないで読んだ方がいいだろう。だいたい予想できそうだが。

 まずは、その9話をみていこう。S.O.N.G.は、敵の錬金術師の狙いを割り出した。その中には、翼の実家である屋敷も含まれていた。そこにある「要石」の破壊が目的である。派遣されたのが翼とマリア、そして風鳴家に仕えている忍者の家の末裔で、翼のマネージャーの緒川。屋敷に到着した際、八紘は緒川とマリアには声を掛けるが、翼には一言も触れずに去っていこうとする。翼は「お父様!」と呼びかけ、

 「沙汰もなく、申し訳ありませんでした。」

と詫びる。一方で、八紘は翼に背を向けたまま、

 「お前がいなくとも、風鳴の家に揺るぎはない。務めを果たし次第、戦場(いくさば)に戻るがいいだろう。」

 このように応じる。終わったらさっさと帰れと言っており、極めて冷淡である。マリアはその態度に憤慨し、

 「待ちなさい!あなた、翼のパパさんでしょ?だったらもっと他に…」

 このように非難するが、翼は「マリア、いいんだ…」と止める。「でも!」と食い下がるマリアに、翼はなおも「いいんだ…」と寂しげに声を掛ける。この時点では、マリアも、そして視聴者も、なぜこんなに二人は不和のように見えるのか、という理由を知らない。

 その直後、敵の錬金術師の送り込んだ自動人形・ファラが襲撃に来る。そこで翼は八紘に対して「ここは私が!」と言い、八紘も「うむ、務めを果たせ。」と応じる。ここでは先ほどよりはまだ淡々としていないが、当たり前のことをやれ、と言っているだけのように聞こえる。翼はファラに敗れ、要石も破壊されてしまう。ファラは「目が覚めたらまた改めてあなたの歌を聴きに伺います」と翼に伝えるように言い、撤退。

 目覚めた翼に対し、八紘が呼んでいると呼びかけるマリア。翼たちは、次の敵の狙いについて話し合う。そして、八紘は、こう声を掛ける。

 「翼。傷の具合は?」

 ここで翼は、やや意外そうな顔をする。まさか自分を気遣うような言葉を掛けてくれるとは思っていなかったのか。翼は、「はい。痛みは殺せます。」と応じる。さて、問題はここからだ。八紘は、

 「ならばここをたち、しかるべき施設にて、これらの情報の解析を進めるといい。お前が守るべき要石はもうないのだ。」

 と言う。またマリアが怒る。

 「それを合理的というのかもしれないけど、傷ついた自分の娘にかける言葉にしては、冷たすぎるんじゃないかしら。」

 翼は「いいんだマリア。…いいんだ。」とまた寂しげである。部屋を出た後も、マリアは「家族のつながりをないがしろにして!」と怒る。マリアは自身の境遇から、こういうところを大事にする。翼は「すまない。だが、あれが、私たちの在り方なのだ。」と答える。翼は自分の子供の頃に使っていた部屋に、マリアを案内する。翼は一期の頃から部屋の片付けが苦手であるという設定がある。この部屋も、そのまま散らかりっぱなしであった。翼は「幼い頃にはこの部屋で、お父様に流行歌を聞かせた思い出もある。」としみじみと語る。確かに部屋にはマイクなどが置いてある。翼の幼少期は、八紘は翼を遠ざけてはいなかったということか。この点は後ほど。

 そして翼は、語り始める。

 

 「私のおじい様、現当主の風鳴訃堂は、老齢の域にさしかかると、跡継ぎを考えるようになった。候補者は、嫡男である父・八紘と、その弟の弦十郎叔父様。だが、おじい様に任命されたのは、お父様や叔父様を差し置いて、生まれたばかりの私だった。理由は聞いていない。だが、今日まで生きているとうかがい知ることもある。どうやら私には、お父様の血が流れていないらしい。風鳴の血を濃く絶やさぬよう、おじい様がお母様の腹より産ませたのが、私だ。」

 

 そして昔の回想。幼い翼に対し、八紘は「お前が私の娘であるものか!どこまでも汚れた風鳴の道具に過ぎん!」と辛辣な言葉を浴びせる。この点、『古事談』にある、鳥羽が崇徳を自分の子ではないと知り、「叔父子」と呼んでいたという点と重なる部分があると思う。ちなみに、八紘と翼のこのやりとりは、これ以前の第6話においても、翼の精神世界の描写として存在する。

 翼は更に語る。「以来私は、お父様に少しでも受け入れてもらいたくて、この身を人ではなく道具として、剣として研鑽してきたのだ。」つまり、「風鳴の道具」として生きるようにした、ということだ。務めを果たす。それこそが、父親に受け入れられるための道なのだと。翼は、寂しさの中に自嘲気味な感情を内包させる。「なのに、この体たらくでは、ますますもって鬼子と疎まれてしまうな。」

 余談ではあるが、騙されて譲位をさせられた後の崇徳も、鳥羽と、自分が退位させられる原因となった美福門院(近衛天皇の母)と流鏑馬を見るために同席するなど、ある意味「受け入れられるための努力」をしているようにも感じられる。

 前回の記事で、崇徳院は、鳥羽院ではなく白河院の子であるとする説を紹介した。繰り返しになるが、白河院の子が堀河天皇堀河天皇の子が鳥羽院、そして鳥羽院の子が崇徳院である。シンフォギアでは、翼の父は八紘ということになっているが、実は訃堂の子である、という話が語られるのである。訃堂は八紘(訃堂から見れば息子)の妻を孕ませ、その結果生まれたのが翼。

 親子関係を表すと、崇徳の場合は白河―堀河―鳥羽―崇徳であり、シンフォギアの場合は訃堂―八紘―翼であるため、崇徳院の方が間に介在する人物が一人多い。白河法皇の場合、孫の妻にした女性を孕ませた。仮に、崇徳が白河法皇と待賢門院璋子の子であるとする説を採用するならば、それは「性愛」の結果でしかなかっただろう。一方で、シンフォギアでは「自身(訃堂)の血を濃くするため」という明確な理由がある。翼の母については詳しく語られず、登場もせず名前もわからない。既に病気か何かで亡くなっているのだろうか。

 しかし、やや疑問に思われる方もいるかもしれない。八紘は訃堂の嫡男、実子ではないか。それで「血の濃さ」を求めたというのはどういうことか、と。私もこの点はよく分からなかった。説明がなされていないからだ。強いて理由を考えるならば、八紘の妻は風鳴家の親戚であったということか。一方、訃堂との間に八紘・弦十郎をもうけた女性は、そうではなかった。ゆえに、「同じ一族で契ることが血の濃さにつながる」ということで、八紘の妻(風鳴家の人間と仮定)と契ったのだろうか。この点、あくまで仮説であり、5期で今後明らかになるかもしれない。八紘が実は入り婿でその妻の方が訃堂の娘だとか、そういう説は介在しえないと思う。後で紹介する公式用語集の八紘の項目にも、「父・訃堂」と書かれている。

 血の濃さというものは確かに重要だ。例えば、近親婚。これを続けることより、偶にとんでもなく卓越した人が生まれることがある、という話を昔中世の教授から聞いたことがある。天皇家などがそれだ。

 もう一つ、仮説を立ててみよう。訃堂から見れば、八紘と弦十郎、どちらも「当主」と認めるに足る器ではなかった(個人的にはどちらも有能な人物だと思うが)。これではいかんと思った訃堂が、別の当主候補を欲した。そこで、自ら今度は八紘の妻に手を出したという説だ。これもまた仮説であるため、実際はどうか分からない。

 四期であるシンフォギアAXZの5話。八紘、弦十郎と共に、訃堂のもとへ状況報告に向かった翼。翼に対して訃堂は「まるで不肖の防人よ。風鳴の血が流れておりながら、嘆かわしい。」と言う。翼は、「我らを防人たらしめるは血にあらず、その心意気だと信じております。」と静かに応じた。ここからも、訃堂の「血」に対するこだわりが感じられるものである。

 話をアニメ本編の内容に戻そう。再びファラの襲撃。苦戦する翼とマリア。自分の無力さを痛感する翼。そこに現れたのが八紘。「翼!歌え、翼。」

 翼「ですが私では、風鳴の道具にも、剣にも…」

 八紘「ならなくていい!」

 翼「お父様…」

 八紘「夢を見続けることを恐れるな!」

 マリア「そうだ!翼の部屋、十年間そのまんまなんかじゃない!散らかっていても、塵一つなかった。お前との思い出をなくさないよう、そのままに保たれていたのがあの部屋だ!娘を疎んだ父親のすることではない。いい加減に気づけ、馬鹿娘!」

 翼「まさかお父様は、私が夢をわずかでも追いかけられるよう、風鳴の家より遠ざけてきた…それが、お父様の望みならば…私はもう一度、夢を見てもいいのですか!」

 うつむきながら、八紘は頷く。翼はここで初めて、八紘の思いを知る。翼の「夢」は、歌手として皆に歌を届けることだ。そして現在、翼はプロの歌手としての活動も行っている。翼は「幼い頃にはこの部屋で、お父様に流行歌を聞かせた思い出もある」と言っていた。当時から翼が歌手を目指していたということが分かる。翼のその夢を知った八紘は、あえて厳しいことを言い、家から翼を遠ざけていたのか。更に、散らかったままの翼の部屋。散らかったまま塵・埃だけを払っていたというのはなかなか器用だと思うが、あの部屋をそのままにすることこそが「親子」の結びつき、思い出を感じられる唯一の場所だと八紘は思っていたのだろう。

 そして翼は、「貴様はこれを剣と呼ぶのか、否!これは、夢に向かってはばたく翼!」と言い、ファラを撃破する。これが、シンフォギアGXの第9話だ。

 ここで、公式サイトの用語集を見てみよう。

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 「八紘もまた、穢れた風鳴の血の被害者である。娘の出生時に八紘は、憎悪にも似た複雑な感情をいだくが、それでも娘に「翼」と名付ける。人の道に外れてなお、国防を最優先と唱える父・訃堂への叛逆として、風鳴の因習に囚われない自由を意味する名前を娘に贈ったのは、不器用ながらも娘の幸せを願う父親としての想いからであった。」

 

 崇徳院の叔父子説は、事実かどうか確認できない。しかし、シンフォギアでは、この書き方であれば翼の実父は訃堂だというのは事実なのだろうか。八紘は、出生時既に翼の出生の秘密を知っていた。しかし、それに対する「叛逆」として、八紘は「翼」という名前を授けたのだ。翼に厳しくあたるようになったのは、自分の子ではないこんな汚れた娘を置いておきたくないという思いではなく、家から遠ざけること=家の因習にとらわれず、翼の夢を叶えられることに繋がる、という思いからであった。

 この点、崇徳と鳥羽とは対照的と言える。鳥羽は自分の死後に兵乱の起こることを警戒し、武士たちの招集を決めていたのだ。そこで、なぜ崇徳が嫌いかという理由を「崇徳が自分の子ではないから」という点に結びつける。これが叔父子説を利用した読み解きだ。叔父子説が事実かどうかは別であるが。

 鳥羽と崇徳の不和の理由としては、前の記事に書いた「皇太弟」事件が挙げられる。『保元物語』では、叔父子説をにおわせる記述はないとも書いた。では、物語では、二人の不和の原因をなんと書いているか。物語の語り手は、「先帝コトナル御ツヽガモ渡ラセ給ハヌニ、ヲシオロシ奉ラセ給フコソ浅増ケレ。カヽリケレバ、御恨ノミ残ケルニヤ、一院新院父子ノ御仲、不快ト聞コエシ。」と言っている。前の記事で取り上げた、崇徳の近衛天皇への譲位を受けての記述だ。「先帝」及び「新院」は崇徳。「一院」は鳥羽である。

 また、物語内で崇徳は「当腹ノ寵愛ト云計ニテ、近衛院ニ位ヲ押シ取レ」と述べている。自分が譲位させられたのは、やはり鳥羽が美福門院を寵愛しており、新しく近衛が生まれたことが理由である、思っていることがうかがえる。ここまでを素直に読めば、鳥羽院は寵姫である美福門院から近衛が生まれたことを喜び、即位を進めたと解釈できる。ここで叔父子説を踏まえれば、崇徳が実子ではないと確信した鳥羽が、彼を排除するために急いで近衛に譲位させたとする解釈も可能となる。やはりこの説を採用するかしないかで、読み解き方が大きく変わってくるのだ。少なくとも『保元物語』はこの説を採用していない。もし叔父子説を物語においても取り入れる(意識する)なら、待賢門院璋子についても当然触れる必要があろう。しかし、名前すら記されていない。物語では叔父子説に触れないため、既に故人である璋子(1145年没)はなおさら登場させる必要性がないのであろう。

 ただ、「政治工作説」を唱える美川圭氏は、叔父子説を鳥羽院が信じるのは、崇徳の譲位前ではなく譲位後であるとの説を示している点も留意されたい。

 余談であるが、この後、シンフォギアGXの最終話(13話)では、戦いを終えた翼とマリアが、歌手活動の拠点であるロンドンへと飛行機で飛び立っていく。飛行場の側で、弦十郎は「見送りもまともにできないなんて、父親失格じゃないのか」と兄である八紘に聞き、八紘は「私たちはこれで十分だ。」と応じる。そこまで来ているなら会ってやれという思いである。とことん不器用な人なのだ。

 さて、最後に話を整理しよう。前回の記事の内容を踏まえ、人物を当てはめていく。訃堂=白河法皇、八紘=鳥羽院、翼=崇徳院。叔父子という呼称=汚れた風鳴の道具。シンフォギアの設定を当てはめて示すと、「白河法皇は存命中に鳥羽院を後継にせずに、実は自分の子である崇徳院を後継指名した」という話にでもなろうか。なお、史実では、白河法皇は21歳の鳥羽を退位させ、5歳の崇徳を即位させるということをしている。

 歴史にもしもはないと我々は知っているが、もしも、鳥羽が崇徳を実子ではないと知っていた(またはそういった流言を信じていた)うえで、それでも八紘のように崇徳を思いやる気持ちを持っていたら…保元の乱は起きなかったのではないだろうか。政治性、権力の絡む話である以上、それは難しいか。

 シンフォギアGXでは、翼の他にも響、クリス、キャロルの親子がそれぞれ描かれる。この作品のイントロダクションには、「これは、コワレタモノを修復する物語」と書かれている。最終話のラストも、主人公である響の父と家族の和解が描かれて終わる。娘を捨てた親、娘を残して死んでしまった親。その人たちが、娘たちに対して思うこと、伝えたいことは何か。そして、娘たちが忘れていたこと、誤解していたこととは。「コワレタモノ」とは「親子の絆」という解釈ができるかもしれない。

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 ちなみに、『保元物語』では、鳥羽・崇徳父子の和解のようなものが描かれている。物語では、崇徳は鳥羽が崩御すると、喪が明けぬうちから挙兵の準備を始める。そして挙兵に至るが、敗北。崇徳は讃岐国へ配流となることが決まった。この時代の配流について、元木泰雄氏は、『保元・平治の乱』の中で、次のように述べている。

 「この時代の配流には、奈良時代までとは異なる意味も付加された。平安京は恒久的な王権の所在地であると同時にケガレからも隔離された清浄の地であった。京から畿外、七道にいたるにつれて、夷狄、化外の地に近づくことになる。京を離れることは当時の皇族・貴族には忌避すべきことであり、(中略)その京を王権の中心であった人物が放逐される。これ以上の屈辱などあろうはずがない」

 

 崇徳は、都を離れる前、次のように申し出る。「故鳥羽院のお墓に参って、最後の暇乞いを申したい。」しかし、それは認められなかった。そのため御車を鳥羽院の墓のある安楽寿院の方へ向けさせ、「御涙二咽バセ」なさったという。これには崇徳を護送する役の重成も、涙で袖を濡らしたという。崇徳は全てを失った。そして最後の心残りは、父の墓参りなのであった。『保元物語』は、鳥羽を聖人・その治世を聖代として描きたいという作者の意図がある。しかし、それでもここにあるのは、親子の情というものである。

 

 

 

 

崇徳院と戦姫絶唱シンフォギアの風鳴翼―前編:崇徳院の父親について史料・先行研究から考える

 今回はタイトルの通りである。つい先日、NHKBSプレミアム『英雄たちの選択』という番組で、崇徳院が取り上げられていた。これを読んでおられる方も、番組を見ていなくともこの人物の「怨霊」にまつわる話を聞いたことがあるかもしれない。

 私の大学時代後半の研究テーマは崇徳院であった。このブログのタイトルである「憂きまど」も崇徳院の和歌から取っている。もとの歌は「憂事ノマドロム程ハ忘ラレテ醒レバ夢ノ心地コソスレ」。日下力氏の訳を拝借すれば、「つらいことは、まどろむ間はわすれられて 目覚めてみれば夢を見ていたような心地がする」(『保元物語KADOKAWAより)というものだ。崇徳院歌人としての業績もある。皆さんの中にも、『百人一首』77番歌である「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はんとぞ思ふ」の歌を知っている人がいるだろう。これも、崇徳院の歌である。

 そんな私が、『戦姫絶唱シンフォギアGX』を見ていた当時。九話「夢の途中」という回。三期にして明かされた、メインキャラクター風鳴翼の出生の秘密。これは崇徳院に似ている、とすぐに思い至った。この回については、公式サイトにあらすじが載っているので、そちらをご覧いただきたい。この記事の前編では、まず崇徳院の出生について様々な文献から考察する。昔色々と書いたものの再編版だ。後編では風鳴翼の話をし、その共通点と相違点などについても考察していく。

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 最初に、崇徳院について簡単に説明しておこう。崇徳院は第75代天皇。1119年に生まれ、1164年に崩御した。そもそもこの「崇徳」という呼称は、死後の「諡(おくりな)」である。父親は鳥羽院、母親は待賢門院(藤原)璋子。崇徳院の次に即位する近衛天皇は異母弟、その次に即位し、源頼朝から「日本一の大天狗」と評された後白河法皇は同母弟にあたる。「院」は譲位して上皇となった人物に対して用いられる呼称。そして、「法皇」は出家して仏門に入った上皇・院に対して用いられる呼称である。

 崇徳は、父親である鳥羽から遠ざけられていた。それが1156年の保元の乱を引き起こし、讃岐国へ配流となってしまう遠因となる。なぜ崇徳は鳥羽から遠ざけられていたのか。それは、崇徳の本当の父が鳥羽ではないから、という説がある。これがいわゆる「叔父子説」である。では一体、崇徳は誰の子なのか。崇徳の「父親」が鳥羽、その父親は堀河天皇、そしてその父親が白河院である。この白河院白河法皇)と待賢門院璋子が契って生まれた子が崇徳であるというのである。このことが記されている史料が、鎌倉時代に公卿の源顕兼によって書かれた説話集古事談巻第二「白河院、養女璋子に通ずる事、鳥羽院崇徳院確執の事」である。該当箇所を引用してみよう。

 

 「待賢門院【大納言公実女、母左中弁隆方女】は、白河院御猶子の儀にて入内せしめ給ふ。その間、法皇密通せしめ給ふ。人皆な之れを知るか。崇徳院白河院の御胤子、と云々。鳥羽院も其の由を知し食して、「叔父子」とぞ申さしめ給ひける」(『新日本古典文学大系 41 古事談 続古事談』より)

 

 待賢門院は白河法皇と密通しており、それで生まれたのが崇徳である。鳥羽もそれを知っており、崇徳を「叔父子」と呼んでいたという。

 さて、これに関して、研究者の意見はどうだろうか。美川圭氏は次のように述べている。

 

 「近世の『大日本史』や『読史余論』以来、多くの歴史家たちが、この「叔父子」説を肯定的にみてきた。『古事談』という真偽のさだかでない「説話」を多く含んだ書にしか存在しない話が、あまり疑われなかった理由は、少なくとも保元の乱前夜において、鳥羽院崇徳院との不和が事実であり、それが鳥羽院没後、同母兄弟である崇徳と後白河の正面衝突という事態につながったことを説明するのに、「叔父子」説を真実とする方が、より説得力があるからである」(美川圭『院政』より)

 

 『古事談』は今でいうゴシップ的な内容も含んでいるので、扱いには注意が必要だ。

 他に、角田文衞氏は、関白・藤原忠実の日記『殿暦』の記述や、『今鏡』の白河法皇と幼い頃の璋子の逸話なども紹介した上で、璋子の生理周期を算定し、「鳥羽天皇は、九月(元永元年九月)には殆ど接触がなかった(璋子と、執筆者補足)ことから、中宮(璋子、執筆者補足)が法皇によって懐妊した事実を悟られたに相違ないのである」と述べている(角田文衞『待賢門院璋子の生涯』より)。研究のために生理周期まで調べるのか、と思い当時は驚いたものだ。今どきはどうかしている声豚が、若い女性声優の生理周期を調べるということをやっていたのを記事で見かけた。しかし、璋子の生理周期を調べることは、この問題を研究するうえで意義のあることなのだろう。ちなみに、この角田氏の本をもとにした小説が、『失楽園』で知られる渡辺淳一氏の『天上紅蓮』である。

 

 もう一方の『殿暦』の記述もみてみよう。白河法皇が璋子を忠実の子である藤原忠通と婚姻させようとしたが、忠実が反対したため立ち消えとなった一件の後の話として記されているものである。白河法皇は、その代わりに孫の鳥羽に璋子を入内させることにした。それに関して、忠実は永久五年十月十一日に「件院姫君備後守季通盜通之云、世間人皆所知也」―「璋子が備後守季通と密通していることは、世間の人々は皆知っていることだ」と記していることや、同年十二月四日条にも、「乱行人入内」と記すなど、璋子がふしだらな女性であることを批判している(『大日本古記錄 殿暦五』岩波書店より)。角田氏は、この点について「璋子の素行に対する忠実の酷評は、右の関係(白河法皇と璋子の性的な関係、執筆者補足)が意外に早かったことを暗示して」おり、義父である白河法皇と関係を持ちながらも季通などと通じていたのであれば、忠実のこういった表現を用いた批判、決めつけも「止むをえなかったであろう」と述べている。季通は璋子の音楽の師匠。そこから性的関係に発展したと考える人もいる。

 そしてもう一方の『今鏡』の逸話の内容は、幼い頃の璋子が白河法皇の懐に足を入れて昼も寝ていたため、忠実が訪ねて来ても対面を断っていた。その寵愛ぶりは「大人になり給ひても類ひなくきこえ侍りき」であったというものである(海野泰男『今鏡全釈 上』より)。先述の角田氏はこれについて、「法皇が孫のように璋子を可愛がった心情は理解できるにしても、そこにはなにかしら異常なものがなかったとはいえない。」と述べている。璋子は五歳の頃、白河法皇の寵姫である祇園女御の養女となっていたため、二人の接点が生まれたのであった。ちなみに白河法皇は1053年生まれ。璋子は1101年生まれ。歳の差、単純計算で48歳。すごい。

 

 元木泰雄氏は「むろん今日、真相を知る術はない。」とした上で、以下のように述べている。

  

 「大治四年(一一二九)の白河没後、すぐに崇徳を退位させなかったこと、崇徳の皇子重仁が有力な皇位継承の候補者であったことから、鳥羽院の崇徳出生に対する疑惑が当初から強いものではなかったとする説が有力である。しかし、科学的に血縁関係を実証できない当時、噂を広められることは相当な根拠の存在を意味し、重大な影響を有した。」(元木泰雄『保元・平治の乱』より)

 

 他に、先述の美川氏は、これは美福門院得子(近衛天皇の母)と藤原忠通による崇徳を失脚させ自分たちが権力を握るための政治工作であったとする説を提示している。いずれにしても、DNA鑑定などがこの時代は存在していないため、真実を知ることはできない。本当に崇徳の父親が鳥羽だったのかもしれないし、白河法皇の子だったのかもしれない。結論としては「信頼できる新史料でも出てこない限り、確かめられない」ということだ。

 しかし、美川氏が述べていた通り、「少なくとも保元の乱前夜において、鳥羽院崇徳院との不和」は「事実」ではあるのだ。ここで、慈円の『愚管抄』に記されている、崇徳の躰仁親王(後の近衛天皇)への譲位の経緯を見てみる。『愚管抄』では、崇徳が譲位する際、本来の約束とは異なり、「ソノ宣命皇太子トゾアランズラントヲボシメシケルヲ、皇太弟(ト)カヽセレケル」状態であったことに対して、「コハイカニ」と崇徳の反応を載せている(『愚管抄岩波書店より)。こうした逸話は『今鏡』にも見られる。異母弟の近衛を「皇太子」にすれば、崇徳は鳥羽の死後に近衛の父として院政を行うことができたが、「皇太弟」ではそれは不可能である。この記述を信用するならば、鳥羽が「お前は譲位するが、皇太子と書いておくから、お前は院政ができる」と言っていたのに、実際はそう書いていなかったということだ。つまり、崇徳は鳥羽に騙されて退位させられたということになる。それは崇徳が怒るのも当然というものだ。元木氏は、「院政を行うことができる上皇は、天皇直系尊属に限定されており、まだ二三歳の崇徳が譲位に応じたのも、将来の院政を約束されていたからにほかならない。」と指摘している。その後、崇徳は息子の重仁親王を即位させることで院政をしようと考えるのだが、それもまた阻まれる。追い詰められた崇徳は、藤原頼長らと結びつき、最後は挙兵に至るのである。

 他に、先述の『古事談』から、鳥羽の臨終間際の話を引用してみよう。

 

 「鳥羽院最後にも、惟方時に廷尉佐を召して、『汝許りぞと思ひて仰せらるるなり。閉眼の後、あな賢こ、新院にみすな』と仰せ事ありけり。案の如く新院は「見奉らむ」と仰せられけれど、『御遺言の旨候ふ』とて、懸け廻らして入れ奉らず、と云々」

 

 崇徳は鳥羽の臨終間際に訪問してきたが、鳥羽が遺言を残した。簡単に言えば崇徳を入れるな、ということだ。結局、崇徳は鳥羽の姿を見ることが叶わなかった。繰り返しになるが、『古事談』は扱いに注意が必要であることは留意されたい。

 軍記物語(フィクション)である『保元物語』では、鳥羽が亡くなる以前から、人々の間では「一院カクレサセ給ナバ、主上ト新院トノ御中心ヨクモマシマサズ。世ハタヾハアラジ」という話がなされていたことを、物語は記す(『新日本古典文学大系 43 保元物語 平治物語 承久記』岩波書店より)。「一院」は鳥羽、「主上」は現在の天皇である後白河、「新院」は崇徳である。鳥羽が崩御したなら、崇徳と後白河は関係がよくないので、世の中は乱れるだろうという趣旨だ。実際、崇徳は挙兵へと突き進んでいく。日下力氏は、「実際は、鳥羽院が自分の死後、事の起こるのを警戒し、早くから義朝や清盛らを招集、崇徳院側は追い込まれてやむなく決起した側面が強く、準備不足は明らかであった」と述べている(『いくさ物語の世界』岩波書店より)。ここでの「実際」とは「文学的(フィクション)ではなく歴史上」という意味である。武士の招集は、もし崇徳らが決起した場合には彼らを退け、後白河を守るためであろう。結果的に、それが崇徳側への圧力となってしまう。これは私の憶測にすぎないが、鳥羽の真の目的は、日本を治める者として、後白河と崇徳で国が二つに分裂することを防ぐことにあったのではないだろうか。ちなみに、『保元物語』では、崇徳の父が白河法皇であることをにおわせる記述は一切存在しない。

 非常に長くなった。これでもだいぶ省略しているのである。結局のところ、崇徳の父が白河法皇である説を取るかとらないかで、読み解き方が変わってくるのだ。この説を採用するのであれば、鳥羽が崇徳を遠ざけたのはそれが理由だということである。個人的には、美川氏の言うような「政治工作」=鳥羽の子ではないという流言に鳥羽がはめられ、崇徳を遠ざけることになったという読み解きをしたいところだが。鳥羽はあるとき、疱瘡になった崇徳院を見舞ったことがある。それに対して、佐藤健治氏は「親として崇徳院を思いやる、鳥羽院の気持ちが現れていると言えよう」と考え、元木泰雄氏は「表面上は家長として鷹揚な態度で接している」と指摘している。さて、どちらだろう。後者を取るなら悲しい親子関係と言える。前者ならば、「早く治せよ」という思いと一緒にこれまでの仕打ちを「後ろめたい」と思ってたりしたのか。内心の問題なので、真相は分からない。

 後編では、シンフォギアの翼の話と絡めていきたい。今回のものよりもなるべく短くまとめたいが、そうはいかないようだ。

 

待賢門院璋子の生涯―椒庭秘抄 (朝日選書 (281))

待賢門院璋子の生涯―椒庭秘抄 (朝日選書 (281))

 

 

 

 

 

 

 

院政―もうひとつの天皇制 (中公新書)

院政―もうひとつの天皇制 (中公新書)

 

 

 

天上紅蓮 (文春文庫)

天上紅蓮 (文春文庫)

 

 

ソシャゲに対しての雑感

 皆さんはソシャゲというものをやっているだろうか。Twitterに今回のガチャ結果がどうの、というスクショばかり貼っている人もいるかもしれない。スマホでできるアレである。

 私も、昨年にリリースされた『戦姫絶唱シンフォギアXD UNLIMITED』を熱心にプレイしている。微課金プレイだが、なかなか楽しく遊べている。

 さて、ソシャゲには様々なものがある。よく見かけるのが『FGO』だ。これは元々何クラスタだとか、そういう垣根を越えてプレイしている人が多い印象である。時々Twitterのトレンド上位に関連ワードが居座っていたりする。他にも色々あるが、名前を知っているものは多けれど、私には詳細がさっぱり分からない。恐らく私のシンフォギアXD関係のツイートを見ている方も、なんだかよく分からないと思っておられるだろう。複数掛け持ちしてソシャゲをプレイしている人もいるようだ。大学生などであれば可能なのかもしれないが、私にはとても無理だ。最近の達成ポイントを5000集めるという件など、このゲームにはオート進行も多いがそれでもやることは多い。

 私はシンフォギアXDを始めるまで、ソシャゲというものに対して冷ややかな視線を送っていた。そこまで課金していいのか。個人の自由と言えばそれまでだが、リアルギャンブルの方がまだ儲けられる可能性があるだろう、とかよくある批判だ。しかし、いざ自分でソシャゲを始めてみると、その気持ちは分からないでもない、と思うようになった。ガチャの☆5確定演出が出たりすると高まるものである。だが、それでも最低限の課金にとどめている。なお、私が課金をした場合のガチャ結果はこれまで全敗状態である。

 いくら射幸心を煽られているとしても、ある程度の年齢のプレイヤーなら、課金しすぎたのであればそれは自業自得だ。これまでの投資分が無駄になるから徹底的に金をつぎ込む。それでも常識のある人間は、ある程度まで行けば自制するものである。某クソアニメの挿入歌の歌詞を引用するなら「それこそが大人ってもんだ(文句言うな)」である。その後ガチャで爆死した人が「こーろーすーぞー♪」と思うのは自由である。犯行予告や実行さえしなければ問題ない。大人の場合、子供が親のスマホを勝手に使って課金をしまくるというのとはわけが違う。シンフォギアXDには、一か月で10万円以上課金すると通知が来るという設定がある。運営側が「これ以上は課金しすぎだ」という公式見解を示しているともいえる。これはある意味良心的か。

 酷いガチャ結果が連続すると、某クソアニメよろしく「はいクソー 二度とやらんわこんなクソゲー」という気分になる。私はこれまで二度ほどそういった心境になったことがある。「これ以上やっても時間の無駄だぞ」「当たる確率、コーエー三國志で武力が高い武将が軍師タイプに一騎打ちを挑んだ際の成立率1%以下だぞ」と言い聞かせたりする。それでも、なぜここまで引退せず続いているのか。やはり「シンフォギアだから」という一点に尽きるのではないか。多くのソシャゲプレイヤーも、その作品が好きだから、面白そうだから、という理由で始め、熱中するというパターンがほとんどだと思われる。シンフォギアXDに関しては、「シンフォギアじゃなかったらこんなのやってない」という意見をこれまで何度か見たことがある。全くその通りである。

 しかしながら、単にオリジナルシナリオを見たい、アプリ限定曲を聴きたいのであれば、ニコ動やYouTubeにアップされるプレイ動画を見れば済む話だ。なぜ時間をかけて、自分でプレイするのか。よくある解釈としては、昔から何かのカードやシール、果てはポケモン集めまで、「コレクション」という行為に親しみ、それをすることが好きな人が多かった。それが今まで続いている。こういったものだ。確かにそういった側面があることは否定できまい。誰しも、子供の頃などに何かしらを集めた思い出はあるはずである。他の理由としては、先述のように、好きな作品だからというものや、もう惰性でやっている、単にいい暇つぶしになるから、という人もいるに違いない。理由は人それぞれで、一概には言えないと思われる。

 逆に、ソシャゲを引退する時とはいつだろう。例えば大金をつぎ込んだが結局目当てのカードが出なかった場合。心が折れたということだ。他に、仕事などが忙しくてやる暇がなくなった、他のソシャゲの方が面白い(こっちのソシャゲの方が忙しい、向うは飽きた)など様々であろう。アンインストールとまではいかないが、ログインボーナスだけもらってプレイはしないという人もいるだろう。ボーナスで溜まった石でガチャを引き、いいものが出たら復帰するという寸法だ。人によって、そのソシャゲとの付き合い方・距離感は多様である。

 ソシャゲをプレイすることは義務ではないし、言うまでもなく引退するのも自由だ。これまでの積み重ねがあるから中々辞められないと思う人もいるだろう。のめり込みすぎずほどよい距離感で。やはり、これがソシャゲと長く付き合う、楽しんでやる秘訣だという結論に至る。いつかサービスが終了すれば、もう遊ぶことはできなくなる。これまで課金したものも何もかも、全て消失する。時間の無駄。そうかもしれない。しかし、そうと分かっていながら、なぜ我々はソシャゲをプレイするのか。簡単だ。結局、今楽しけれそれでよいのだ。ただ、それだけだ。深く考える必要はないのである。

積読の苦しみと反省、とある女性声優の本との付き合い方

 私は数年前から読書記録をつけている。読書記録を付けるメリットは多くあるが、いくつか挙げてみよう。

みじんこ - 読書メーター

 まず、既に買って家に置いてある本がすぐに分かるため、同じ本をまた買ってしまうという失敗を防ぐことができる。書店でスマホを片手に、「この本はもう持っている」と確認することができる。

 他に、感想を書き、要点を記録として残すことで、内容の整理と共に内容を思い出しやすくなるというメリットがある。

 私の読書メーターのページを見てくださった方はお気づきだろうか。私が最近読んだものは漫画ばかりである。なぜわざわざ漫画の感想まで残すのか、説明しよう。例えば、『のんのんびより』。最新の12巻は、2018年2月26日に発売された。では、その前の11巻が発売されたのはいつか。前年、2017年の5月23日である。この間、半年以上経っている。別の漫画の例を見てみよう。『信長の忍び』の最新13巻は、ちょうど昨日発売された。そしてその前の12巻はと言えば、やはり前年の8月29日であった。こちらも半年以上の期間が空いている。これでは前の巻の内容を忘れてしまっても仕方あるまい。いちいち前の巻を読み返すのも面倒だ。そこで、短い感想を残しておく。次の巻が出た際は、読む前にそれを見返せばよいのである。とても便利だ。

 漫画はすぐに、気楽に読める。ゆえに、そういったものばかり優先させて読んでしまう。新書や専門書は読むのに体力と時間が必要なのだ。しかし、現代では文庫化されたものであっても、後で欲しいと思った時には書店から消え、アマゾンの中古しかなくなっていたりする。だから、出た当初に「これは資料として使える」「後で読む」と思って買って本棚の肥やしにしてしまうのだ。「手元にある=必要だと思ったらいつでも目を通せる」というメリットはあるが、だんだんと溜まっていく本の数を知るたびに、気が滅入るものである。読み終わり、資料としても使わない本は段ボール箱に詰め、実家の方に送っている。母からは「床が抜ける」「売れ」とクレームが付く。

 この大量の積読があるという状況を解消するためにはどうすればいいか。断捨離か。いやそれはないだろう。無職になり、毎日読書に励むというのがベストかもしれないが、そういうわけにもいかない。ここで、私が知る女性声優二人の、読書に関する発言を見てみよう。いかにも唐突だが、読書に関して頷ける、共感できる意見だから紹介するのである。

 まずは上坂すみれさん。上坂さんはロシア文学に対して造詣が深いほか、横山三国志などの漫画も読んでいる。『上坂すみれ 25YEARS STYLE BOOK Sumipedia』では、自宅の本棚や、蔵書のごく一部が写真付きで紹介されている。そして上坂さんは、こんなコメントを残している。

 

 「本屋さんへは定期的に行くのですが、たいてい専門書コーナーで大量購入するので、積読本があるうちは次の本は買わないのが自分的ルール。」

 

 なんという正論だろうか。「積読本があるうちは次の本は買わない」という至極当然の方法を、彼女は提示しているのである。しかし、それでは先ほど私が述べたように「文庫化されたものであっても、後で欲しいと思った時には書店から消え、アマゾンの中古しかなくなっていたりする。」という状況には対応できない。しかしながら、私個人は絶対に店頭から消えたりしない、後々も残っているであろう本でさえも「新規開拓」と称して買ったりして結局肥やしにするという状況を生み出してしまっている。やはり「積読本があるうちは次の本は買わない」は胸に刻んでおくべきである。

 もう一人が花澤香菜さん。最近は「よりもい」の小淵沢報瀬役など。香菜さんは、村上春樹作品が好きだという話をこれまでに何度もしている。他にも山田詠美さんなど好きな作家名を挙げ、ラジオ「花澤香菜のひとりでできるかな?」(略称ひとかな)でも最近読んだ本の話をすることがある。

 まず取り上げたいのは、「ひとかな」の258回だ。リスナーからの、積読の話などが書かれたメールを読んだ後のコメントである。

 

 「私もあるなあ読んでない小説。なんかさ買って冒頭読んで、これは合わないかもしれんって思ったヤツってどうしても後回しになっちゃうんだよね。先に持っている好きな作家さんの本とかに走ってしまうんですよ。ダメね。なんかせっかく買ったんだから最後まで読めばいいのにね。」

 

 この後でもう2つほど紹介するが、香菜さんのこうした意見は、私の意見と全く同じなのである。確かに冒頭を読み、これは合わない、イマイチ入って行けそうにない、と思った小説は本棚に戻してしまうことが多い。もし仮に、家にあるまだ読んでいない本がこの一冊だけだったならば、しぶしぶ読み進めたかもしれない。しかし、積読状態であるならば、選択肢は数多い。別の積読に手を出す、また冒頭だけ読んで戻す、という悪循環に嵌ることも稀にある。こうして読みやすいもの、本当に好きな作家の新刊などばかりが読まれ、それ以外は肥やしのままになるのである。

 この後香菜さんは、最近は村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』を読んでいることや、読もうとしたきっかけなどを紹介。そして香菜さんは、こう語る。

 

 「自分のノッてる時に読むのが一番いいんですけど。今わりとね、ノッてるんでね。本読みたいぜ!って感じ。やっぱ読書の秋だね。なのでスイスイ読んでますよ。」

 

 この点も非常に共感できる。なぜだかはよく分からないが、「ノッている」時は本当にどの本でも読めるのだ。実に不思議だ。積読が多くあろうとも、すぐに読む本が決まる。普段であれば手を出さない積読にも自然と手が伸びる。自分の場合、その期間はあまり持続しないことが多いが、それでも、読書が本当に楽しいという気持ちになってスイスイ読めるのは気分がいい。何より積読が減る。

 次は、同じく「ひとかな」の218回。リスナーから「流行りの本を読むのと、自分が好きな作家やジャンルの本を読むのとではどっちが多いか」という質問を受けての回答だ。

 

 「私、両方かな。その時本屋に行ってこういう系の本が読みたいなって思って探し始めるのと、あと本屋に大抵今月の売れ筋ランキングみたいなのが載ってるじゃないですか。ああいうの見て他の人たちがどんな本を読んでるのかって分かるじゃないですか。その中で興味があるものがあったらじゃあ私も読んでみよって思って読んだりしますね。なので両方かな。」

 

 この後、でも正月は村上春樹三昧をしたということについて語っている。ここでの香菜さんの回答は、どちらにしても「本屋に行く」ということを重視していると受け取ることができる。前出の上坂さんも同様だ。そして私も、基本的に本屋に行くという点は同じだ。絶版などで中古しかないという場合などはアマゾンを利用する場合もある。しかし、私は本屋で探し始めるのではなく、事前にネットの評判なども調べてから「帰りに寄って○○という本を買う」と決めた状態で本屋に行く。その点では香菜さんと異なる。しかしながら、やはり本屋に行くメリットは大きい。買うと決めた本がある棚まで行く時間。そして、その棚で探す時間。その過程で、偶然自分が知らなかった面白そうな本に巡りあえるのである。こうした経験を持つ人は多いことだろう。そして首都圏の大型書店では、時折り著者サイン本が入ったりする。古書店などを利用せず、存命の作家のサイン本を定価で入手できるのもリアル書店の魅力である。

 今回はこのくらいにしておこう。こんな記事を書いている暇があるなら1冊、いや1ページでも読めという話である。

『ユリイカ』岡田監督インタビューから考えるレイリアとメドメル~「さよ朝」考察続編~

 さて、これまで「さよ朝」についての考察を様々行ってきた。今回の話も、一部それを踏まえたものとなるので過去記事も合わせて参照していただきたい。

 

konamijin.hatenablog.com

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  前回はスタッフ座談会本から、レイリアとメドメルの最後の場面について考察した。そして今回は、『ユリイカ2018年3月臨時増刊号 総特集岡田麿里』における、岡田監督(脚本も担当)のロングインタビューから、あの場面についてもう一度考えていきたい。聞き手は上田麻由子さん。ロングインタビューというだけあってなかなかの文章量があり、「さよ朝」の制作に関する話や、岡田監督自身のことなどが語られている。

 岡田監督は、マキアに助けられ、レナトに乗るレイリアが「私のことは忘れて」と言う場面について、堀川さん(堀川憲司)から「意味がわからないと言われました」と語っている。確かに堀川さんは座談会にて、「なぜレイリアが娘を切り捨てて、自分は新たな道を行くという」感情になったかが、「分からない」と言っていた。

 それを聞いた上田さんは、「あそこって百合っぽさも感じました。女の子ふたりでこの世界から逃れていく(中略)せつなくも清々しさもあって。」と応じる。それに対し岡田監督は「そう、清々しくしたいと思っていて。」と答えている。なるほど、百合っぽいかどうかはなんとも言い難いが、少なくともこれまでの生活に別れを告げ、新しい一歩を踏み出すという清々しさは感じられるというものだ。問題は、堀川さんの言うようになぜそういう感情に至ったか、ということだ。

 更に、岡田監督は、あの辺りの場面は「全体的に好きなシーン」だと語り、こう言っている。

 

 「むしろそのあとのメドメルの「お母さまってお綺麗な方なのね」という台詞がすごく気に入っているんですよ。許したり許される物語が好き。あの台詞はレイリアには聞こえていないんだけど、あれでレイリアもメドメルも救われたなと私は思っていて。」

 

 メドメルのセリフは、レイリアがレナトに乗って飛び立ってしまった後のセリフなので、当然レイリアには聞こえていない。もしメドメルが「なぜ行ってしまうの」と言って泣いたりしていたならば、それはレイリアに対する許しにはならないだろう。むしろ観た人に「かわいそうだ」という感想を持たせてしまう。メドメルはレイリアを許したという解釈は成り立たず、メドメルは一人ぼっちになってしまったと思うだろう。

 しかし、前にも述べたように、メドメルの声からは怒りや悲しみの感情はうかがえない。あるがままを受け入れ、達観しているかのようですらある。「あれでレイリアもメドメルも救われた」ということは、メドメル自身も「救われた」ということだ。レイリアも、「自分は母親らしいことは何もしてあげられなかった」という思いが、どこかにあるに違いない。一方でメドメルには、「今更何しに来たの」といった感情ではなく、「ああ、これが私のお母様なのか」という思いが残った。レイリアが荒れていた頃、メドメルも母の話をしようとして口をつぐんだ場面があった。以前書いたが、メドメルは「母親というものはよく分からない(愛情を受けたことがない)けれど、レイリアが自分を生んでくれて、大切に思っていてくれた人」ということは伝わった。だから最後に顔を見れてよかった、と思った。それが二人が「救われた」ということの意味ではないだろうか。

 話は前後するが、聞き手の上田さんは、アニメ評論家の藤津亮太さんが「あれ(※レイリアの私のことは忘れてというセリフ)は娘のことを思って心にもないことを投げたんだよ」と言っていたというエピソードを紹介し、一方で自分(上田)は「(レイリアが)自分のために言っているように聞こえたんですよね。執着からの解放というか。」と述べている。それに対し岡田監督は「うん、どちらもあると思います」と答えている。

 藤津説を取るのであれば、レイリアは本当は自分のことを忘れて欲しいとは思っておらず、心のどこかで覚えていて欲しいと思っている。しかし、逆に「私のことを忘れないで!」と言ってしまえば、幼いメドメルは生涯に渡って、どこかで母親のことを思い出したりするだろう。「忘れて」と言うことで、自分(レイリア)のことなんか気にしないで、自分の人生を歩みなさいと伝えたということか。

 そして上田説。「私のことは忘れて」はメドメルに対して言ったものでもあるだろう。そして、レイリアが自分自身に言い聞かせたもの、すなわち自分の娘への最後の執着(迷い)を振り払うためのもの、であるという説だ。

 確かにどちらの説も頷けるものがあるが、個人的には藤津説を推したい。自分のことを忘れなさい、と言うことは、確かに別れを意味するかもしれない。しかし、その言葉の中にあるのは、娘を思う母親として示した最後の優しさではないだろうか。

 

 岡田監督は、以下のようにも述べている。少し長くなるが、重要な指摘であるため引用したい。

 

 「自分の孤独を埋めるために執着したものの結果、多くの大切なものを失ってしまった。その執着したメドメルに「あなたは誰?」って言われた瞬間、レイリアは自分自身の思い込みの間違いをつきつけられたんですよね。だからこそ執着から解放されたし、同時にメドメルに対しても、これから先の人生で自分に縛られて欲しくないと願っている。」

 

 岡田監督の言う「自分自身の思い込みの間違い」とはどういう意味だろう。物語の中盤。レイリアは会えないメドメルに執着し、荒れる。そして国の滅亡の間際になっても、自分は娘のメドメルに執着していた。元恋人のクリムの誘いすらも断った。そしてクリムは撃たれ、死んだ。それ以前には、助けに来てくれた仲間たちも死んでいる。それだけ執着していた娘だったが、逆にメドメルは母親である自分を必要としていなかった。顔すらも知られていなかった。それによって、「この子と私の間には、全然違う時間が流れていたんだ」と悟ったこと=「執着から解放」される、「間違い」を悟ったということなのか。

 そして、「メドメルに対しても、これから先の人生で自分に縛られて欲しくない」と願う。その思いが、レイリアを「飛ぶ」という行為に走らせたのだろう。ならば、やはり自分(レイリア)がいなくなった方がメドメルにとっていいことだ=「自殺」しようとしていた、と解釈することも可能であるという話になってくる。

 座談会本にて、堀川さんは「レイリアが自殺しようとしていた」という考えを述べていた。それについても、岡田さんはこのインタビューにてこう答えている。

 

 「その意見には驚きました。でも、たしかになと。自殺って、ある意味で究極の解放なのかなっていう気がしないでもない。」

 

 この物語の脚本を書いたのは岡田監督である。ゆえに、「その意見には驚きました」ということは、岡田監督の頭にレイリアは自殺しに来た、という解釈は存在していなかったということになる。後で作品を観た堀川さんの意見を聞いて「なるほど、そういう解釈もできるんですね」と思ったのだろう。確かに、現世において、自分に関係する全てのものから逃れるには、自殺という選択は「究極の解放」となりえる。こう書くと私が自殺願望を持っているかのように受け取られる方もおられるかもしれないが、そういうことではない。

 自殺説を採用しないのであれば、これまで過去記事で考察してきた通り、レイリアは娘のいる場所を知っており、会いたいと思ってあそこにたどり着いたのか。彷徨い歩いた末の偶然なのかのどちらかになるだろうか。そもそも、レイリアの「飛ぶ」という行為の真意は何なのか。

 岡田監督は、あのシーンに関して次のように述べている。

 

 「(レイリアが)「飛んでおいで」って(マキアの)声を空耳するところも、危うさの方向にも振れますよね。あれも、スタッフのあいだでは「マキアは実際に言った」「言ってない」って論争があるんですが、私が答えを言おうとすると止められるんです(笑)。」

 

 この点に関しては、座談会本で堀川さんが、マキアに助けられたレイリアの表情が「キョトンとしてる」という点や、レイリアの声が「マキア?」と疑問形になっているという点から、レイリアはマキアがレナトに乗って来ることを知らなかったのでは、という説を述べていた。私もこれに同意した。

 このインタビュー記事を読む限りでは、岡田監督は「声を空耳する」という表現を用いている。岡田監督が「私が答えを言おうとすると止められる」と言っているので、やはり「答え」=正解はあると考えてよい。「空耳」であるならば、やはりマキアは「飛んで」という声を発しておらず、あれはレイリアの幻聴。飛んだところを偶然救われたと解釈できるだろう。

 レイリアは自殺する気はなかったが、かつての恋人であったクリムとも決別することとなり、国も滅亡寸前。マキアも生きているのかわからない。そんな状況下で、自分を死へと導くことになる「飛んで」という幻聴が聞こえたとしたら。それが「(精神状態の)危うさの方向」ということになるのか。ここは私の推測でしかない。

 ここからは自分の仮説である。以前の記事で、レイリアにとって「飛ぶ」という行為は、「自由」の象徴だと言うことができるのではないか。と書いた。岡田監督の言うように、レイリアはメドメルに対する執着から解放された。つまり、自由になったということだ。娘と自分は交わることがない。彼女は、自分のかつての生活のことを思い出した。それが、自分はイオルフの民で云々、という語りにつながる。昔の様々な思い出が胸に去来する中、かつて自分はマキアに対して「飛んで」と言い、怖がって飛べない彼女に「弱虫」と言った。今度は、マキアから「飛んで」と言われているような気がした(空耳)。そこで「私は飛べる(=また自由になれる)」と思い、何かに導かれるようにして飛んだのではないか。自由への飛翔だ。その行為が、結果的に死につながるとしても(マキアが助けに来ていなければそうだろう)、彼女自身は死のうと考えて飛んだのではない。自由を求めて(手に入れようとして)飛んだのだ。

 この点、やはり解釈が非常に難しい。前にも言ったが、「あなたの意見は違う」と思ってもらって構わない。ぜひ貴方の解釈を教えてほしい。岡田監督、もし答えがあるのなら、いつか聞かせてください。

 

 おまけ

 出演声優陣は、岡田監督がこれまでに関わった作品にも出演していた人たちが多いが、オーディションがあったという。それについて、岡田監督はこう答えている。

 「茅野さんはオーディションでやった、レイリアがイゾルに詰め寄るシーンがすごかったんですよ。業というか、この人どんな人生送ってきたんだろうって思うくらいに。わりと親しいはずなのに、「この人はまだ隠してることがいっぱいあるのかも」と底知れなさを感じて。」

 以前に触れたが、実際に放映されている映画の方でも、茅野さんのあのシーンの演技は鬼気迫るものがあった。レイリアの心情が色濃く出たシーンであるといえる。茅野さんがあそこまでやるというのもそうそうないのではあるまいか。あのシーンは何度でも見返してみたいと思わせるシーンである。